学院生オズヴァルドと灰と銀(中2)
朝食が終わってしばらくすると、父の執務室に呼ばれた。
学院に行くかどうかを確認されぬところをみると、おそらく神殿へ行けという話だろう。
神殿には医師もこなす神官がいるからだ。このままでは仮病がばれてしまう。
いや、もしやすでにばれていて、ここから叱られるのかもしれない。
父の執務室、ローテーブルをはさんで向かい合う頃には、緊張しすぎて頭痛がしていた。
「オズヴァルド、初等学院で、何かあったな?」
「……はい」
すでに情報が届いていたらしい。
考えてみれば、他の学生も行き来できるあの場所で話をされたのだ。校内で噂になっており、そこから家に――そう考えて血の気がひいた。
「お前の記憶通り、説明しなさい」
冴え冴えとした光を宿す銀の目に、オズヴァルドは隠すことをあきらめた。
とはいえ、すべてをつまびらかにするのはどうしてもできず――嘘の告白でからかわれ、一ヶ月付き合い、謝られた。おそらく彼女も爵位的に一段高い者から言われた、そんな悪戯にひっかかったと説明した。
話し終えると、目の前の父の結んだ唇は白く、目は昏い灰色になっていた。
「家の不名誉になるようなことをして、申し訳ありません」
自分は家の恥になってしまったのだ――そう思って頭を下げた。
「お前に一切の非はない」
きっぱりと言いきられ、思わず目を丸くする。
「初等学院生とはいえ、やっていいことと悪いことの区別もつかぬ幼子ではないだろう。お前を馬鹿にするにも程がある。私から彼女の家に抗議する、そそのかした者の家へもだ」
「おやめください、父上!」
自分のために、家より上位の貴族とことを構えようとしないで欲しい。
この家に何かあったらどうするのだ。
「なぜ止める? それだけのことをされたのだ、お前は怒っていいのだぞ」
「いえ、罰ゲームと向こうはおっしゃっていますが、こちらは無料で女性とお付き合いの方法を学ばせて頂いただけです。私は平気です!」
頭を限界まで回して理由付けをする。
なんとしてもゾーラ家としての抗議は阻止せねばならぬ。
「心配はいらん。我が家はそれほど弱くない。それほどまでにお前がやつれるようなことを、父として許せるものか――」
父親の声が一段低くなった。心配はありがたいが、本当にまずい。
オズヴァルドはさらに必死に考え――鏡に映るふくよかな自分を思い出す。
「父上、これはやつれたのではありません、減量です!」
「減量?」
「はい、高等学院に入りますし、その、少しは痩せて、かっこわるさを少なくしたいと……」
ここでかっこよくなりたいと、素直に言えぬ自分が悲しい。
自分は灰色の髪に灰色の目、父は銀髪に銀の目。色合いだけは似ているが、父は四十代にしても男ぶりが大変よく――
『あのゾーラ子爵の息子なのに』という言葉を、自分は何度聞いたかわからない。
「……わかった。自己流で減量するな、身体を壊す。減量専門の医師を付かせる」
「あ、ありがとうございます」
退路が断たれた。確かに痩せたいとは思ったが、本気で挑むしかなくなった。
今より少しはマシになればいいのだが。
「すまぬ。お前が気にしているのなら、もっと早く付けるべきだった。母の希望で――ある程度脂肪がないと、また寝たきりになったとき、お前が死んでしまうかもしれぬと、十五になるまでは無理に痩せさせてはならぬと言われていた」
「いえ、ご心配はありがたく思っております。今はもう健康ですし」
自分の無駄肉は祖母の心配も混ざっているらしい。
確かに幼少から熱を出してよく寝込み、長引くことも多かった。それだけ自分は、大事にされていたのだろう。
「あの……あちらの家への抗議はやめてくださいますか、父上?」
恐る恐る聞くと、父がうなずく。
「ああ、家としての抗議はしない。だが、人の口には上るぞ。そうなれば貴族の浄化作用があるだろう」
「『貴族の浄化作用』とは何でしょうか?」
「今回のようなことが聞こえれば、まっとうな家なら早めに正そうとするものだ。今のままだと、彼女は男遊びをする女とされるだろうし、命令した彼がこのまま当主になったら、分家も部下も見放す可能性がある。どれも家には迷惑だろう」
「家の抗議がなくても、結局叱られるということですか……」
そもそも自分がひっかからなければよかった、それが悔やまれてならない。
こほん、と父が咳を一つした。
「この件に関して、お前が気に病むことは一切ない。この話はこれで終わりでいいな?」
「はい、お時間をありがとうございました」
礼を述べ、オズヴァルドは執務室から出ようとする。
ドアノブに手をかけると、父が自分の名を小さく呼んだ。
「オズヴァルド――未練はあるか?」
「ありません」
振り返らぬまま、きっぱりと答えて部屋を出た。
・・・・・・・
ドアが閉まって十秒後、執務室の続きの間から三人が出てきた。
「うちの弟をなんだと思っているのだ。馬鹿にするにも程がある……!」
「オズは何も謝ることなどないというのに、家を心配して、優しい子……」
「家を思う気持ちはすばらしいですが、女性を見る目に関しては養う必要がありますね」
息子は声をなんとか抑えているが、怒りを隠せないでいる。
娘はほろりときているようだが、握っているハンカチがすでに四つに裂けている。
妻のいつもの微笑みは消え、無表情な人形のようになっている。
ここはゾーラ家当主として、自分は冷静な判断と対応が求められるだろう。
「うちの子を傷付けるなど、絶対に許さん……」
己の口から本音が漏れた。
「でも、なぜオズがそんな目に? 成績も優秀で、礼儀正しい子ではないですか」
「見目形で判断する愚か者はどこにでもいますわ、お兄様。オズヴァルドの穏やかな物腰とふくよかさがマイナスになったのでしょう」
娘が口を尖らせる。おそらくはその通りだろう。
「だから私は、お義母様にオズヴァルドを今少し痩せさせるようと申し上げたのです。なのに、また寝たきりになったときにすぐ死んでしまうといけないなどと……少しでも具合が悪くなるようでしたら実家に頼んで、いつでも神官を呼びましたのに」
生みの母ではないが、母としてオズヴァルドのことはきちんと見ていた妻だ。
ただ、オズヴァルドには祖母である母がつきっきりで――結果として、自分達に遠慮するようになっていた。
「でも、どうしてすぐお父様へ言わなかったのでしょう?」
「オズヴァルドは先ほどの話でも言っていただろう、家に迷惑をかけたくないと。相手にまで気を使い――あれは、優しすぎるのだ」
貴族には不向きかもしれぬ――心の中でそう思ったとき、ノックの音が響いた。
了承を告げると、メイド姿のドナテラが入って来る。
「失礼致します。書類が上がって参りました」
渡された紙は束だった。ここ三日で充分集めてくれたらしい。
ソファーに座ったまま、それを四人で回し読みする。
時間が経つにつれ、全員が昏い目になった。
家の情報部門の調査結果、そして、交流のある他家が教えてくれた話はこうだ。
オズヴァルドに嘘の付き合いを持ちかけた少女は子爵家。それを命じたであろう少年は侯爵家の長男で当主予定。
そこまでは翌日にはわかっていた。続きはそこからだ。
子爵家の少女は領地育ち、母はメイド。なまりが少しあるというのも影響したのだろう。初等学院から王都に移り、貴族少女達の間では少し浮いていた。
少女とよく一緒にいた――他にいなかっただけとも言えそうだが――もう一人の男爵家の少女、彼女がオズヴァルドが謝られた後ろで、少年と笑っていた者だった。
判断は簡単だ。
一人目の少女は悪用された共犯、二人目の少女は自分の意志による共犯、少年は主犯。
そして、万が一、息子が非礼をしていたのならば対応に加味しようと思ったのだが、その必要はなかった。
オズヴァルドが標的になった理由は、成績。
前回の基礎教養の総合点一位は別の侯爵家の子息、二位はオズヴァルド、三位は侯爵の息女。
同じ選択の歴史研究では、オズヴァルドの作文が最高点で、少年が次点。
『オズヴァルド・ゾーラは身の程がわかっていない』『灰色子豚のくせに』とあちこちで荒れていたとある。
友人達が窘めるのも聞かず、追従したのが男爵家の少女だ。
大変にわかりやすい嫉妬である。馬鹿馬鹿しすぎて笑えもしない。
「……次期侯爵には品性不足のようですわね」
大変冷えた声がした。
己の妻は伯爵家出身、自分よりこういった評価は厳しい。
「オズヴァルドより一つ上の年。家を悪用し、分家の女子に命じて、学友を悪意の網にかけるか。確かに品性はないな。お前達、似た状況で、自分より年下、爵位も下の者に嫉妬を覚えたらどうする?」
「私でしたら……もっと勉強し、成績を上げる努力をします。それで負けるのでしたら、相手を尊敬し、大いに讃えましょう」
「私はその子と友人になって、勉強を教えてもらいますわ。有能であればより上にいくでしょうし。友人は多い方が楽しいですもの」
「どちらも正解だ。さて、この侯爵家の長男だが、第二夫人の子とある。第一夫人の弟君と年齢は二歳差、成績はほぼ一緒だ。その下には第一夫人の妹君だな」
並べた書類には名前に年齢、交流する仲間と、細かな情報も書き加えられていた。
「ここからはどうするのが正解かしら?」
紅ののった唇が、貴族夫人らしい弧を描く。
「第一夫人のご実家の方が同じ魔導部隊におります。近々食事をご一緒し、交流を深めようかと。ああ、もちろん他の者も呼び、いい酒を多く出してもらうことに致します。ちょっと飲み過ぎるかもしれませんね」
「第一夫人の妹さんとは重なるお友達が多いですので、ちょっとお茶会をして参りますわ。気の置けない集まりですので、口が滑ってしまうかもしれませんが」
子供達の成長は及第点だ。とりあえず安心していいだろう。
「では、私も。本日実家に行かせてくださいませ、それで――」
「蔵から義母上好みの白ワインを持っていってくれ。私の秘蔵の箱を開けてかまわん」
三人はそれぞれ整った笑顔で部屋を出て行く。
自分が次にすることは、減量の医者の手配ともう一つ。
「ドナテラ、ご苦労だった」
「お言葉をありがとうございます」
「一つ、命令ではなく願いがある。来年で退職というのは延期してくれ。オズヴァルドが高等学院を卒業するまで、給与は割り増す」
「お受け致します」
ありがたいことに、当家情報部の頼れる情報員、母の直属の部下でもあった彼女は、ゾーラ家にまだいてくれるようだ。
年齢を理由に退職話をされたが、まだまだ残って欲しいところである。
「旦那様、私からも一つお願いがございます」
「なんだ?」
「オズヴァルド様は騙されたわけではなく、彼女の立場を哀れんでのお付き合い。彼女はただの愚か者、残り二人は品性下劣で貴族に値せず――この内容をきれいに叩いて、雀の餌にしてもよろしいでしょうか?」
『噂雀』という仕事がある。酒場や店で与えられた情報を撒く者達だ。
ドナテラは貴族界だけではなく、王都の端までも話を広げることを勧めてきた。
なるほど、それも悪くない。
「ああ、ドナテラの裁量でかまわん」
母の隣、いかなるときも冷静沈着で、賊が現れたときすら無言で倒した。
ドナテラならどんな仕事を任せても、私情なくきっちりやり遂げてくれるだろう。
「では、すぐに」
少々急ぎ足で出て行く彼女から、書類に目を戻す。
さて、自分はどこからいくべきか――そう悩み始めたゾーラ家当主に、ドアの向こうのつぶやきは届かない。
「……オズ坊ちゃんを泣かせるなど、滅べばよいのです……」