学院生オズヴァルドと灰と銀(中)
「オズヴァルド様、お目覚めですか?」
翌朝、オズヴァルドはくり返されるノックの音と、メイドの声で飛び起きた。
そして、はっとして鏡を見る。
目は真っ赤、顔はぱんぱんに腫れ――どう見てもまずい。
「具合が悪いので、今日は休みます」
「具合が? お医者様をお呼びしますか?」
「大丈夫です、たいしたことはありません」
メイドとその後にも少し話をしたが、なんとか部屋に入られずに済んだ。
しかし、これは目元を水で冷やすべきか、いや、そもそもいい加減にトイレに行かねば――
そう思っていると、さっきの二倍は強いノックの音がした。
「オズヴァルド様! 大丈夫ですか? 失礼ですがお顔をお見せください!」
しまった、祖母のメイドだったドナテラが来てしまった。
祖母に頼まれ、自分と一緒にいてくれることも多かった彼女だ。
脆弱な自分はこういうとき、とことん心配されるのを忘れていた。
「大丈夫です! 問題ありません!」
ここにおいて全力で元気さを表明してどうするのか、そう思いつつもドアに返す。
「だめですね。旦那様に伝えて、オズヴァルド様の部屋の鍵をお借りして――」
自分に意思表明の自由はないのか、そう思いつつ、オズヴァルドはドアを指三本分ほど開ける。
そこには、背が高く、がっしりとした体格のメイドがいた。
「その……大丈夫なので、一人にしてほしいです……」
「オズ坊ちゃん……!」
願いの言葉と、ドナテラの表情が歪んだのは一緒だった。
なつかしい呼び方をされ、とてもバツが悪い。
「それぞれ持ち場にお戻りください。オズヴァルド様は軽い風邪のようですので、私が付き添います」
他にも控えていたメイドと従僕が戻っていったらしい。
周囲から気配が消えると、ドナテラが低い声で告げてきた。
「『白の客室』の浴槽に湯を張ります。熱は下がられたようですから、そちらでさっぱりしてはいかがですか?」
「……ええ、そうします」
白の客室は一人客用で、小さめだが浴室もトイレも続きの間にある。
足が悪い客や高齢の方が希望すれば使うところだ。
他にも、病気で部屋の外のトイレまで行き来をしたくないとき――吐き気がひどいときや、お腹を壊したときにも使われ――オズヴァルドは過去に何度も使っている。
熱で廊下をふらついたときなどは、ドナテラにひょいと抱き上げて運ばれたものだ。
「廊下は人払いを致します。参りましょう、オズヴァルド様」
『オズ坊ちゃん』から、呼び名が元に戻った。
けれど、自分はあの頃と同じく、彼女に守られたままだった。
白の客室に移動した後、浴室でゆっくり湯を浴びた。
その後に顔を水で冷やしたが、やはり目は腫れている。今日一日はこのままかもしれない。
用意してあったパジャマに着替えると、ため息と共に部屋に戻った。
「オズヴァルド様、ベッドで休んでくださいませ」
ドナテラに言われるとおりにベッドに入ると、彼女はワゴンを押してきた。
そして、ベッドサイドテーブルを自分の高さに合わせ、枕に寄りかかる形で食事ができるようにしてくれる。
病人ではないのだが、本日は心が折れかけているので、素直に従うことにした。
テーブル上に並べられたのは、パン粥にホットミルク、オムレツとサラダ、カットフルーツ。
色とりどりできれいなのだが、なぜか食欲がわかない。
とりあえずパン粥を口にしたが、いつもの甘さは感じられなかった。
「お口に合いませんでしたか?」
「いえ、風邪のせいだと思います」
そのまま、無理にパン粥の匙を口に運ぶ。
『しっかり食べないと強くなれませんよ』、そう自分に言って笑む祖母を、不意に思い出した。
食べても強くはなれなかった。
むしろ丸い子豚のような自分は、醜い上に弱く――そう思ったとき、ひどい吐き気がこみあげてきた。
匙を戻し、オズヴァルドは口をナフキンで強く拭う。
「下げてください。まだ食べられそうにありません」
「……オズヴァルド様、何があったか、私にお聞かせ願えませんか?」
とても心配そうな緑の目に、口を開きかけて閉じる。
自分が情けなさすぎて、どうしても言えない。
それに、言ったところでどうにもできぬのだ。不快なことを聞かせたくはない。
「……ちょっと疲れただけです。少し休めば治ると思います」
「それまで数日、こちらで過ごされますか?」
「そうします」
助かった、と思った。
これで腫れた情けない顔を他に見られずに済みそうだ。
「それと――オズ坊ちゃん、お願いが一つありまして」
「なんですか、ドナテラ?」
「坊ちゃんは風邪、私が付き添いということで、お部屋においてもらっていいでしょうか?」
「かまいませんが……」
「年のせいで少々腰が辛く。坊ちゃんの看病を理由に、さぼらせて頂いても?」
真面目な表情で言いきった彼女に、思わず固まってしまった。
祖母よりは若いが、その黒髪の半分は白い彼女。それでも歩く足取りはきびきびしている。
きっと無理な理由をつけても、他から隠し、自分の面倒を見てくれるつもりなのだ、そうわかった。
「ええ、そうしてください」
オズヴァルドはようやく、少しだけ笑えた。
それから三日、オズヴァルドは白の客室にこもった。
本当に風邪気味だったらしく、食べ物の味はよくわからないままだった。
おかげで食事量は半分以下になり、水ばかり飲んでいた。
時間だけはたっぷりあったので、冒険者について書かれた本や魔導具の本をたくさん読んだ。
隣国語の本はドナテラが読んでくれた。
学院でのことを思い出す度に胸がきしんだが、四日目の朝、家族との朝食をとろうと思うぐらいには回復していた。
「おはようございます、皆様。ご心配をおかけしました」
食堂にそろった家族に謝罪の言葉を口にする。
忙しく、朝はあまりそろわぬ家族だが、今日は父母と一番上の兄、なぜか嫁いだはずの姉がそろっていた。
「無理はしていないか。オズヴァルド?」
「大丈夫なのですか、オズヴァルド?」
父母に続けて尋ねられ、苦笑しつつ大丈夫だとくり返す。
ここ一年半ほどは寝込んでいなかったのだが、虚弱な頃に戻ったと思われたのだろう。
少し口数少なく、朝食が始まった。
しかし、いつものようにオレンジジュースを注がれかけ、メイドに水に代えてもらう。
食欲はまだ戻らず、なんとかハムを口にしたが、塩気がひどくぼけて感じる。
「オズ、まだ調子が悪いのだね?」
「大丈夫です、兄上。昨日まで寝ていたので、食欲がないだけです」
そう答えると、母親譲りの水色の目が伏せられた。
兄こそ大丈夫なのだろうか、いつもの笑みが見えないのでつい不安になる。
「姉上、お久しぶりです。あちらのお家は、皆さんお変わりありませんか?」
沈黙に耐えかね、姉に話題をふった。
「ええ、皆様元気ですよ。今度、オズヴァルドも遊びにいらっしゃい」
艶やかな銀髪の姉は、嫁ぎ先でもうまくやっているらしい。
いつもながらの優雅な笑みに、我が姉ながら見惚れる。
結局、姉とだけ話して朝食は終わった。
オズヴァルドの皿は、どれも半分も空かなかった。