服飾魔導工房長ルチアと昼食会
午前のお茶の時間、服飾ギルドのストック室前は陽光が淡く差していた。
廊下に立つ布管理の青年は、一度だけ大きく深呼吸する。
間もなく、この廊下を小柄な緑髪の女性が早足で歩いてくるはずだ。
なんとなく布の色見本を握りしめつつ、落ち着かない気持ちになった。
ルチア・ファーノ。
艶やかな緑の髪に深い青の目。
小柄ではあるが、か弱い感じはない。
最初に見た印象は、ちょっとかわいい女の子、ぐらいだった。
だが、布の相談を受け、共に仕事をし、周囲とのやりとりを聞いて理解した。
リスを思わせるようなかわいらしさと、服について語る真剣さ、仕事を手早くこなすかっこよさ、悪口にも一切ぶれない強さ――しっかりした大人の淑女だった。
なお、自分より一つ年上と聞いて大変驚いた。
もう少し話をしてみたいとは思うものの、その一歩が踏み出せない。
ルチアの横にいることが多いのは服飾ギルド長のフォルトゥナート、そして、服飾魔導工房の副工房長ダンテ。元魔物素材の担当で、本人も切れ者と評判の服飾師である。
父が男爵の自分の目から見ても、二人ともまぶしい存在だ。
今日は服飾ギルド長は朝一番から王城、共にいることの多い服飾魔導工房の副工房長もそちらに同行したという。
よって、彼女は服飾魔導工房の仲間はいても、鉄壁の守りではない。
この機会を逃せば話をすることすらできないかもしれない――それが自分の背中を押した。
結果、自分から布見本を受け取り、ストック室でボタンを探すというルチアを、追いかける形でここにいる。
「白蝶貝のボタン、きれいなのがあってよかったです!」
「ええ、チーフ。ちょうどいい大きさね」
ドアが開き、ルチアが白い小さな紙ケースを持って出てきた。
おそらく探していたボタンが入っているのだろう。
一緒に出てきたのは金髪の美女、こちらも服飾魔導工房の者だ。ルチアの補佐をしていると聞いている。
「あ、ライネッケ様! 布の方で何かありましたか? 在庫が足りないとか――」
「いえ、そちらは大丈夫です。その、ファーノ工房長、よろしければランチを、ご一緒しませんか? その、お話をしたく――」
過去、女性にこういった誘いをかけたことはない。見事に声が上ずった。
勇気を出して全力で頑張ってみたが、やはり自分には向いていないのかもしれない。
案の定、ルチアの青い目はとても丸くなる。
逆に横にいる女性の目は、すうと細くなった。
「ありがとうございます。ええと……」
彼女が一応の礼を返してくれた。
だが、おそらくは断りの言葉を探しているのだろう。その視線が、自分の持っている布見本に止まる。
「今日、服飾魔導工房で屋台のクレスペッレを食べるんですが、ご一緒しませんか?」
「ありがとうございます。ぜひ」
屋台の食事というのには驚いたが、わずかな機会も逃したくはない。
昼の時間、服飾魔導工房へ伺うことにした。
・・・・・・・
「お待ちしておりました」
服飾魔導工房へ行くと、自分のことは待っていないだろうと思われる金髪の女性が迎えに出てくれた。
挨拶をし、案内に従って奥へ進む。
通された部屋では、丸テーブルの皿の上、色々な種類のクレスペッレが並べられていた。
中身は肉に魚介、チーズに果物の砂糖煮――うまそうな匂いに腹が鳴りそうだ。
なお、代金の支払いは金髪の女性の方にぴしゃりと断られた。
「ライネッケ様は、紅茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
「コーヒーでお願いします」
工房員らしい者に勧められ、ありがたく受けた。
「では、皆で食べましょう!」
「どれからいくか迷うわ……」
「全種制覇を目指すか!」
和気あいあいとしたこの中に交ぜてもらうのは、部外者の自分としてはちょっと申し訳ない。
だが、取り皿にそれぞれが好みのクレスペッレを取って食べ始めると、周囲はすぐ会話に満ちた。
自分の斜め向かいに座ったルチアには、布のことをひたすらに聞かれたので、すべて答えた。
「ライネッケ様、魔糸の布の染料には魔物系がありますよね? あれ、時間で変質はしないんですか?」
「管理にかなり気を使うそうです。あとは使う前ぎりぎりに調合することが多いですね」
「なるほど! あと裁断はやはりミスリルのハサミですか?」
「はい。全部ミスリルは高いので、刃部分だけに貼ったものですが」
気がつけば、ルチアだけではなく周囲の者とも話していた。
爵位や仕事の上下関係が、この場ではまるで感じられない。
不思議なほど楽しかった。
おかげで、昼の時間が終わるのはあっと言う間だった。
招きを頂いた礼を述べ、なんとか次の約束を――そう思いつつ、見送りに出てくれたルチアに声をかける。
もちろん、隣にはあの金髪の女性付きだ。
「ファーノ工房長、よろしければ、もう一度お話しする機会を頂けませんか?」
「かまいませんが、できれば早い方が――ここで伺ってもよろしいでしょうか?」
にこやかな笑顔で言われた。
これは『一度だけ食事に付き合ってやったから、仕事に差し支えぬよう、さっさと淡い想いを吐いて忘れなさい』ということか。
見た目はとても若く、いや、幼くも見えるのだが、やはり年上。
しかもルチアは服飾魔導工房長をするほどなのだ。しっかりしていて当然だろう。
自分は彼女より一つ下。
結果がわかっていても割り切れず、あがくような一言が口をついた。
「わかりました。では失礼して――私は、ファーノ工房長の側にありたいと思いました」
好きというほど知ってはいない。憧れというほど遠くはない。
ただその近くでずっと話せたら――今までの楽しさに、そう思ってしまったのだ。
過去形なのは、あがいても、あなたに未練がましくまとわりついたりはしないという、ぎりぎりの己の矜持で――
「ありがとうございます、ライネッケ様! では、私の方で、服飾魔導工房への異動をフォルト様に願ってみます!」
「はい……?」
すばらしくいい笑顔のルチアに、思考が停止する。
「本当に早くおっしゃって頂けてよかったです! 微風布から、布にくわしい方を探していて、服飾ギルドで良さそうな方があればと言われていたんです。でも、皆さん今の仕事がありますから、服飾魔導工房に異動をお願いするのは申し訳なくて……」
「え、ええ……」
違う、そうじゃない。
いや、待て、『良さそうな方』に入っているならば、可能性はゼロではないのか。
髪の毛一本、いや、二本くらいはあってほしいのだが――ぐるぐると回る思考は、彼女の言葉ですっぱりと切られる。
「お給料は今より少しだけ上げられます。ただ、服飾魔導工房はさっきみたいな感じで仕事をしているので、貴族の方には失礼に聞こえることがあるかもしれません。そこはご理解頂きたいです」
思い出してもまったく気にならなかった。
むしろ服飾関係の話をざっくばらんにするのはとても楽しく、ギルドより気負いなくいられた。
それに、微風布に関しては大変に興味があり、詳細を尋ねたこともある。
これはルチアのことを抜きにしても、いい機会かもしれない。
「布にとてもくわしいライネッケ様とお仕事ができたら、服飾魔導工房はもっと楽しくなりそうです!」
まっすぐな声と共に、澄んだ目が自分を見る。
まるで青空花のような、その青。
今まで周囲を漂うだけだった小さな花弁が、胸に刺さった気がした。
どうやら、ここからが本当の始まりらしい。
「服飾魔導工房員として、全力を尽くさせてください。よろしくお願いします、ファーノ工房長」
ルチアが服飾ギルド長に『ライネッケ様をください!』と願ったのは、この日の夕方。
青年が笑顔の少し怖いギルド長から異動を打診されるのは、その翌日のことである。
『魔導具師ダリヤはうつむかない』6巻×『服飾師ルチアはあきらめない』、4月24日刊行です。どうぞよろしくお願いします。




