美容師イルマの父と運送ギルドの運送人(後)
『魔導具師ダリヤはうつむかない』6巻×『服飾師ルチアはあきらめない』、4月24日本日刊行です。どうぞよろしくお願いします。
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二週間と二日後。
自分と妻、そしてイルマの待つ家へ、その男性がやってきた。
息子二人も会いたがっていたが、まずは大人だけの話ということで、それぞれ仕事へ行かせた。
「はじめまして、マルチェラ・ヌヴォラーリと申します」
玄関ドアがいつもより小さくなった気がする。
自分より一段高い背、肩幅は広く、その身体は鍛えていると一目でわかった。
確かに、少しいかつい顔立ちではある。
おろし立てであろう糊の利いた白いシャツと茶のズボンが、気合いを告げていた。
一時、右手と右足を一緒に廊下を歩くあたり、自分と同じ程度には緊張しているようだ。
廊下の先、顔を出した灰に黒の虎模様の猫が、キシャーと高い声を上げる。
そして、逆毛を立てて彼を威嚇した。
流石、イルマが拾ってきた猫である。娘を守ろうというのだろう。
「マルチェラさん、ごめんなさい、うちの猫が!」
「いや、悪いのはこっちです。昨日も猫避けの薬草箱を運んでたので、匂いがついているのだと……よく洗ってきたつもりでしたが、すみません」
「もう、お前は今日はこっち!」
猫はイルマに捕まえられ、隣の台所に置いてこられた。ナアナアと仲間外れを嫌う声がもの悲しい。
運送という仕事柄、いろいろな物を運ぶのはわかる。
しかし、我が家の猫に好かれない、減点一。
居間に入ると、ようやく四人でテーブルにつき、挨拶を交わした。
「ヌヴォラーリさんは、うちのイルマと、どちらでお知り合いに?」
「父さん、それはあたしが美容師の試験で、モデルさんの都合が悪くなって、ちょうど道を歩いていたマルチェラさんにお願いしたの!」
「……はい、そうです」
娘に説明させてそれから話す、減点二。
口が立つ方ではないらしい。
あと、やはり髪を切ったことからの縁らしい。むしろ、なぜそこで縁も一緒に切れなかったのか。
「イルマとの付き合いに許可をとのことでしたが、それは結婚を見据えてのことですか?」
「と、父さん、いきなり結婚の話なんて!」
イルマが声を上ずらせているが、家族に交際の許可を求めるというのは、その可能性があるということだ。
早めに先に確認しておきたかった。
「はい、そのつもりです」
即答した男は鳶色の目をまっすぐ自分達に向けてきた。
娘が真っ赤になっているが、辛いので視界から外しておく。
「イルマさんとの交際をお許し頂きたく参りましたが、その前に、私の事情についてお話ししなければいけないことがあります。イルマさんにはすでに話しておりますが、ご両親に反対されるのであれば、きっぱりあきらめます」
最初からあきらめることを前提にするような男を、娘の隣に置けるわけがないだろう。
ちょっとばかりむっとした。
しかし、ドミニクからは聞けなかったが、もしや転職を考えている、他国で事業を始めたいなどもあるかもしれぬ、そう考えてうなずく。
「いいでしょう、伺いましょう」
「私の今の父母は、叔父と叔母です。生みの母は花街で働いていて、俺を産んで亡くなりました。父は不明です」
重い話を始める、強い声。
すぐ相づちを打つことができなかった。
だが、マルチェラは淡々と話し続けた。
今の父母に引き取られ、養子と知らずに育ったこと。
運送ギルドに勤め、馬車の事故で死にかけ、後発魔力で魔力上がりしたこと。
人に言わずにいる魔力数値は十四。
魔力が二のイルマと差は十二。結婚しても、おそらくは子供は望めぬこと。
この男は、恋人でもない女の父母に、何を馬鹿正直に話しているのだ?
周囲に知られてもいない、自分達にも黙っていればわからないことばかりではないか。
そもそも魔力十四といえば、最低でも伯爵家、侯爵子息だと言われてもおかしくない。
自分達が貴族に一言でも告げれば、その身は簡単に『飼われる』。
いいや、そもそもその数値なら、貴族でも裕福な商人でも喜んで養子にし、妻でも愛人でもあてがってくれるだろう。
「それだけの魔力を持っていて、貴族に養子に入るか、仕えることは考えなかったのですか?」
「俺は、いえ、私は、庶民で運送ギルド員です。ずっとそうありたいと思います」
迷いない声に、さらに問いかける。
「ヌヴォラーリさんにとっては重い秘密でもあるそれを、なぜ私達に?」
同情を買いたいのか、それともここまで話すのだからという脅しか。
自分の子供がからむことなのだ、慎重にこの者を見極めておきたかった。
「イルマさんのご両親ですから。私は、イルマさんを幸せにしたいと思っています。ですから、家族に反対されながら、私と共に生きていくようなことをさせたくありません」
「私は反対されても……!」
「イルマさん、わかって欲しい。ただ好きなだけじゃ一緒になっても幸せにはなれない、俺はそう思う」
ドミニクの言葉を、不意に思い返す。
『彼は自身の幸せに関して、「あきらめが早い」ところがあるかもしれません』
それに重なるように、マルチェラの声が響いた。
「イルマさんの隣にあって、ご家族にも友達にも認められて、応援されるような男でなきゃ――いや、それを言うと、俺は本当に外れなんだが……」
まったく、本当にあきらめの早いことだ。
今のこの男に、かわいい娘と共に歩むことを許せるものか。
「それなら今のまま、友達でいい! お茶をして話すだけで、結婚しなくても、恋人にならなくてもいいわ」
「イルマは結婚しなくても、子供がいなくても、ヌヴォラーリさんがいれば本当にいいの? この先、ずっと後悔しないと言いきれる?」
「ええ! 彼と一緒にいる時間があれば、それでいいわ。あとは美容師の仕事にがんばって、店を開くから!」
妻が容赦ない問いを投げたのを、強い声で打ち返す。
その声は、さきほどのマルチェラと、どこか似ていた。
まったく、しっかり育ってくれたものである。
「ヌヴォラーリさん、君は、イルマを幸せにしたいと思っていると言ったな?」
敬語を外して尋ねたが、彼は驚きもせずうなずいた。
「はい、そう思っています」
「そもそも、それがまちがいだ」
「父さん!」
「うちのイルマは手に職もある、しっかりした大人だ。誰かに幸せにしてもらうような、か弱い子ではない」
マルチェラが謝ろうとして口を開きかけたが、その先は言わせない。
「二人で幸せになりなさい。それが目指せるなら、結婚を前提とした交際を見守ろう」
「父さん、ありがとう!」
「ありがとうございます……!」
テーブルの向かい、二人が互いの手を取る。
ここで少しなら抱き合っても怒りはしないつもりだが、口にしない。
だが、ものの数秒ではっとして手を離し、そのまま距離をとって顔を赤くする二人を見ると――こちらがこう、なんとも落ち着かない。
妻を見るとにこにこと笑っていたが、膝に置いてあった手がスカートをしっかり握りつかんでいる。
その薄青の目は、ちょっとだけうるみ――互いにそっと笑った。
テーブルの向こう、椅子の上でそれぞれ固まる二人へ、コホンと咳を一つする。
「『マルチェラ君』と呼んでいいかな? だいぶ緊張しただろう。もう楽に話してくれないか」
「はい、『マルチェラ』で。緊張というか、その、こんないかつい顔の男が来たら、心配されて当然だと」
「マルチェラさんはいかつくないわ! かっこいいだけよ! うちの父さんだって気難しい顔って言われるけど、知的系なだけだし、本当に優しいもの!」
今、父は大変複雑である。どう口をはさんでいいかわからぬ。
妻はくすくすと笑い、やはり何も言わない。
自分の逃げ道は、自分で作るしかなさそうだ。
「マルチェラ君、せっかくだ、夕食を食べていくといい。腕をふるおう」
「え? おじさんが料理を?」
「あ、教えてなかったわね。うちは父も母も料理をするの。母さんは煮物が特においしくて、父さんは炒め物が得意なのよ」
「そりゃすごい! 俺はいつも炒め物を焦がしてしまって――」
娘の父母自慢に、マルチェラが尊敬のまなざしを向けてきた。
「二人でここでお茶でも飲んでいて。さてあなた、台所に行きましょうか」
妻が自分の肩を叩く。ちょっと痛かった。
「そうだな。ああ、少し追加で買い出しをしてこよう」
「そうね。あの子達も夕食には帰ってくるし、少し多めに作ってもいいわね」
この日、我が家で過去最高の皿数がテーブルを埋め尽くした。
・・・・・・・
「ただいま!」
夕暮れ、一番遅く帰ってきた弟は、サブテーブルと棚まで埋め尽くした大量の料理に目を丸くする。
そして、父の隣に座る鳶色の目の男に、少し驚きつつも挨拶をした。
ちょっと怖そうに思えたが、笑顔は優しい感じがする人だ。姉もいい笑顔だった。
二人の交際は、どうやらうまいこと認められたらしい。ほっとした。
しかし、部屋の隅、時折その緑の目をテーブルに向ける猫はどうしたのか。
目の前には、好物の魚の切り身を蒸した皿があるのだが、あまり手をつけていない。
いつものように姉の足元にも行かず、かまえと甘えた声を出すこともない。
普段、来客にもそう警戒する猫ではないのだが――
近寄って状態を確認し、あちこち撫でてみたが異常はなさそうだ。
だが、わからぬところに怪我をしていたり、病気ということも考えられる。
「お前、明日、獣医さんに診てもらうか?」
じろりと自分を見た猫は、ぺしりと尻尾で床を叩き、魚の蒸し物を食べ始めた。




