美容師イルマの父と運送ギルドの運送人(前)
「あの、父さんと母さんに、会ってもらいたい人がいるの……」
娘から、人生最大に聞きたくない言葉が聞こえた。
夕食が終わり、これから皆で片付けをというときに、イルマが真面目な表情を自分に向けた。
妻も知らなかったらしい。目を丸くしている。
「姉ちゃん、恋人を連れてくるの?」
「なに、結婚の挨拶とか?」
息子達が片付けの皿を持ったまま、目を輝かせている。
待て、恋人ができたという前に、イルマには男友達もほぼいなかったはずだが、いつの間に――
少しばかり目を細めて娘を見れば、両手を白くなるほど握りしめ、口を引き結んでいた。
どうやら本気らしい。
「会ってもらいたい人とは?」
「ええと、男の人で、友達……」
恋人とは言いづらいのか、イルマが微妙な声音になる。
「姉ちゃん、家に連れてくるって、その男の人、友達じゃなくて恋人だろ?」
「違うわ。手をつないだこともないわよ」
弟の質問に安心する。どうやら本当にまだお友達らしい。
「イルマ、男友達との付き合いまで気にしなくてもいいのよ。あなたももう大人なんだし、美容師の試験も受かったんだし。結婚を考えるような人ができたら連れてくればいいわ」
妻が安心を引き剥がす。
確かにイルマはもう結婚のできる年齢だが、それとこれとは別である。
王都では古い考えかもしれないが、できれば男友達とてしっかりした安心な者にしてもらいたい。
「じゃあ、結局、姉ちゃんの男友達が遊びに来るだけ?」
「その、あたしが、ちゃんとお付き合いしたいの。その人と」
「別にそれならそれで、一度付き合ってみたら? 他の人と一緒に会う形で」
「それでも、ご家族に交際の許可をもらわないと付き合えないって、だから、会ってほしいの」
「どんな方だ? もしかして、貴族に籍を置く方か?」
交際の許可をもらってからといえば、結婚前提の交際――庶民というより貴族の話である。
思わず心配になってイルマに尋ねた。
「貴族じゃないの。マルチェラ・ヌヴォラーリさんていって、運送ギルドで運送人をやっている人で、背が高くて、考え方がしっかりしてて……」
たどたどしくも、どこまでもその男性の話を続ける娘に悟った。
相手に入れ込んで、完全に前が見えなくなっている。
にっこりと笑む妻と、姉へとても不思議なものを見る目を向けている息子達。
どちらもイルマの話を止めることはない。
恋は盲目。
これに関しては自分もよく知っているので、わからなくもない。
幼馴染みのカルロとも話したことがあるが、ここで娘を厳しく注意したり、頭ごなしに反対したりしたら、父親として嫌われるだろう。
最悪、『お父さんのわからずや!』とか『二人で住む!』とか言い出し、家を出て行かれる可能性さえある。
それだけは絶対に避けたい。
まずはよく話を聞き、身元を確認、そして本人に会って判断するべきだろう。
あまりな男であれば、表立って反対せずにとことん調べ上げて問題点を指摘するか、それを理由になんとか引いてもらう方法を考えるのもありだ。
自分とて、長年、各種小売店やら職人の経理人をやってはいない。
多少は顔が利くのだ。
まずは、マルチェラ・ヌヴォラーリという男の身元を確かめようではないか。
「わかった、イルマ。仕事の関係もあるだろうから、二週間以上先で、都合のいい日を伺ってきなさい」
「ありがとう、お父さん!」
いつもの笑顔のはずなのに、ちくりと胸に痛かった。
・・・・・・・
「ヌヴォラーリさんについてはこんなところですね。いい青年だと思いますよ」
食堂の二階、区切られたスペースで話を聞いた。
教えてくれたのは仕事で取引の多いドミニク・ケンプフェルだ。
年上ではあるが、長い付き合いで、時折昼食を共にする仲である。
商業ギルドの公証人の彼は、運送ギルドの関わる仕事も受け持っている。
あちらのギルドに親しい友もいるとのことで、『マルチェラ・ヌヴォラーリ』について、人となりを聞いてもらったのだ。
結果、イルマより少し年上、仕事をまず休まぬ健康体。
運送ギルドの運送人では中堅、堅実な仕事ぶりで信頼されている。初等学院卒業だが、いずれ役付けになるのではないかということだった。
家は父母、弟達との暮らし。ご近所からの評判もよかった。
犯罪歴もなし。一度、喧嘩で衛兵所へ連れて行かれたことはあるが、これは子供を連れ去りから守り、犯人達を殴り倒したためだ。
このとき、逆に犯人にされかかり、子供は大泣きで判断できず――全員が衛兵所へ行き、事実関係確認後に解放されたそうだ。
ちょっと同情した。
「伺うかぎり、とても良い方のようですが、なぜ今まで独り身なのでしょうか?」
「まあ、『良物件は売り切れ多し』と考えますよね」
ドミニクが白い髭を撫でつつ、少し困ったように笑う。
『良物件は売り切れ多し』――オルディネ王国の諺だ。
良い条件の独身は早く結婚しやすい、残っている場合は何らかの問題があるか考えろという意味である。
それと、この国では、独身主義、特定多数と付き合う自由恋愛などで、結婚を選ばぬ者も多い。
もしそうだった場合、娘がどうするのかが気がかりである。
「ただ、おそらく見た目ではないかと。身体が大きく、少々怖いというか、いかつい感じもある方ですので。でも、少し前に髪型を短く変えてから、かっこよくなったと評判がいいですよ」
「髪型を変えた……なるほど」
娘との接点がわかった気がする。
美容室の客か、練習用のカットモデルか、その髪を切ったのがイルマかもしれない。
このあたりはイルマが話してくれるまで――できるだけ待つことにしよう。
「他に気にかかることなどはなかったでしょうか?」
ドミニクに尋ねると、彼は顎を押さえて目を伏せる。
「そうですね……もしかすると、彼は自身の幸せに関して、『あきらめが早い』ところがあるかもしれません」
「それは、ダメではないですか?」
すぐに幸せをあきらめるような男と、娘を一緒にさせたくはない。
そう思って聞き返してみたが、ドミニクは残りのコーヒーを飲み干していた。
「一度お会いになるのでしょう? それで判断するのが一番ですよ」
どうやら、結局は自分の目に頼ることになるらしい。
ドミニクに丁寧に礼を述べ、支払い伝票を持って立ち上がった。