魔導具師見習いラウルと白い刺繍ハンカチ
本編「赤いサルビアの味」(https://ncode.syosetu.com/n7787eq/129/)の、ラウルのお話です。
「あの、ゾーラ様、受け取ってください!」
顔だけは見たことのある金髪の少女が、ラウルに白いハンカチを両手で差し出した。
おそらく初等学院の後輩――それしか記憶がない。
「ありがとうございます。ですが、私はまだ若輩、お気持ちにお応えはできません」
「かまいません、受け取って頂けるだけで……」
頬を染め、緊張で指先を震わす少女を、かわいいとは思う。
だが、それは幼子や小動物がかわいいとか、そういった感覚と似ている。
「わかりました。ありがたくお受け取り致します」
笑顔を作って受け取ると、ハンカチの下に小さなカードがあるのに気づいた。
少女は顔を赤くしたまま、急ぎ足で去って行った。
その先には、よく似た金髪のご夫人がおり、そちらには会釈された。
どうやら、店の顧客らしい。
ここは魔導具店『女神の右目』。
父オズヴァルドが商会長を務めるゾーラ商会、その貴族向けの魔導具を置いた店である。
実際の魔導具の見学と共に、父から魔導具について説明を受けるため、ここのところよく来るようになった。
「ラウルエーレ様、商談が終わりましたので、オズヴァルド様がご一緒にお茶をと――あら、『刺繍入りハンカチ』ですか?」
やってきたのは黒髪の美しい女性――父の第三夫人のエルメリンダだ。
彼女の笑顔に、ラウルは気負いなくうなずいた。
「そうだと思います」
こういったものをもらうのは初めてではない。
初等学院でも三枚ほどもらっているから、これで四枚目――だが、心はまったく浮き立たなかった。
白いハンカチに刺繍を刺したものは、貴族では『あなたは私の初恋の人です』という意味がある。
なかなかに価値が重いとされ、恋人や婚約者がいない場合、一応は受け取るのが礼儀だ。
また、結婚を考えていない、もしくはあなたとの可能性が一切ないという場合は受け取らなくてもよいのだが。
『想いを告げてきた相手を、むやみに傷付けるものではありません』という母の教え通り、受け取ることにしている。
ただ、受け取っただけで勘違いされかけた――二枚目で婚約の打診が父に来たことがあるので、『まだ若輩故、お気持ちにお応えはできません』と付け加えることにした。
このあたりは父の教えである。
「革ケースか、ガラスケースを準備しますか?」
「いえ、紙封筒で結構です」
紙封筒に入れて、他のハンカチと一緒に箱の中に入れておこう。
そういえば、父から、誰からもらったかはメモしておくように言われたが――さっきの少女の名前がわからない。
表は、型押しされた薔薇の花。
カードを開いて見たら、一文と名が書かれていた。
『 我が愛しの人へ
ダリア・グッドウィン 』
「……っ!」
ラウルは膝から崩れ落ちそうになり、一歩よろめいた。
頭の中に浮かんだのは、赤髪の先輩魔導具師の美しい笑顔。
名前が一文字と姓が違っていれば、いや、そうではない。
名前の問題ではなくて、差出人の問題で、いや、そんなことを考えるのはどちらにも失礼で――脳の回路が一瞬で混線した。
いろいろと言いたいことはあるが、ここまで偶然に悪意を感じたのは初めてだ。
「大丈夫ですか、ラウルエーレ様?! 貧血ですか?」
肩を腕で支えてきたエルメリンダの前、ぱらりとカードが落ちる。
白地に大きめの黒文字は、とても視認性がいい。
互いに数秒固まり、ラウルは黙って床のカードを拾い上げ、ポケットにハンカチごとしまった。
エルメリンダは眉間に思いきりシワを寄せ、目を伏せている。
自分はもうどんな顔をしていいのか、どんな顔をしているのかわからない。
「……ラウルエーレ様……その、この先がありますから、きっと……」
ようやく続けられた声は、迷いに満ちていて。
言いづらそうに、それでも本当に心配してくれているのがわかる。
エルメリンダはラウルにとっては父の妻。
貴族上の考え方で言えば、母の一人ということになる。
だが、父より自分に近い年齢の彼女を、どうにもそうは受け取れなかった。
父についても、つい最近まで避けていた。
独身時代は派手に浮き名を流し、その冷たさに最初の妻は逃げ、母と実家の爵位を利用して仕事をしている、魔力の少ない魔導具師――そんな勝手で愚かな思い込みで。
父が本当に実力のある魔導具師なのだと教えてくれたのは、ダリヤ先輩だった。
世辞だろうと思った自分に、魔導具師オズヴァルドのすごさを懸命に教えてくれた。
その姿につい勘違いをし、父との婚姻を尋ねるなど、思い返すにも失礼なことをしてしまった。
いや、それ以前に最初の出会いが最低である。
なぜ自分はあのとき、庭でサルビアの蜜など吸っていたのか。
ダリヤ先輩が一緒になって吸ってくれるという優しさをみせてくれたから救われたが、思い出しても恥ずかしい。
だが、あれがなかったらダリヤ先輩とは出会えていないわけで――それでもあの偶然に関して、やはり納得がいかない。
「ええと……蠍酒では強すぎますから、蜂蜜梨酒でもお持ちしますか……?」
エルメリンダの萌葱色の目が、迷いに揺れて自分を見る。
心配してくれるのはありがたいとは思う。
しかし、16歳にいまだ届かず、未成年である自分に酒は勧めないでほしい。
少しだけ、飲みたい心境になってはいるけれど。
「では、蠍酒をください。まだ成人していないので匂いだけ嗅ぎます、『エル母様』」
「……え……?」
ぎぎぎ、首に油をさした方がいいのではないかと思えるように、彼女が首を斜めに傾ける。
「い、今、何と、ラウルエーレ様?」
第一夫人である母に、以前言われた。
『いつか、あなたが呼べるようになったら、『フィオレ母様』『エル母様』と呼びなさい』と。
そんな日はこないと思ったのだが、どうやら自分は――みっともないところを見せまくっているし、避けたこともあるのに思いきり心配されているらしいし、確かに家族ではあるのだし。
いろいろと思うことがないとは言わないけれど、それでも本日この日から、母と呼ぶことにした。
「『ラウル』でいいです、エル母様。家族で取り繕うのも疲れますので」
「……ラ、ラウル……」
名を小さく呼ばれ、両手をとられた。
ぽろぽろとその萌葱から涙がこぼれ、口を開きかけ、次の言葉が出ぬままに自分を見る。
ラウルもまた、何と返していいかわからなくなった。
「エル、ラウル、紅茶が冷めてしまいますよ」
紅茶の時間には遅れてしまったらしい。
二階からオズヴァルドが下りてこようとしていた。
「二人とも、何かありましたか?!」
ひどく心配そうな表情となった父が階段を駆け下り、あと一段のところで踏み外す。
「オズ!」
「父上!」
転倒した父への説明は、困難を極めた。