魔物討伐部隊員ジスモンドと卵料理(前)
本編「森大蛇の不運」(https://ncode.syosetu.com/n7787eq/156/)でグラートと話していた、いつも共にいる騎士のお話です。
「一人あたりベーコン二枚と卵二個、チーズ一つだ、各自持っていけ!」
青空をよぎる鳥の声より高く、食材を分ける男の声が響く。
冷蔵ケースから取り出され、魔物討伐部隊員達の皿に載せられるのは、言葉通りベーコン二枚と生卵二個、小さなオレンジ色のチーズである。
ここは王都から馬で半日の遠征地。
魔物の討伐は昨日夕方で終わり、本日はここから街道確認をしつつ、帰還する予定だ。
「おはようございます!」
「おはようございます……」
魔物討伐部隊員は、ある者はいい笑顔で、ある者は夜警の疲れを残しつつ、食材を受け取った。
あとは各自が遠征用コンロの上、朝食を自分で作ることになる。
「今日はベーコンも入れて、チーズオムレツにしようかな」
「凝ってるな。俺はチーズはスープに入れて、ベーコンエッグにするか。カークは?」
「スクランブルエッグとカリカリベーコン、パンにチーズです!」
ジスモンドの近くで、若い隊員達が好みのメニューを作り始めた。
鍋を使うことにも慣れたもので、余裕の笑顔である。
そんな中、一人、顎を押さえて湯を沸かす男がいた。
「大丈夫、ランドルフ? 頬が腫れてるみたいだけど」
「たいしたことはない……少しだけ顎が痛いので、全部スープに入れ、パンを浸して食べようと思う」
「少しだけじゃねえだろ、絶対。昨日、大猪に突き上げ喰らったところだろ?」
昨日は大猪の討伐だった。
大きさはそうでもなかったが、畑を転がるように駆け回るのを仕留めるには、少々時間がかかった。
最終的にランドルフが大盾で殴り止めたが、そのときに顎を突き上げられたらしい。
ランドルフは赤鎧の大盾持ちだ。
金属の分厚い大盾を持っても、強い魔物とぶつかればただでは済まぬ。怪我をすることもある。
だが、遠征中はポーションも治癒魔法も貴重だ。
このため、軽い打撲や傷は王城に戻ってから治すことが多い。それを考えてとはわかるが、度というものがある。それに今回は長い遠征ではないのだ。
彼に治療を勧めよう、そう思ったときには、仲間が声をかけていた。
「ランドルフ、一度診てもらおう」
「先輩、首も腫れてるみたいですよ」
「大丈夫だ。自分の首は元から太い」
「だーっ、絶対違うわ! それは腫れだ! だから昨日のうちにポーションを飲むか、治癒魔法を頼めとあれほど……!」
「呼びました?」
片手に鍋を持った神官が、すたすたと歩いてきた。
森の中でこうして共に移動しているというのに、その白の神官衣と銀襟には、汚れ一つなかった。
昨日から泊まりの遠征についてきたが、なんとも晴れやかな顔である。
昨夜は『神殿の外に泊まれてうれしいです!』と言っていたが、案外本音かもしれない。
「エラルド様、ランドルフを診てやっては頂けませんか?」
「もちろんです、ジス殿。私はそのために同行しているのですから」
ジスモンドがそう言うと、神官は笑顔でうなずいた。
そのまま大柄の騎士に歩み寄り、その顎、耳の後ろ、そして首までを確認する。
「無理はだめですよ、グッドウィン殿。腫れていますし、筋も傷めています。昨夜は痛んだのでは?」
「大丈夫です。我慢できぬほどではありません」
「おい、ランドルフ、後でちょっとお話しような……」
紺髪の隊員の声が一段低くなったのに対し、彼は目をそらそうとする。
しかし、首を動かしたときに痛みが走ったのだろう、表情を崩して固まった。
声はこらえたものの、その赤茶の目がうるりと揺らぐ。
「やっぱり無理してたんじゃないか!」
「ちゃんと治してもらってください、ランドルフ先輩!」
周囲が一斉に声を高くする。
大男がちょっとだけ小さくなったように思えたとき、エラルドによる詠唱が響き、白い光が右手から広がった。
なお、左手は鍋から離さぬままである。
治癒魔法は大変集中力を必要とすると聞く。
だが、この神官には本当に朝飯前らしい。
「どうですか、ランドルフ殿?」
「ありがとうございます。痛みが完全にとれました」
首を動かし、すぐ頭を下げたランドルフを見ると、本当に治ったようだ。
「ランドルフ、やっぱり無理はよくないよ」
「先輩、余計ひどくなったら大変です。今度からは早めに治療を受けましょう」
「大丈夫だから、気にしないでくれ。ああ、そうだな、朝は蜂蜜入りオムレツに変更しようと――」
「じゃ、それ食べ終わったら、ちょっとお話しような……」
低い声が再び聞こえた。
逃げ切れぬらしいランドルフを視界から外すと、ジスモンドは隊長のために湯を沸かしていた鍋を確認する。
コーヒーを淹れるには、今少しかかりそうだ。
薄白い湯気の向こうでは、隊員達が朝食を取り始めている。
笑顔で、にぎやかで、警戒は怠ってはいないが――和気あいあいとしている。
なんとも遠征の朝は変わったものだ。そう思いつつ、己の若い頃と今を比べ始めた。
わずかに濡らした布、臭いそうなそれで顔を拭うだけの洗顔は、豊かな水での顔と手洗いになった。
髭を剃るのも、歯磨きにも気軽に水が使える。
喉が渇いても、限られた場でしか飲めなかった水は、水の魔石のおかげでどこでも飲める。
昔食べていた歯の立たぬような黒パンは、だいぶやわらかく、うまいものになった。
塩辛くて喉ばかり渇く干し肉は、酒の肴にも及第点の味になった。
ドライフルーツにカビはなく、妙なえぐみもない素直な甘さのものになった。
この夏、遠征用コンロが入ってからはさらに変わった。
短い遠征では、朝食の干し肉の代わり、味のいいベーコンと生卵が並ぶ。
コーヒーにスープも熱いものが飲める。
これから冷えていく時期、こうして朝から温かい食事が得られるのは本当にありがたい。
このコンロを使いながら、『もっと早くこうなっていれば』、そうグラートに愚痴ってしまったことがある。
「できなかったことを数え出すと、年寄りと呼ばれるぞ」
自分より二つ上の彼は、とてもほがらかな声で言った。
グラート・バルトローネ。
王城騎士団魔物討伐部隊長であり、バルトローネ家当主であり、自分が護衛する主だ。
ジスモンドは元々、バルトローネ家の騎士だ。
父が先代当主の護衛騎士であり、自分も騎士を目指していた。
飛び級で騎士科に入ると、その先代からグラートの護衛を仰せ付かった。
父は大層喜び、自分に拒否権はなかった。
望めるならば、『剣馬鹿どら息子』のグラートより、『文官の極み』と言われる弟の護衛騎士になりたかった。
いずれ弟が当主になるだろうと思う者も多かった。
当時のグラートは剣の腕はあったが、学院の成績は地を這っていた。
その上、授業を抜け出すわ、喧嘩はするわ、父親には盾突くわ、護衛と言うより子守ではないかと思えた。
第一印象も最悪だった。
「俺に護衛騎士などいらん。どうしてもと言うなら、とりあえず打ち合ってくれ」
ひどく嫌そうに言う彼と、屋敷の庭、模造剣で打ち合った。
グラートは強かったが、自分も子供の頃から父と兄に厳しく鍛えられた身である。
なんとかついていけた。
「年下なのに、やるじゃないか!」
結果、大きく笑った彼の護衛騎士に『なってしまった』。
なぜこのとき手を抜かなかったのかと、後になって思った。