魔導具師カルロとレモンパイ
「父さん、これ、とてもおいしい」
「こっちもいい味だぞ、ダリヤ」
王都中央区、喫茶店の奥の個室。
カルロは娘と向かい合わせで食事をとっていた。
新しくできたこの店は、なかなか評判がいいらしい。
商業ギルドで仲のいいイヴァーノがおいしかったと教えてくれたので、すぐ予約を入れた。
ちょっと早い夕食になるが、ダリヤの高等学院の帰りにそのままやってきた。
自分が頼んだのは、豚ロースのグリルとチーズ焼き野菜。
ダリヤ向けには、トマトとオリーブオイルによる魚介の煮込み。
そこに焼き立てのクルミパンと、削りチーズがふわふわと載ったサラダを頼んだ。
どれもイヴァーノお勧めのメニューである。
盛りはちょっと少なめだが、彩りはきれいで味もいい。女性客に人気があるのもわかる気がした。
「このお店、とても人気があるのね。明日、クラスの人もみんなで来るって」
「そうか、その――ダリヤは誘われなかったのか?」
クルミパンを割りながら、つい心配で尋ねて聞いてしまった。
このところしばらく、ダリヤが少々暗かった。
考え込んでいて魚を焦がし、中は生焼けでそのまま食べ――見事にあたっていた。
それとなく聞いてみたが、自分には話してくれない。
もしや思春期特有の『父嫌い』という病の発症か。そう思って教育職である友人に相談――いや、高等学院の元魔導具研究会仲間、高等学院の教職に就いている友人の顔を見に行って来た。
教師である彼も知らず、ダリヤの担任に聞いてもらった。
担任はダリヤの魔法付与がすばらしい、模範になってくれていると賛美していたが、友人教師にはぴんときたらしい。
同僚の言語教師に、授業後の生徒達の言葉を唇の動きで拾わせた。
その結果――『ダリヤは魔導具制作がうますぎて浮いている』
魔導具師の父と祖父がいるから、できて当たり前。
すでに作ったことのある魔導具なら、成功するに決まっている――
そんな言葉に、後頭部がじりりと熱を帯びた。
ダリヤのクラスは愚か者ぞろいなのか? 本気でそう思った。
そこは何度もくり返し、できぬ度に教師に教えを乞え。
さもなくば、嫉妬を糧に己の腕を磨け。
少なくとも、学友の足を引っ張るようなさもしい真似はするな。
魔導具師の子に生まれ、先にできる環境があっても、努力しなければその腕にはならないのだ。
ダリヤは魔導具師を目指し、魔法付与で試行錯誤し、付与実習で痛い目に遭い、実験で危険な目に遭い、ようやく現在にいたっている。
それを考えもせずに傷つけるなどと――
ガルガルと鳴く内の獣に拳を握っていると、友人に笑顔で言われた。
「この際だ。カルロ、魔導具科の教師にならないか? 学校でもお前が娘に教え、ついでに他の学生にも教えればいい」
勢いでうなずくところだった。危ない。
「お前の教えはわかりやすい上に効果的なんだ! 多少厳しくてもかまわん! 推薦状はすぐ集めてやるから!」
腕をつかんで言葉を続ける友人をかわし、なんとか帰宅した。
そして夕食を準備しつつ、心を決めた。
今日こそダリヤときっちり話し、お前は間違っていないと伝えよう。
クラス替えの希望でも、別枠実習の希望でもいい。
なんなら高等学院はやめて、魔導具関係は家ですべて自分が教え、商業学校で一般教養を学ぶ形でもいいではないか。
努力は重ねても、無理を重ねる必要はない。
ダリヤらしくいられる場所を探そう、魔導具師になるのにいくらでも方法はある、そう伝えよう。
だが、その日、ダリヤは笑顔で帰ってきた。
カルロが声をかける前に、今日から実習は皆で教え合うようになったと、内容をくわしく教えてくれた。
娘に頼られないことがちょっとだけ残念ではあったが、安心した。
「明日一緒に行かないかって誘われたけど、今日と明日連続でこのお店はちょっと……太りそうだもの」
「そうか。誘ってくれたのは友達か?」
「アルディーニ君。前にお魚にあたったとき、校門まで送ってくれた人」
「ああ、あのときの、彼か……」
あの日、帰宅して即行で貴族名簿を確認した。
アルディーニ子爵家は、王城騎士団の各種馬車や馬具を担い、管理する家だ。
貴族の上に王城関係者、できれば娘には近づけたくない。
自分が王城魔導具師に誘われたように、ダリヤにも声をかけられる可能性がある。
王城魔導具師は魔導具師達の憧れの働き口だ。
ダリヤが望み、あそこで生活に根ざした魔導具を作れるなら、それもありだろう。
だが、王城魔導具師が望まれるものはおそらく違う。
自分は人を傷つける魔導具は作らない。娘にも作らせたくはない。
アルディーニの姓を持つ彼は、ダリヤを校門まで見送ってくれた。
だが、娘に近づくのは家からの命令か、純粋な想いかがわからない。
どんな者か見極めたい思いで振り返りはしたが――
あの日、自分には、ただ心配している少年が見えただけだった。
できればダリヤを貴族界へ踏み込ませたくはない。
けれども、もしも彼に想いを持つようなことがあれば、いろいろと貴族的な話をしなければいけない。
クルミパンを噛みしめる奥歯が、少々強く合わさった。
「ええ。だから、そのお店にこれから父さんと行くって言ってきたの。あ! アルディーニ君達に失礼にならないよう、ちゃんと『声をかけてくれてありがとう』と、お礼は言ったわよ。クラスの皆と仲が悪いわけじゃないの」
懸命に言うダリヤに、納得と鈍い頭痛が同時に来た。
「……そうか」
貴族の言い回しは、思わぬ防御壁になってくれたようである。
『誘われた店にこれから父と行く』、つまり、あなたと行くには父を通し、結婚前提の付き合いを許されてからです。
『声をかけてくれてありがとう』は、今まで通りのお付き合いを致しましょう、そんなところだったか。
高等学院生、まだ先の見えぬ彼らにとっては、父である自分は少しは高い塀だろう。
我が娘は――まるでおわかりでないが。
そしてもう一つ、どうにも気になることがある。
「クラスの皆で来るなら、父さんとは今度にしてもよかったんだぞ、ダリヤ」
「どうして?」
「いや、その方がいろいろと話ができるし、楽しいだろう?」
娘離れをしなければいけないのは、自分の方かもしれない。
ダリヤとて、若い者同士の方が楽しいだろう。
そろそろ異性の友達ができるのもありかもしれぬ。
その先を考えれば、できれば食いっぱぐれのない仕事につく予定で、魔導具関連ならなおよく、家に爵位はなく、家族親戚に問題なく、身体は丈夫で、性格は温厚で――
最低限の条件を頭に浮かべていると、ダリヤが口を開いた。
「ううん、父さんと食べた方がおいしいもの」
目を細め、にこりと笑った愛娘に、『愛娘』以外の表現はない。
この追いつかぬ語彙力、描き得ぬ造形美。
魔導具師としてはこの愛娘の笑顔を、魔導ランタンに妖精結晶で永久固定したい。
あと、音声保存の魔導具についても、本気で研究するべきではなかろうか。
アルディーニ君、本当にすまん。
だが、この誤解は解かん――!
カルロは内で謝りつつも、固く誓った。
「だって、父さんなら気は使わなくていいし、お皿も半分こできるし……あ、苺のケーキとレモンパイ、どっちにしようかしら……」
「……ん? ああ、デザートで悩んでいるのか。迷うなら両方頼め」
「じゃあ、父さんと半分こね!」
魔導ランタンの付与を具体的に考え、うっかりダリヤの言葉を聞き逃すところだった。
デザートなど、食べられるだけ頼めばいい。
隣にもう愛しい妻が座ることはないけれど、向かいの愛娘と半分ずつの皿、半分ずつのデザート。そのなんと贅沢で幸せなことか。
家に帰ったら上等の赤ワインを開け、忘れぬうちに本日のことを日記に記そう。
いつか『あちら』に渡ったら、妻にもきっと自慢できるだろう。
「はい、父さん」
「ありがとう、ダリヤ」
カルロは娘に笑み返しつつ、半分には少しだけ大きいレモンパイを受け取った。
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