騎士ドリノと金目の友(後)
ドリノの高等学院三年目からは、ただただ忙しかった。
難しくなる授業に必死についていき、空いた時間は身体強化と剣の練習。
加えて水魔法と氷魔法の授業が始まった。
ドリノは剣の実技を優先し、魔法関係は最低数の授業しかとっていなかった。
しかし、夏に氷魔法の使いすぎで保健室に三度行ったところ、医師が水と氷魔法の得意な高齢の教師にドリノを売った、いや、指導願いを出したのである。
初等学院では大変弱いと判定を受け、倉庫どころか部屋も冷やせない。
そんなドリノの氷魔法だが、皆のグラスに氷を出し続けていたのが効いたらしい。
白髪の教師――ランツァ先生は、練度はなかなかだと褒めてくれ、放課後に個別授業をしてくれた。
通常の氷魔法の授業は生徒が少ないが、高い魔力持ち、つまりは貴族が多いらしい。
庶民の自分としては、緊張少なく馬鹿にされずに受けられる授業がありがたかった。
他生徒に、一対一がずるいと言われたこともあるが、自分の氷魔法がしょぼすぎて授業レベルに満たないのだと、笑って流した。
年の数と共に、作り笑いと流し方がうまくなっていく気がした。
貴族も庶民もいる騎士科だが、在学年が上がり、進路を決める段階になるとやはり別である。
一番人気は王城騎士団だが、かなり狭き門だ。
そこに国境警備や各地警備の騎士、貴族の雇われ騎士、民間の護衛、冒険者、傭兵などの選択肢もある。
優れた文武を手に飛び級で一年早く卒業する者、家や仕事のため半年早く卒業する者、留年が決まった者、何らかの理由で学校をやめる者――
入った年は同じでも、それぞれ別の道に進み始めていた。
「ドリノ君、卒業したら王城騎士団へ入りませんか?」
放課後の個別授業に向かったら、ランツァ先生にとんでもない提案をされた。
考えたこともなかったが、条件を聞いて心が揺れた。
ドリノは卒業後、下町の家には帰らないと決めていた。
兄が結婚するからだ。他にも理由はあったが、家族の邪魔にはなりたくなかった。
王城騎士団に入れれば、兵舎で個室が与えられ、年間通して三食つく、風呂は自由、掃除洗濯は担当の者がやってくれて、給与は衛兵よりずっと高い――これよりよい待遇のところなどない。
高等学院の騎士科も運と勢いで入ったようなものだ。
ドリノは挑戦することにした。
勉強と剣と魔法の学びに明け暮れる日々。
ある友は笑い、ある友は応援し、ある友は影で馬鹿にしていた。
王城から黒い革筒、金色の印のある羊皮紙が届いたときは、一生分の幸運を使い果たしたと思った。
・・・・・・・
王城騎士団で希望した配属先は、魔物討伐部隊。
一番給与が良く、一番競争率が少なく、一番危険な部署。
自分が国民を守ろうなどと大層なことは考えていない。
騎士としては剣も魔法も中途半端、弱い自分がどこまで強くなれるのか、それを試したいと思っただけだ。
「ようこそ、魔物討伐部隊へ」
入隊挨拶で入った待機室、笑顔で声をかけてきたのは、騎士科の試験官だった。
魔物討伐部隊の隊長・副隊長は、騎士科の試験に同席することがあるのだという。
ランツァ先生に魔物討伐部隊を勧められることはなかったが、案外、自分は糸をひかれてここに来たのかもしれない、そう思えた。
新人研修中、乗馬の授業で馬を引いて来た一人は、黒髪の青年だった。
ドリノには見知った顔である。
「スカルファロット様、お久しぶりです」
「申し訳ありません。どちらでお会いしたでしょうか?」
貼り付けた笑顔で言われた。
とことんいけすかない奴だと思った。
そこからは魔物討伐部隊員同士、表面だけの付き合いが始まった。
近くにいれば嫌でもそのもてっぷりがわかった。
女から手紙を渡されようとしても、手すら出さない。
女の呼び出しはすべて無視。
通路での告白は途中で急いでいるとへし折り、泣かれても放置。
どれだけスカした奴なのか、いくら付き合う女が多く面倒にしても、もうちょっと相手の気持ちを考えてやれ、そう思った。
だが、友でもない自分が言うことではないので黙っていた。
同じ魔物討伐部隊なら紹介してくれ、恋文を渡してくれと頼んでくる女達に辟易した。
ヴォルフレードに関する噂がおかしいと気づいたのは、だいぶ過ぎてからだ。
部屋を移り、ヴォルフの隣になったので、動向が嫌でもわかるようになった。
彼は自分と同じく、家にはほとんど帰らぬ兵舎暮らしだ。
夕方出かけるのは隊員同士での食事か飲み、空き時間は鍛錬場で走っているか素振り。
あとはずっと部屋にいた。
言い寄る女がいても一切なびかないのは確かだが、当人から女に声をかけることがない。
たまにガストーニ前公爵夫人のところへは行っているが、呼び出されている感じで浮かれた様子もない。
決定的だったのは、重い風邪をひいても、一人兵舎の部屋にじっとしているだけ。
誰一人、呼びもしなかった。
医務室にも行かず、医者も頼まず、兵舎の誰かに声をかけることもない。
部屋とトイレをふらふらと行き来する赤い顔。
続く咳の音にじっとしていられず、医務室から医者を呼び、食堂に頼んでパン粥やリンゴジュースを運んだ。
翌日、回復した彼から、お礼の言葉と共に銀貨を渡された。
逆毛を立てて文句を言い、こういうとき、仲間には金を払うのではなく酒を奢るのだと教えた。
わかった、と神妙にうなずかれた。
その後、ヴォルフレードが完全回復してから王都に連れ出した。
整った顔はナンパの餌にはよかったが、見慣れぬ不貞腐れ方が面白くて、そのまま飲みに行った。
なぜかとてもうれしそうに奢ってくれた。
話せば話すほどに、わかった。
頭はいいのにどこか子供で、あきらめがあっても融通が利かなくて、へんなところで頑固で――
『ヴォルフ』は、酒が好きで、魔剣の好きな、ただの男だった。
見習いから新人隊員へ、そして赤鎧へ。
『黒の死神』の名をほしいままにするほどに強いヴォルフレード、その後ろを追うように、自分は進んでいた。
そこには、国境伯次男のランドルフもいた。
ぽつぽつとしか話さぬ寡黙な男だったが、重い大剣も大盾も、ものともせぬ豪腕だった。
赤鎧の先輩方はさらに強かった。
一番弱いのは確実に自分で――あせりとあきらめを呑みながら、ただ鍛錬に向かった。
自分が鍛錬に向かうと、なぜかヴォルフとランドルフも付いてくるようになった。
誘いもしないのに行動は重なり、話は徐々に増えた。
互いに笑い合うことも増え、自分達はようやく仲間になれたのだと思えた。
だが、それは自分だけだったのかもしれない。
ある遠征の帰り、ヴォルフは傷と出血を隠し、馬上で魔物の警戒をしていた。
彼より軽い怪我の自分が、のうのうと馬車で寝ていた。
王城に戻って鎧を脱ぎ、赤く染まる背、その青い顔を見て、ドリノはきれた。
「馬鹿野郎! 仲間だろ、心配ぐらいさせろ!」
「……ごめん……」
「ドリノ……」
ヴォルフは叱られた子犬のような表情でうなだれた。
黒の死神が黒い子犬になってどうする?
ランドルフは道に迷った小熊のような表情で小さく袖をつかんできた。
熊のような巨体で小熊になるのをやめろ。
もう、何をどう言っていいかわからないではないか。
とりあえずヴォルフの腕をつかんで医務室に連行した。
ランドルフも無言でついてきた。
このときから自分は、彼らへの遠慮――伯爵家の子息だとか、貴族だとか、自分より騎士として強いとか――を全部投げ捨てることにした。
しかし、俺も含め、皆、一体ヴォルフのどこを見ていたのだ?
きらきらした金の目は確かにきれいだけれど、一人遊びのガラス玉のよう。
誰も傷つけたくはないと、己も傷つきたくはないと、いつ割れるかわからない脆さではないか。
だが、ドリノではそのガラス玉を本物の黄金に戻すことはできないらしい。
素に戻ったかと思えば、いまだ作った笑顔を向けられることもある。
共に戦い、飲みに出て馬鹿話をしても、その壁は消えぬように思えた。
意地と虚勢を張るのが男だと言われればそれまでだが、どうにもやるせない。
本日も酒場の魔導ランタンの下、整いすぎた笑顔の隣で飲んでいる。
周囲が好みの女の話で盛り上がる中、伏せられた金目は酒のグラスしか映していない。
ああ、まったく!
どこぞの黄金の女神でも、聖なる乙女でも、この際、おっちょこちょいの魔女でもかまわない。
金の柊が要るなら探してこよう。銀の薔薇が要るなら作らせよう。
悪い魔法を解く接吻が要るなら、ランドルフと二人でこいつをしっかり押さえておくから。
だからどうか――友の金色のガラス玉を、本物の黄金に戻してやってくれないか。