騎士ランドルフとアップルパイ
本編「服飾師と菓子と騎士」(https://ncode.syosetu.com/n7787eq/203/)後の、ランドルフのお話です。
魔物討伐部隊の遠征後の休み、ランドルフは王都の中央区に来ていた。
向かうのは焼き立ての焼き菓子で有名な喫茶店である。
午前のお茶の時間が終わってしばらくの時間帯は混みづらい、そう、緑髪の女性が教えてくれた。
先日、魔物討伐部隊の相談役であるダリヤ、そして、服飾師であるルチアと共にこの店を訪れた。
男だから甘い物が好きだと公言できなかったランドルフに、甘い物が好きなのに性別は関係はないと、好きなものは好きでいいのだと、はっきり言ってくれた。
男らしく、魔物討伐部隊員らしく、騎士らしく、伯爵家の一員らしく――
そんな気負いを、あの二人はあっさりゆるめてくれた。
それでも、一人で喫茶店に入るのは少しだけ勇気を要し――ようやくに入る。
女性店員に笑顔で挨拶され、お一人様ですかと確認された。
肯定すると、呆気なく窓際のテーブルに案内される。
四人掛けのテーブルを一人で占領していいものかと思ったが、確かに店内はすいている。
周囲には一人で来ている者、カップルや友人らしい二人組がわずかにいるだけだった。
「ご注文はお決まりですか?」
「アップルパイとミルクティ――シュークリームとキャラメルプディングで」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
一瞬迷ったが、遠慮なく食べたいものを注文した。
ちょっと動悸がしているが、椅子に座り直し、持って来た本を開く。
『魔物の生態』の最新版、著者は隣国の魔物研究家だ。
オルディネ王国と隣国エリルキアの国境には、広大な森がある。
隣国との行き来はそれを大きく迂回した道が使われる。
森には多くの魔物がおり、毒の湿地があるからだ。また、人が入れば迷うことが多い。
国境と共に、森の手前で魔物から領地を守るのが国境伯爵のグッドウィン家――ランドルフの生家である。
王都に来てからは一度も帰っていないが、魔物の大きな被害や国境での諍いはないと聞いていた。
「ミルクティとシュークリーム、キャラメルプディングです。アップルパイは間もなく焼き上がりますので、少々お時間をくださいませ」
運んで来てくれた店員に礼を述べ、ミルクティを一口飲む。予想よりちょっと熱かった。
少し痛む舌を水で鎮め、シュークリームを手に、遠慮なくはむりといった。
王都の喫茶店では、シュークリームはナイフとフォークで食べる必要はないそうだ。
魔物討伐部隊の後輩にそう聞いて、隊で食べているときと同じように食べる。
シューの皮は少し塩が多め、たっぷりのカスタードクリームは甘く、両者の混じり合う味わいがとてもいい。
食べていると反対側から少しカスタードクリームがこぼれそうになる。それだけみっちりと入っているのだろう。
しかし、皮と中身はやはり一緒に食べたい。九十度ほど角度をずらし、慎重に口に運ぶ。
しみじみとおいしさの調和を楽しんでいると、周囲でシュークリームを頼む声が続けて聞こえた。
やはり、ここの店のものはおいしいらしい。
続けて食べるキャラメルプディングは、色合いも焦がしもちょうどいい、よい味だ。
二層になっていて、下が一段ほろ苦い味に変わるのもいい。
入る前は人目が少し気になっていたが、不要だったらしい。
誰に何を言われるわけでもなく、周囲もそれぞれ追加を頼んだり、メニュー表を見たりして話している。
そもそも、おいしいものを食べるときというのは集中するものだ。
なんとはなしに納得していると、店員が銀のトレイの上に次の菓子を載せてきた。
「焼き立てのアップルパイです。どうぞお召し上がりください」
笑顔の店員に礼を言い、追加のカフェオレも頼んだ。
まだ薄い湯気を立てるアップルパイに、ふと隣国にいた頃を思い出す。
学生時代、喫茶店へ連れて行かれたことがある。
ここのように大きな店でも、菓子の種類が多いわけでもなかったが、清潔感のある居心地のよさそうな店だった。
ランドルフは、幼少から隣国エリルキアに留学した。
別名『人質留学』とも呼ばれる手法だ。
森の魔物から領地を守るのは、隣国の伯爵家も同じだった。
国境をはさんで伯爵家同士、何が何でも友好を結ばねばならない。
森から相手の側に魔物を追い立てれば諍いとなり、一歩間違えば国同士の戦いになる。
魔物に対するにしても、両家で連絡を取り合って行うのがもっとも効率がいい。
信頼を与え合うには、婚姻か互いの子供を預かるといった手法が多い。
それが次男であるランドルフに当てはまっただけの話だ。
だが、人質留学と呼ばれても、ランドルフは特に思うことはなかった。
己の母は隣国の出身だ。
言葉も風習も学んでいたし、あちらの伯爵家の皆、とても親切だった。
ただ辛かったのは――隣国に行ってから、甘い物を食べられなくなったことだ。
隣国エリルキアでは、男が甘い物が好きと言えば笑われる。
大人の男は塩の強い干し肉で、辛く強い酒を飲む、食事も辛みを好む、対して、大人の女は甘いものを好み、酒をほとんど飲まない、それが普通だ――そう知ったときは絶望した。
食事もその傾向があり、男女の皿は盛りも中身も違う。
甘いデザートの代わり、黒コショウのクラッカーやソルトバタークッキー、ナッツの載る皿がうらめしかった。
そんなときにあちらの伯爵家の次女に連れて行かれたのが、その喫茶店だった。
個室の手前、付き添いの従僕とメイドにも別のテーブルでお茶を飲むように命じていた。
皆で息抜きをしましょうという彼女に、誰も異議を唱えなかった。
彼女はアップルパイとミルクティを頼み、自分は黒コショウのクラッカーとコーヒーを頼んだ。
店員がすべてをそろえて退室すると、彼女は座席の交換を申し出てきた。
「……じつは私は、甘い物が好きではないのです……」
「……じつは私も、辛い物が好きではありません……」
互いの利害が一致した瞬間だった。
聞けば、彼女は料理では辛いもの、そしてきりりとした塩味のものが好みだという。
辛みを多めに掛けただけで淑女らしからぬと言われるのだと、わずかに口を尖らせていた。
あのとき、小さく切ってアップルパイを食べていた自分と、黒コショウのクラッカーを手で包むようにして囓っていた彼女。
目が合って、お互いに小さく笑った。
それから二人、周囲に好みを偽ったまま、こっそりと秘密を共有した。
甘い物が好きな従僕とメイドも巻き込み、時折、喫茶店に通った。
全員が笑顔になれた時間だった。
あるとき、もらった塩辛い干し肉を封筒に入れ、借りていた本にはさんで渡したことがあった。
本に脂がついてしまうので、次は蝋引きの紙で包んでもらえないかと小さい文字のメモが来て、とても申し訳なかった。
彼女はお茶の時間、紅茶の角砂糖をうまく隠し、ランドルフのカップに入れてきた。
しかし、大きく跳ねた滴が自分の上着を汚し、謝られた。
お詫びにと贈られた箱の中身は大瓶の蜂蜜で、とても甘かった。
学生時代のそんな思い出に、自分はきつく蓋をしていた。
国に帰り、領地を出た日から、過去は一切振り返るまいとしてきた。
幼い日のことも、学生時代のことも忘れ、ただ魔物討伐部隊員であろう、騎士であろうとしてきた。
確かに、赤鎧であることは己の誇りだ。
だが、甘い物が好きで、辛い酒が苦手。毛足の長い動物が好きで、蛾が嫌い。
そんな素の自分を偽ることはないのだと、ようやく思えた。
そして、甘い物が好きだと気合いを入れて伝えた友にはとうに筒抜けで――
馬鹿らしいほどに安堵した。
ランドルフは口元が上がりかけるのをこらえ、焼き立てのアップルパイを口にする。
たっぷりと入ったリンゴのフィリングはまだ熱く、甘酸っぱく――
これを食べるのは本当に幸せだ。
おそらく、もう二度と会うことはない彼女。
けれど、願わくば今、好きな黒コショウのクラッカーを遠慮なく食べられていること、そして、幸せであるように――
アップルパイの上のシナモンは、少しばかり苦かった。
(大変おいしそうに食べるので同じものを頼む人が続くのです……)