一話
しとしと雨が降る夜、月が雲で隠れて薄暗い夜道を歩く。
「やっと終わった」
学校からバイト。この流れはもう俺の日常の一部と化してきている。ただ、やはり疲れるものは疲れる。
一番疲れるのは接客だ。お客様は神?そんなのふざけている。確かにお店というものは客がいなければ成り立たない。けれど逆に考えてみると店がなければ客は生活ができない。何故あいつらあんなに偉そうにしていられるのだろうか。全員が全員そういうわけじゃないが、腹が立つものは腹が立つ。……まぁ、つまり俺が何を言いたいのかと言うと、バイトを辞めたい。それだけだ。
「なんて言って辞めようかな」
別にお金に困っているわけじゃない。けれど、お金を持っているかと言われればそういうわけでもない。生活は普通に出来るが、毎日遊べるようなお金はない。いわばバイトは小遣い稼ぎみたいな感覚で始めた。この、バイトを始める決意がくだらなかったから続かないのだろう。
「はぁー」
思わずため息が出る。それに追い打ちをかけるように雨が段々と横降りになってくる。
「くそ」
今日はあまりいい事がないな。このイライラを何で打ち消そう。いや、今はそんな事はどうでもいい。服がびしょ濡れになる事に比べたらそれは小さすぎるくらいの感情だ。どうせ寝て起きたらこの感情は消えているだろう。
曲がり角を曲がって後はこの一直線の道を突っ走れば家に着く、その時だった。暗く光がない富士商店と書かれている屋根の下に一人の少女がいた。おいおい勘弁してくれよ。俺は幽霊とか苦手なんだ。と、誰に向けているのか分からない言い訳を思いながら見て見ぬ振りをしようとした。けれど、目の隅っこにその少女が酷く泣いているのが映ってしまった。……話だけでも聞いてあげよう。親と喧嘩したならすぐに帰って謝った方が良いよ、そのくらいのアドバイスでもしてあげよう。
「どうしたの?」
「ぐすっぐすっ」
雨の音なのか鼻をすすっているからか、それとも俺を無視しているのか、分からないけど返事がない。もう一度声をかけて返事がないのであれば、この傘を置いていって俺は帰ろう。
「どうしたの?」
「……」
そうか。俺はいらないらしい。傘を置いて急いで家に向かう。結局服濡れちゃったな。
☆☆☆
風呂に入り、冷えた体を温めなおす。
「ふぅー」
俺は今一人暮らしいをしている。理由ない。なんとなくだ。あ、けど親はちゃんといるぞ。親父だけだけど。
「……」
風呂に入ってなお、脳裏にちらつくのはさっきの少女だ。
外は土砂降り。おまけに今は冬だ。気温もかなり低い。
「……」
俺は無言で湯船から上がり頭を急いで洗い風呂から出る。
なんで俺がこんな事をしなきゃならんのだ。
「あー!もう!」
大雑把に体を拭き就寝用の服に着替えコートを羽織り家から飛び出す。
もう一本傘があって良かった。これであの少女があの場所にいないならそれでいい。それ以上俺が関わるのもおかしい事だ。そこまで俺は善人じゃない。
少し雨に濡れながらも富士商店に着くと、その少女はもういなかった。……こういう時はなんて思えばいいのだろう。良かった?それとも……。
☆☆☆
あれから一年。俺は高校二年生になった。あの日以来俺はあの少女を見ていない。ただの親子喧嘩だったのかもしれない。けど、一年経った今もよく思い出してしまう。
「どうしたの?考え事?」
「いや大丈夫ですよ」
「そう。あ、もう上がっていいよ」
「うす。お疲れ様でした」
あれから結局バイトは続いている。続いてしまった。何もやめる言い訳を思い浮かばずここまできてしまった。
「あ、先輩今終わりですか?」
「うん」
「私もそうなんですけど、ご飯とか行きません?」
「いや、ごめん今日は遠慮しとくよ」
「今日はじゃなくて今日もじゃないですか」
俺に文句を言ってくるこいつはバイト先の後輩の秋月柊華だ。高校一年生で通っている高校の後輩でもある。小顔で可愛らしいから結構バイト先では人気がある。多分学校でもそうだと思う。偶に客に言い寄られている時もよく見る。
「ごめん。また今度な」
「はーい」
もしかしたら、もしかしたらそう思って俺は真っ直ぐ家に帰っている。俺はあの時の選択を間違えたとは思っていない。傘だって無くなっていたから、使ってくれたんだと思う。良かったと思う。けど、じゃあこの心のモヤはなんなんだ。
「はぁ。帰ろ」
外に出るとあの日の雨とは違う雪が降っていた。今年初めての雪だ。傘も持ってきていない。走って帰るのも危ないだろうし、フードを被ればなんとかなるだろうか。家まで徒歩10分弱。これじゃあ家に帰った時には雪だるまになっているかもしれないな。そんな風に思っていると、さらに雪が強くなってくる。なんか、あの日に似ているな。これであの場所にあの少女がいたら……。
「せーんぱい。傘ないんですか?」
「まぁね」
「じゃあ相合傘しちゃいます?」
「いや、いいよ。このまま帰るから」
「正直者じゃないですねぇ」
「お前もさっさと帰れよ」
俺がそう言うと何故か下を向き悲しそうに「はい」と言う。その時一際強い風が俺たちを襲う。その衝動で秋月の髪がなびく。そこまでは良かった。見惚れてしまうよな美しさがあったのだが、一つの傷がそう思わせなかった。普段髪で隠れて見えない耳の後ろに痣のような傷があったのだ。
「おい、この傷なんだよ」
「っ!……私ドジですからボールが当たっちゃって」
それを聞いた途端俺はある一つの可能性があると思い強引に秋月の腕を掴み袖を捲り上げた。
「いたっ」
「なんだよこれ。……痣だらけじゃないか」
「……」
誰が秋月にこんな酷い事をしたのか分からないけど、俺はこのままではダメだと思った。もしこのまま見て見ぬ振りをしたら本当に俺は後悔してしまうだろう。そして多分あの日の少女はこいつだ。