2-37 吸収しました
スライム――。
魔力の塊で、生き物であるかも怪しい存在。
吸いつかれれば、魔力を吸収されてしまうが基本的には無害なモンスター。
しかし、今の状況にはうってつけだ。
レイがスライムに粘着されている時、彼女の体から力が抜けていた。
無理やり魔力を吸い出されると、名状しがたいゾワゾワとした感覚が襲ってくるのだろう。
だから拘束する手段として十分に真価を発揮するはず。
それだけではない。
新が一番狙っていたこと。それは――。
「いけ、スライム! 魔道具の魔力を吸い尽くしてやれ!」
そう、魔道具の無効化だ。
拘束をしたとしてもきっと数分。
スライムは気分で吸いつくのをやめてしまうからだ。
だが魔力を吸収し、包丁をただの包丁に戻してしまえば問題はない。
一度効力を失った魔法陣は再起動できないのだから。
新はスライムを取り出すため、箱の破壊を試みた。
箱を両手で持ち、思いっきり膝にぶつける。
強い衝撃が箱にかかり、同時に膝もダメージを受けた。
「いってぇぇ! この箱、ガラスじゃないのかよ!」
箱は透明で、いかにもガラス製品な気がしていた。
しかし、膝蹴りをしても無傷。
そればかりか己の膝が割れてしまいそうだ。
「マユ……。これ、どうやって出すの……」
痛みで半べそな新だが、やるべきことを捨ててはおけない。
早くこのスライムをアリーゼにぶつけなければ。
「箱を軽くノックしてみろ。2回な」
「オッケー」
コンコン、と小突くと蒸発するように箱は消滅した。
スライムが動きにくそうな体を必死に揺らしている。
「レイ! 今から俺が突っ込むから! バトンタッチうまくやろう!」
「ア、アラタが前線に出るの!? 大丈夫?」
襲いくる包丁を回避しながら、レイは新に確認した。
スライムを投げたりとか、そういうわけではないらしい。
「あぁ、俺自身がアリーゼと対峙するから!」
新はスライムに腕を飲み込ませた。
魔力のない体にも、魔力を求めて必死に吸いついてくる。
新の両手はボクシングのグローブをつけたように丸く覆われ、肩の付け根までスライムは伸びている。
これで準備は万端。
「レイ、行くぞ! 最後に油断して刺されたりするなよ!」
「アラタこそ、気をつけてね!」
新は走り出した。
アリーゼとレイの間に割って入り、レイは合わせて素早く下がる。
――と、アリーゼが包丁を振り下ろした。
マユの魔法陣を吸収したせいか、もはや新の目では追えないスピードを出している。
目で追えないのだから、もちろん避けようもない。
包丁の刃は新の右腕に直撃。
「アラタ!?」
自信満々に言っていたのにあっけなく攻撃され、レイが声をあげる。
だが、これこそが新の作戦。
「スライムは強い衝撃で固くなる。速く、強く振るほど、俺には効かない攻撃になっちまうぜ?」
アリーゼの目の奥――。
彼女を操る『黒幕』を挑発するように新は言った。
「えーっと、なんたら効果? 現象? なんだっけ……」
カッコよく決まらない。
余計なことを言わなければいいのだが、アドレナリンが出ているとどうしても口数が増えてしまうのだ。
硬化したスライムに止められた包丁。
しかしすぐに第二撃が飛んでくるに違いない。
新はその前に手を出した。
包丁を持つアリーゼの手をスライムグローブで包み、すぐさま離れる。
するとスライムの一部が分離し、アリーゼの手にまとわりついた。
スライムが強い魔力を感じ取り、包丁とそれを握る手に集中する。
「うあぁぁぁあ!」
スライムはとんでもない早さでその色を濃くした。
すでに毒々しい紫となったが、まだ吸いついていく。
アリーゼが叫びだしたのは包丁による遠隔操作に抗っているのか、それとも魔力を吸われて悶絶しているのか。
何もわからないが、とにかく彼女の動きを止めることには成功している。
「く、あぁぁ!」
いよいよアリーゼは倒れ込み、事態の収束は目に見えた。
いいタイミングでスライムたちも吸収を終え、次々と体から剥がれた。
そして完全にスライムが剥がれ落ちた時――。
アリーゼは握っていた包丁を手放したのだった。
「アリーゼ!」
すぐにクレスが駆け寄り、肩を抱き上げる。
意識を失っているが、呼吸もあり、無事なようだ。
マユは包丁をまじまじと見、その危険性が失われたと確認してから拾った。
魔法陣はどこにも書かれていない。
「アリーゼ、大丈夫?」
「クレス、様……」
クレスが揺さぶると、アリーゼは意識を取り戻す。
薄く笑った目には涙を浮かべていた。
「本当に、メイド失格ですね……。もう傷つけないって、誓ったのに……」
「なに言ってるのさ! 僕だって、守るって誓ったのに……。一人じゃ何もできなくて」
「クレス様は、優しすぎですよ……。主人に謝らせるなど言語道断って、ルディさんに怒られちゃう……」
アリーゼは包丁を握っていた手をクレスの頬に差し出した。
強く握ったせいか、手のひらには柄の跡が赤く入っている。
「よかった、またこうやって、触れることができて……。本当にごめんなさい。アリーゼの弱さのせいで――」
「いいよ、もういいよ。もう全部忘れよう。引きずっちゃうから、また不幸は起きるんだ……」
クレスは頬を撫でるアリーゼを強く抱きしめた。
ずっと、ずっと――。
二人のこぼした涙は、それはそれは温かい雫だったらしい。




