表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/90

2-31 呪いに囚われました

 新はソファーに寝転び、静かな雰囲気を楽しんでいた。

 バカ広い空間は寂しいものだと考えていたが、意外とそうでもない。

 むしろ、しんとした落ち着きが家中にある。


 ただ家の中が静かであるというだけではない。

 その家のだだっ広さが視覚的にも静けさを強調していた。

 日々のドタバタを忘れてついつい横になってしまう。


「だりぃ……。って、別にやることもねぇけど……」


 今日はしっかり寝たおかげで眠気は一切ない。

 けれど、この家の雰囲気に流されて体が脱力してしまった。


 チート能力があったころは、シュベールの命を守る最優先事項があった。

 今はというと、特に危機迫った状況でもない気がする。


 謎の『黒幕』の正体が気になるところだが、目に見えて事件が起きているわけでもなく――。

 相手が強大な敵であることはわかるが、こちらにだって頼れる仲間がいる。


 新はのんびりと考え、そのままソファーに寝転がるだけだった。

 ちなみにマユのスライムは新が気に入った部屋の隣に置いてある。

 つまり、今いる部屋の隣だ。


「プライベート最高……」


 新は独り言をボロボロとこぼしていく。

 なにせ、いきなり知らない人と同居することになり、しかもその同居人はほとんど家に引きこもっているのだ。

 自分が家で一人っきりになる機会がとても少なかった。

 完全に肩の力を抜き、やりたいことをやる自由をついに手に入れたのである。


「……しよっかな」


 この世界に来てから新はやっていなかったことがある。

 例の()()は一人でないとできないし、もはやマユに目撃されたら自分が恥ずかしさで死ぬだろう。


 だが大事なことだ。

 己の欲望をうまく発散し、それによって人間関係を円滑にできるのだから。

 ある意味で、とても社会的な行動ではないか。


「つか、そもそもティッシュがねぇんだよな……」


 そうなのだ。

 何も物を買わないから、例の行為に必要な環境が整っていなかった。


 その一瞬の油断で、新の気持ちは冷めてしまう。


「するためのお供もないし……。この世界の男たちはどうやって自分とつきあってるんだ……?」


 とてもくだらない疑問だ。

 でもそれは平和な証。

 それはそれは良いことではないか。


 新が自身の思考回路を正当化していた時――。

 平和が(もろ)いものであると知ることとなる。


 静寂に差し込んだのは乱暴なノックだった。

 誰かが新居の扉を叩いている。

 数回、ドンドンと扉を鳴らした後、その音の主が声を出す。


「ロリコンさん! ここにいるって聞きました! 早く開けてください!」


 聞いたことのある声だった。

 敬語とは裏腹に、毒舌な発言をするメイド――。

 ミルの声だ。


 その鬼気迫る声に驚いた新は急いで扉を開けにいった。

 先ほどまでの静けさなんて消え失せ、つまりそれは非日常を知らせているに違いなかった。

 なにか事件が起きている――。


 新が扉を開けると、そこにはやはりミルがいた。

 走ってきたようで額に汗が浮かんでいる。


「ど、どうしたんだよ……」

「アリーゼさんが……! また――」

「また誘拐か!? もう解決したはずじゃ……」

「違うんです! 今度はそれ以上ですよ!」


 ――突然、クレス様に切りかかったんです!


 思いのほか、緊急事態であった。


―――――――――


「クレス様、逃げてっ――!」


 アリーゼが包丁を握った瞬間、そこに殺意は湧かなかった。

 なのに手は強くその柄を握り、刃先は主人の急所をめがけて振り下ろされる。


「アリーゼ!? どうしちゃったんだ!」


 クレスは剣術の稽古で使う木刀を手に、どうにか彼女の攻撃を回避する。


 前と明らかに違うのは彼女の表情だ。

 前は支配欲が満たされ、愉悦の表情でクレスを傷つけていた。

 対して今は、自分の行動を拒絶するように泣いている。


「イヤ! 体が、言うことを聞いてくれないんです!」

「言うことを聞いてくれない……?」

「包丁が先行しているみたいに……! これが、勝手に動くんです!」


 アリーゼは叫んでいた。

 自分は手を放したいはずなのに。

 手が磁石でくっついているかのように離れてくれない。


「なんで! アリーゼはもう、クレス様を愛すると決めたのに! イヤ、やめて!」

「アリーゼ、僕は大丈夫だから……! 絶対にアリーゼを助けるからね!」


 家での騒ぎは次第に他の従者にも飛び込んでいった。

 悲鳴をあげたり、走り去ったりと恐怖一色な反応だ。


 そんな中、恐怖とも感じずに立ち向かっていく者が現れる。


「坊っちゃん、下がってください!」

「ルディ!」


 ルディはクレスに剣術を教えた師であり、またボディーガードとして武術に精通していた。

 今回も勇敢に、我が身を盾としている。


「ルディ! アリーゼに悪気はないんだ! あの包丁が変みたいで――」

「包丁が……? とりあえず、それを取り上げますか」


 アリーゼが涙を落としながら刃先をルディの胸へ伸ばした。

 凄まじい動体視力でルディは刺突を避け、一瞬にしてアリーゼの腕を掴む。

 そのまま、包丁を握る手と柄の間に指を入れて武装を解除しようと試みた。


「ああぁぁぁぁっ――!」


 突如アリーゼが叫ぶ。

 彼女の手から包丁が離れることはなく、必死に苦痛を訴えた。


「手が! 手が熱いぃ――!」


 包丁から手を剥がそうとすれば、その身に地獄のような痛みが届いた。

 特に外傷は見えないはずなのに、たしかに手に激痛が走っている。


「ぐっ……! 力づくでも離れないか! アリーゼ、気をしっかり持ちなさい!」

「ダメ、ダメです! 痛い、痛い痛い痛い痛い――!」


 アリーゼの体は完全に乗っ取られていた。


 握っているものはただの包丁なんかではなく、まさしく呪われた包丁だ。

 魔法という名の呪いが――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ