2-26 それぞれの安眠がありました
イデュアは何も明かさないままだった。
しつこく追及することもできただろうが、それよりも前に「もう帰って」と言われてしまったのだ。
どうしても言いたくない理由、言えない理由はなんなのか。
新はずっと、そんなことを考えながら仰向けで横になっていた。
「……アラタ。アラタ。おい、聞いてるのか」
見えていた天井がいつの間にか少女の顔になった。
重力で垂れ下がった髪が左右に揺れている。
「なんだよ」
「やっぱり聞いていなかったな。もう……」
「なんか近くねぇ……?」
マユから下がる横髪が自分の顔にかかりそうだ。
マユは話が関係のない方向へ曲がったことにムッとした。
「近いのではなく、私が小さいだけだ! 悪かったな」
「あ、ごめんて……。ほら、顔の距離が近いとドキドキするじゃん。そういうニュアンスで言ったんだけど――」
「まったく、これだからチェリーボーイは……」
マユは顔を遠ざけ、本題に戻ることに。
「あの新拠点の話をしたかったのだ。スライムを保管する部屋を貸してほしい」
「そんなことか。俺だけの家じゃねぇし勝手に使っていいよ」
新は姿勢を変え、体を横に向けた。
連日の事件続きでどこか疲労感がある。
「……んなことよりよぉ、イデュアのこと、どう思う?」
新の頭にはそのことしかなかった。
ただ彼女が嘘をついているだけなら、まだよかったのだ。
なぜか彼女が泣いてしまったところが引っかかる。
泣いてまで隠したい理由があるのだろうか。
「気ままに家出してシュベールに迷惑かけてるだけだと思ってたけど、イデュアはイデュアで考えてることがあったんだよな」
「うむ……。まだイデュアが隠していることは大きいだろうな」
「やっぱり、ずっと一人で悩んでたのかなぁ……」
「今は考えても進まないさ。たしかに同情することも必要だが、彼女は打ち明けない――つまりは私たちと無関係でありたい――という決断をしたのだ。そこは尊重するべきだと思うぞ」
むやみにかわいそうだと思ってしまうのはよくない。
秘密を打ち明けないからにはちゃんとした理由があるからこそで、それを蔑ろにするのはご法度だ。
励ましも同情も、すべては相手に響かねば意味のない御託に成り下がってしまう。
「けれど、君はやっぱり優しいな。そこは評価するよ」
「おう……。って、なんで褒められてんだ……」
新はマユと反対の方向に全身を向けた。
不意打ちで褒められ、照れが隠せない。
「さ、さっきの話! スライムを保管したいって言ってたけどさ、その前に家同士をくっつけないとな」
「ああ。帰ってからはその作業に移っているよ。私のベッドは、まだお預けだな」
「館のやつ使えば? ベッドもあったと思うけど」
「たしかに寝心地は良さそうだな。けれど、私は世界でひとつしかない自分だけのベッドで寝たいのだよ。愛着に近い気持ちであるな」
「そう……。じゃあ、まぁ……。頑張って」
新は言い終えると目を閉じた。
なんだか自然と闇を求めてしまって、より暗さと静けさを生み出したい自分がいる。
「おや。もう寝るのか? 外は真っ暗だが、まだ寝るには早いぞ」
「いいよ。なんか疲れてるっぽいから。どうせやるべき宿題も、一夜漬けのテストもこの世界にはないんだし……」
「その学びを怠る精神はいただけないが、一日くらいはいいか……。巻き込んでしまっているのは私の責任だし、叱るのも違うな」
マユの足音が新のベッドから遠ざかっていく。
やがて、椅子に座る音。
そして――。
「おやすみ、アラタ」
一日の終了を告げる声が新の頭で反響し続けていた。
―――――――――
「クレス様。アリーゼもご一緒させてください」
パジャマ姿のメイド。
いつもなら勝手にクレスの部屋へ侵入し、強引にベッドの中まで入っていただろう。
でも今では、こうしてコミュニケーションを取っている。
「嫌じゃないけど……。毎日寝てない?」
「好きなので」
「く、くっつかれ過ぎると僕も困るっていうか……。ほら、もう子供じゃないし――」
「アリーゼだって子供じゃないですよ。寝ましょう、一緒に」
前言撤回。
今でも強引なところは変わっていないかもしれない。
「断っちゃダメ……?」
「ダメです。クレス様が近くにいないと寂しくて……」
「寂しい……?」
「はい……。胸の中にモヤモヤした感情というか、黒い何かがまだ残っていて――」
不安にも似たなにか。
嫌な予感、と表現することがあるが本当にそれだった。
「アリーゼは怖いのです……。近いうちに、きっと何かがある気がして……」
「大丈夫だよ、アリーゼ。その時も、ちゃんと声を上げてくれれば僕が絶対に助けるから」
クレスの決めていた覚悟――。
自分のメイドを、もう無視したりはしない。
怯える彼女を見てしまうとどうしても安心させたくなってしまう。
「ほら、一緒に寝よう。アリーゼが眠れるまで僕は起きてるから」
「はい、ありがとうございます……」
感謝を述べるアリーゼには笑顔があった。
これがずっと続いてくれれば――。
「ところでクレス様。最近、チョロくなりましたよね」
「え!?」
神妙な顔つきだったはずなのに一瞬でその光景が崩れる。
アリーゼはベッドに入る任務を達成すると、クレスの体に抱きついた。
「さっきのは嘘だったの……?」
「嘘ではない、ですけれど。仮に嘘だとしても、クレス様は共に寝てくださったんだろうなって」
本当に幸せだ。
自分の気持ちを抑えることはなく、それでいて主人は真っ直ぐに向き合ってくれる。
この幸せがずっと続けばいいのに――。
アリーゼの中にあった不安はクレスの近くにいるだけで解消した。
けれどその気持ちが日に日に大きく、少しずつ彼女の体までも蝕んでいるとは誰も知らないままだった。




