2-17 ここからが二人の始まりでした
クレスと新は古びた建物の前に立っていた。
レンガの家――。
この中にアリーゼがいる。
この場所から事件は始まったと思っていた。
でも本当は、ずっと前から。
些細なことの積み重ねが招いたことだったんだ。
だったら同じように、小さな行動で解決できるはず。
チート装備を買った時もそうだった。
自分が正しいと考えていた行動が、ことごとく空回り。
独断で善悪も正負も決めちゃダメだったんだ。
クレスは深呼吸をしてから家に入ろうとしたが、体が先に動いてしまった。
顔を見てからだと言えなくなるだろうと、クレスは入ってすぐに口を開く。
「アリーゼ、帰ろう……!」
体の傷はもう存在しない。
逃げない。
いや、逃がさない。
僕の専属のメイドだから。
「僕はマユさんが好きだし、アリーゼともずっと一緒にいたい! きっといつか、どちらかを選ぶ決断をするんだろうけど、それはもっと先になるはずなんだ! だから――」
「クレス様は、アリーゼを許すのですか……?」
その声はとてもか細くて、あの日のようだった。
あの日――。
アリーゼの努力が実った日。
僕が少し安心した日。
「許すもんか! 痛かったし怖かったし、今でもその包丁を持たれるとヒヤヒヤする。だから今度は、僕がアリーゼに教える番だ」
「教わる……。クレス様から……」
「うん。アリーゼに人の愛し方を教える。僕もまだ未熟だけど、それでもいいなら――」
――二人で帰ろう。
アリーゼだって、教育係としては未熟だった。
それでも一生懸命教えてくれたから。
ちゃんと向き合ってくれたから。
アリーゼの返事を待たず、クレスはその手を取った。
握りしめていた刃物もクレスの手に移り、アリーゼの武装は完全に解除される。
「……まだアリーゼは嫉妬しています。クレス様を独占したくて、クレス様に見てほしくて。それでもいいのでしょうか」
「いいよ。人を好きになるって、そういうことだと思う。でも今度からはちゃんと言ってね。僕、鈍感だからさ」
「好きと、何度もお伝えしたはずです……」
「もっと具体的に。誰々に嫉妬したとか、僕にどうしてほしいとか。もう無視したりしないから」
クレスが言うと、アリーゼはうつむいて黙り込んだ。
クレスもこれ以上何を言っていいものかわからずにいる。
しかし、その時間は嫌なものではなかった。
むしろ沈黙が二人の気持ちを運んでくれる。
「……では、帰りましょうか。クレス様と二人っきりで歩きたくなったので」
やがてアリーゼは、彼女の頬に雫が落ちたタイミングと同時に声をこぼした。
クレスはアリーゼが悲しんで泣いた姿を見たことがない。
泣いている時はいつも――。
「嬉しいです、幸せです。クレス様とご一緒できるだけで、本当に」
「僕も。メイドがアリーゼでよかったかも」
クレスははにかんで目をそらした。
ずっと大切なメイドを拒絶していたことが恥ずかしくなるくらい、簡単に和解できたのだ。
ただのメイドじゃなく、義理の姉ともいえる人なのに。
「……じゃあマユさん、ご迷惑をおかけしました。心配もかけちゃって、すいません」
「別に。心配などしていないよ。君のメインヒロインはアリーゼだと、一目でわかったしね」
「僕はマユさんが……。でも、無理ですかね――」
「クレス様、早く行きましょう。このままでは嫉妬してしまいそうで」
アリーゼがクレスの服を引っ張る。
多少乱暴ではあるが、包丁を振り回すのに比べるとかわいい仕草だ。
「そうだね……。行こっか」
クレスがアリーゼとともに外へ出ると、扉の横に新が腰掛けていた。
邪魔をしたら悪いということで待っていたのだ。
「またな、クレス。ミルによろしく」
「はい。そちらも、魔王にお礼を言っておいてください。……ありがとうございました」
クレスは新に挨拶してから前へ進んだ。
その手の先はアリーゼとつながっている。
「クレス様、そっちは逆方向ですよ」
「あっ……。僕、家までの道知らないんだけど」
「しょうがないですね。アリーゼが教えて差し上げますよ」
森の中に風が突き抜け、木々が揺れる。
木漏れ日が形を変え、より広範囲に地面を照らしていた。
「……ありがとう」
「いえ、メイドとして当然のことです」
まだ自分の立場はメイドだが、少なくとも今だけは一番距離が近い。
それだけでアリーゼの心はいっぱいだった。
―――――――――
「これで一件落着か」
新がベッドに寝転び、一人で呟いた。
誰に向けた言葉でもなかったが、聞いていたマユがそれを拾う。
「いいや。まだ終わっていないぞ」
「へ?」
「アラタ、あの勇者は本当に私のことが好きだと思うか?」
「マユが異世界から来たって知ったら凹んでたぜ。それってやっぱり好きだからだろ」
「いや、むしろ逆だ。私が魔王の部下であろうが異世界の住人であろうが、好きならば貫き通すだろう。彼の本心はどこにあるんだろうか……」
「本心って? クレスがなんか悪巧みしてるってこと?」
「わからない。けれど、彼は最初から私のことなんて好きじゃない気がするのだ」
「考え過ぎだと思うけどな……」
クレスが悪いやつじゃないことは新が一番わかっていた。
だが、マユが適当を言うはずもない。
新はクレスの言動をどこも変には感じなかったが、次に会ったら本心を問いただすべきかもしれない。
「――ところでアラタ。レイはどうした」
「あ……。まだイデュアと話してるんじゃないかな。イデュアがクレスに見られたくないって言うから、レイも一緒に隠れてて」
「そうか。あと、スライムの件は――」
「……また魔王城行ってくるわ」
新に安息の時間はなかった。
まだ、この事件は終わっていないようだ。




