2-16 友達が助言しました
「怖い、怖いよ……」
クレスはその場でうずくまって、同じことを繰り返すばかり。
今まで蓄積されていた負の感情が、ここ数日の事件で一気に放出されているようだ。
「クレス、ここにアリーゼはいないから――」
「うん、わかってる。わかってますよ……。でも、なかなか離れてくれないんです」
「離れてくれない?」
「アラタさんって、殺されかけたことありますか……? 骨が砕けて、血が出て……。痛いって言ってるのに、相手は笑ってるんですよ」
クレスは震えていた。
左手で右腕を押さえ、どうにか震えを止めようとしてもなかなか戻らない。
新はあと一歩のところで死ぬような経験をしたことがなかった。
ましてや狂人に追い回されるなんて経験はなおさらないことだ。
薄い人生経験でクレスを慰めようとしても言葉が見つからない。
何をすることもできずにいたが、そんな時――。
動いたのは『友達』だった。
シュベールは震えるクレスの前髪を片手で上げ、もう片手でデコピンを一発。
「不幸ヅラするな。我の友だろう?」
「不幸ヅラ……?」
「あぁ。貴様、アリーゼとやらと向き合うつもりなんてないだろ。そやつが死んでしまえば話さずに、会わずに済むもんな」
シュベールが腕を組む。
その姿勢には、幼女の姿に似合わない威厳があった。
「でも考えてみろ。お前はその者の主人――。つまり、そやつの暴走はお前が止めねばならない立場だ」
「無理ですよ! 今さら話し合うなんて――」
「なぜそう思う?」
「え……。 だって、アリーゼは僕のことを殺そうとして……」
「一度殺されかけたら、もう話せないのか? 我は、お前と話せているのに」
クレスが温厚な性格であったから、初めてシュベールと対峙した時も本気で殺意を抱いてはいなかった。
それでも剣を向け、魔王を殺しかけたことに変わりはない。
でも、今は『友達』なんて言えるようになっている。
「お前にはお前の理由があって、そやつにはそやつの理由がある。そやつがお前を殺しかけたのも、マユとのいざこざからだろう?」
「いざこざっていうか……。ただ好きになっただけで――」
「お前がそれを言わないからだ。はっきり、面と向かって伝えてみろ。一回でもそんなことをしたことがあるか?」
「……ない」
たしかにないけれど、その時にはもう彼女が怖かったからだ。
アリーゼに逆らえば痛めつけられ、体に彼女の跡を刻まれてしまう。
「お前、まだ悲観しておるな。そうやって諦めるんじゃなくて、最初はもっと抗ってみろ」
不安があれば払拭して、問題があれば打開して――。
「必死に立ち向かってからめそめそしろ。その時には友達が助けてやるからな」
責任を放棄することが一番の愚行。
シュベールはそれだけを伝えたかった。
「……我の言いたいこと終わり。アラタ、あとは頼んだぞ」
「え、俺……?」
シュベールの投げやりなパスは照れ隠しだった。
あまり説教をするようなタイプじゃないのに、変なことを言ってしまったからだ。
新も新で急なパスに困惑。
結局、励ますよりかは提案のような言葉になってしまった。
「えっと……。とりあえず落ち着いたのなら帰らないか? ミルと話したんだけど、みんな心配してるってよ」
「そうですよね……。みんなのためにも帰らないと……」
クレスの震えは止まっていた。
自分が傷ついたからって立ち止まっていては解決しない。
本当に壊れているのは自分よりアリーゼだから、今度は自分がアリーゼを慰めてあげる番なんだ。
「アラタさん。レンガの家に、アリーゼのいるところに連れて行ってください。僕は勇者になります」
「……クレスってやっぱ主人公だよな。すげぇよ」
立ち向かおうと決意して、即立ち向かいに行くなんて人間はそうそういないだろう。
確固たる意志と行動力――。
それだけで彼は十分に勇ましい者となっていた。
―――――――――
アリーゼが一人前のメイドとして認められた日。
「今日からクレス様の教育係になりたいと思いまして……」
突然、そう言われた。
教育係とは家庭教師みたいなもので、つまりは僕の勉学を監督してくれる人だ。
スラムから来た彼女がそう言えるようになったというのは――。
「裏で勉強してたの? お仕事の後に?」
「はい……。どうしても、クレス様のお側にいたくて」
それはどれほどの努力だっただろうか。
文字の読み書きもできなかったはずなのに、たった数年で名門校並みの学力を身につけてしまった。
「ルディは……?」
「お許しはもらってあります。あとはクレス様のお気持ち次第です……」
外部から教育係を雇えば、さらに専門的なことも教われるはずだった。
なにせ教育を専門とするエキスパートなのだから。
対してアリーゼは素人。
知識はあってもその教え方はまだ手探りで、より自分のためになるのがどちらかなんて明白だった。
それでも僕が選んだのは――。
「いいよ。アリーゼが教育係だと、むしろ安心するかも」
「本当ですか!? よかった、頑張ってきて……。本当に――」
「ちょっと、泣かないでよ! 僕、なんかしちゃったかな……」
「違います。嬉しいのです。本当に、本当に嬉しいのです」
どうしてアリーゼを拒絶するようになってしまったのだろう。
思い返せば、この時からアリーゼは僕を好いてくれていたんじゃないか。
僕のために努力して、僕のために苦労して――。
もっと話すべきだった。
好きって言ってくれたのなら、ありがとうって返すべきだった。
一番距離が近いメイドなんだから、僕が大事にしなくてどうするんだ。
アリーゼと出会う前、仲良くできると父にも約束した。
ちゃんと果たさないと――。
僕が彼女の主人だから――。




