2-15 落ち着きを取り戻しました
「さて……。君と対話したい気持ちはあるのだが、君自身はどうかな?」
マユが魔法陣の開発に一段落をつけると、アリーゼに向かって言った。
アリーゼは口が開かなくなっても喉の奥で叫び続けていたが、今はそれも止まっている。
話しかけるには絶好のタイミングだった。
マユはペンを左手で回しながら続ける。
「まぁ、私も素性を知られたらまずい立場だからね。これは交渉だ。対等な取り引きであって、どちらが優位というわけでもないよ」
なるべく『平等』という点を強調するように言葉を選んだ。
アリーゼのようなタイプは勝手に自分が負けたと勘違いし、また感情が爆発する恐れがあったからだ。
相手を刺激せず冷静に――。
マユは回っていたペンを握り直し、机の上に置く。
「魔法はもう効果が切れているはずだよ。ほら、話してみて」
「……魔王の話をしていましたね。只者でないことだけは理解しました」
アリーゼは目線を下に落としながら返した。
新とマユの会話から聞こえた『魔王』のワード。
そして、クレスが魔王城にいるらしき内容――。
「アリーゼが望むのはクレス様との幸せです。それが保証されるのなら、あとは何もいりません」
「私から手を出すことだけはないと断言しておくよ。あの男のどこが好きになれるのやら――」
「そちらこそ。どうしたらあんなうるさい男と親しくなれるのでしょう」
「なっ……! アラタともそういう関係ではないぞ!」
「あら。親しいとは言いましたが、誰も恋仲だとは……」
「待て。本当に私はなんとも思っていないからな」
事実、マユは新を恋愛的に好いてはいなかった。
クレスか新かを問われるのならば新を選ぶだろうが。
しかし、マユは新との関係を特別には感じている。
「彼は私の言うことをすんなり聞き入れてくれるし、案外しっかりしているところもある。同居していてわかったが、私の想像以上に思いやりがある人間だったよ」
「……別に、聞いていませんが」
「私と彼の関係は恋仲じゃなくて相棒だと言いたいのだ。彼が私をどう思っているかは知らないが……」
相棒――。
マユは共同作業が苦手だった。
学問は自分がずば抜けるし、運動は自分が置いていかれる。
でも、新との共同生活は歩調が合っている気がする。
それがなんだか嬉しい。
「取り引き、と言っていましたね。こちらの要求はクレス様との幸せですが、あなたは何を望みですか?」
「クレスはもう私たちの、魔王の協力者だ。君にはそのことを理解した上で黙っていてもらいたい」
「いいですよ。ですが、ひとつ質問を」
不審な点があれば簡単に協力するわけにもいかない。
アリーゼは不利な状況でありながらも狡猾だった。
「魔王が皇女様を誘拐した理由とはなんでしょうか」
核心をつく質問だ。
この答えを知ってしまえば、自分が優位に立てるカードとなり得る。
もしも自分の要求が実現しなかった場合は、武力ではなく情報で脅そうという策略だった。
「理由なんてないよ」
マユの答えはそれだけだった。
「……は? ない?」
「そう。ない」
「ふざけないでください。なら誘拐をするなんてこともなかったはずです」
「そうだとも。魔王は何もしていない。イデュアが勝手に魔王城にやって来たのだよ」
この情報は信じるべきだろうか。
立場的にも敵と言えるような相手が信じがたいことを言ってきたら普通は信じないだろう。
だがマユから対話を提案してきたのに、今さらになって嘘をつくとは思えない。
「では、国王城に送り返してしまえば――」
「魔王がそれを拒否するのだよ。まだ私の知らない情報があるのかもしれないね……」
「知らない情報がある? あなたも利用されているだけですか?」
「利用されている、か……。正直、こればかりは会ってもらわないとわからないが、魔王はすっごく気の抜けた人物でね。とても黒いことを考えているとは思えないんだ」
どこにも根拠はない。
完全に情で動いていて、平和ボケとも例えられるような思考だった。
それでも、そんなマユの言葉がアリーゼには響く。
「アリーゼも、クレス様の家に来た時はそんな気持ちでした。なぜか、安心してしまうのですよね」
言葉巧みに騙し、自分を本当に奴隷として従える可能性もあったはずだ。
その可能性があるにも関わらず、アリーゼは初対面の男の言うことを信じ、その男の養子になった。
暖かい――。
あの気持ちはどこへ行ったのだろう。
「アリーゼはこれからどうすればいいでしょう……。もうクレス様の家に戻ることなんて……」
「ノロケ勇者なら許してくれるさ。彼はそういう人間だから」
「そうでしょうか……」
マユは知らなかった。
もうクレスにとってアリーゼの存在は恐怖でしかないことを。
彼の性格が歪み、殺意を覚えたことも。
そして今、魔王城で震えていることだって。




