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2-14 恐怖は呪いでした

 最悪の目覚めだった。

 いいや、アリーゼは僕の布団に高い頻度で忍び込んでくるから目覚めが最悪なのはいつものことだ。

 しかし、それを加味しても今回は格別。

 鳥の声でも明るい日差しでもなく、強い全身の痛みで目覚めたのだから。


「あ、クレス様。おはようございます」


 体が動かない。

 拘束されているわけではないのだが、少しでも動こうとすれば激痛が体を蝕んでいた。


「アリーゼ……。ここは――」

「森の中の洞窟です。近くに川もありますし、ここで一緒に暮らしましょう」

「待ってよ……。今までも一緒の家で暮らしてたじゃないか。アリーゼはメイドで、僕は主人で――」

「違いますよ。アリーゼが姉で、クレス様は弟です。二人は家族で、きょうだいで、恋人です」


 アリーゼがクレスの頭部に手を近づけた。

 クレスは頭を撫でられるのかと思ったが、そうではない。


 アリーゼがクレスの頭部から手を放すと、その手には赤く滲んだガーゼがあった。

 クレスが気絶している間に、アリーゼは彼の患部に包帯を巻いていたのだ。


 だが、むしろクレスは血の気が引いた。

 その原因はガーゼの赤色だ。


 広範囲に染みわたっている赤が、自分の重症さを告げている。


「包帯、交換しますね。本当、クレス様が生きていてよかったです」

「こ、殺そうと思ってやった……?」

「どうでしょうねぇ……。『クレス様がどうなるか』ではなくて『アリーゼが楽しいようにやった』としか言えないので」

「楽しいって……」


 クレスの視界がぼやけてしまう。

 もう怖くて怖くて仕方がなかった。


 体はボロボロで、きっと右腕と左手は骨折している。

 背中の骨にもヒビが入っているかもしれない。

 そんな状態で、自分を痛めつけることを愉悦と感じる人間が目の前にいるだなんて。


「もちろん、クレス様がずっと素直でいてくれれば、手荒なことはしませんよ。あぁ、でも、叫び声もなかなか……。ふふ、ふふふふふ――」


 アリーゼは一人で笑っていた。


 不気味な笑いではあるものの、それこそが彼女の本心。

 今、この瞬間が、彼女にとっての幸せ。


「アリーゼは愛を知らずに育ちましたから、クレス様とのふれあいが本当に暖かく思えたんです。愛してます。今までも、これからも、明日も明後日(あさって)も、来世でも、いつまでも」

「でも、僕が苦しいよ……。二人で幸せになろうよ……」

「あら。苦しい、とは――」


 アリーゼが少し考えると、ある結論にたどり着いた。

 それはやはり、クレスにとって()()の終着点。


「あの女が忘れられないんですね……。心配しないでください、すぐに忘れられますよ。だって――」


 もうすぐこの世からいなくなりますから――。


 言葉が鼓膜を震わせ、それを脳が認識する。

 今回だけはその音の振動が直接脳へ届いたように、何度も頭の中で響いていた。


 いなくなる――。

 マユさんが殺される――。


 アリーゼはフッと笑顔を浮かべてから新品の包丁を握った。


 クレスが眠る間に数日の時間が経過しており、その数日でアリーゼは殺すためだけの目的で刃物を購入していたのだ。

 なるべく刃渡りが長く、鋭く、相手を苦痛で悶絶させる物を。


「アリーゼ! 待ってよ! 僕はもうアリーゼのものだから、だから――」

「……やっぱり(かば)うんですね。そんなにあの女が大切ですか」


 アリーゼは包丁をクレスの首元に突き立てた。

 その切れ味と同じような鋭い目つきが、余計に恐怖を煽っていく。


「違う……! 無関係って言いたいんだ! もうマユさんとは――」


 アリーゼがゆっくりと包丁を引いた。

 クレスの皮を裂き、肉の表面だけを切っていく。


「――あぁっ!」


 不快な熱さが首を刺激し、少しすると熱さは痛みへと変貌する。

 ほんの少量だけ(したた)る赤色が、曇りない銀色の刃を彩った。


 アリーゼはその赤を指で拭き取り、今度は指を自分の舌で舐めとる。


「クレス様がこれ以上傷つかないように、アリーゼが早めに傷を残しておきました。もう、あの女がいなくなっても傷つきませんよね――」


 アリーゼはまたも笑って、洞窟の外へと足を進める。


「待ってよ! ねぇ、お願いだから聞いてってばぁ!」


 アリーゼの背中に、クレスは必死で呼びかけた。

 けれど、それが届くことはない。


 アリーゼがいなくなってから、クレスはやっとの思いで立ち上がった。

 数日意識がなかったせいで食事もできず、彼の体力も限界。

 それでも助けを呼ぶために一歩、また一歩と前へ進む。

 腕は地面の方向に下がっているし、背筋もまっすぐ伸ばせない。

 意識は朦朧(もうろう)とし、どこへ向かうべきなのかも忘れて前に行くことだけを目指していた。


 クレスは方向音痴だった。

 不幸中の幸いか、彼の向かっていた方向は魔族の住む森の入り口。


 体力が尽き、倒れてしまったところを発見したのは――。


―――――――――


「もうわかったでしょ。アリーゼの暴走は止められないんです」


 クレスが重く言った。


「でも、アラタさんがいるってことは、まだアリーゼとは会っていないんですね――」

「いや。家に知らないやついたけど……。刃物持った女の人」

「アリーゼだ……! マユさんは無事なんですか!?」

「もちろん。大魔法使いが負けるわけないだろ」


 クレスの表情が少し明るくなり、気持ちにも落ち着きが見られた。

 新はちょうどいいタイミングだと思い、クレスを諭す。


「なぁ、クレスも本当は殺したいなんて思ってないだろ。そうなったら別の手段で解決しようぜ」


 クレスは防衛のため、荒れた考えをしてしまったのだと――。

 そうとばかり思っていたが。


「嫌です……! アリーゼが生きていたら、僕の幸せなんてなくなっちゃうんだ!」

「お、おい! クレス!」

「嫌だ! こんな世界なんて……!」


 怒りでも悲しみでもなく――。

 クレスはただ、怯えているだけだった。

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