2-10 一時休戦の雑談をしました
子供のころにスラム街のことを知った。
教育を受けられないどころか、今日を生きるための食べ物も買えないような人たちがたくさんいる場所だ。
食べるため、生きるために犯罪は日常茶飯事。
殺しだって必要な環境だったんだ。
僕の家には膨大な財産があった。
だから、小さかった僕は善意でスラムの人たちにお金を配ってしまった。
「クレス! そんなものは慈悲でもなんでもない!」
その日の晩に、父に言われた言葉を今でも覚えている。
「で、でも……。お父さん、僕は不公平だと思ってしまうのです。僕たちにはお金があるのに、あそこで暮らす人たちは1バペルも持っていなくて――」
「よく考えなさい。クレスの行動で恵んでもらった貧民と、そうでない貧民が存在することになってしまったんだよ。それこそ不公平だ」
「でも、でも……」
「お前が今日お金を渡した人が明日殺されたらどうする。お前が渡したお金のせいで、その人の命までが奪われてしまったら」
僕は何も言えなかった。
結局、僕のやったことは自己満足でしかなかったんだ。
でも、それでも救える人が一人いるのなら僕は手を差し伸べたい。
「クレス、大丈夫だよ。お前の考えそのものは間違ってない。やり方が間違っているだけだ」
そう言って父は奴隷を買った。
奴隷として売られた子供は、大半が親の出品したものだ。
我が子を売り、そのお金で食べ物を確保するために。
「そんな奴隷をメイドとして雇う。これならば労働の対価として金を渡すのだから平等だろう」
「で、でも、犯罪じゃ……」
「あぁ、だから養子にする。奴隷ではなく、メイドでもなく、肩書きは養子だ」
この国は奴隷を所持することが認められていない。
それは購入でなく、所持が咎められるだけだった。
つまり、養子として迎え入れるための正式な手続きをすれば合法なのだ。
「名前はアリーゼ。お前よりも歳上だから義理の姉になるな。ただ、どんなトラウマが彼女にあるかわからない。それでもうまくやっていけるか……?」
「仲良くできます!」
「よし。そうと決まったら、もうスラムには近づくな。あそこは危ないから――」
これが僕とアリーゼの出会いだった。
―――――――――
クレスが目を開けると、見えたのは銀髪幼女のくりくりとした瞳だった。
「おぉ、起きたか。ほれ、何が見える?」
幼女はクレスの意識がはっきりしているかを確かめるため、人差し指を立てた。
「い、1」
「人差し指だ。……笑うところだぞ?」
幼女の冗談はクレスに伝わらなかった。
ともかく、クレスの頭に異常はないようだ。
「あれ……。君、どこかで」
クレスの中にぼんやりとした記憶の断片が浮かぶ。
幼女とは会ったことがある。
もう少しで思い出しそうなのに、なかなか出てこない。
「お? あぁ、初対面じゃないからな。むしろ我の命を狙ったのにも関わらず、顔を忘れるなんて無礼は――」
「魔王!? ど、どうして僕を! 何が目的だ!」
クレスは体にムチを打って飛び起きる。
思い出した。
チート装備を持ってしても、自分は魔王本人どころか部下に負けてしまったのだ。
そんな強大な敵の城にどうして自分が。
「落ち着け。貴様を助けたからには、これから命を奪ったりなんてせんよ。目的も何もなく、ただ死にそうだったから助けただけのこと」
「そんなこと言われて信じるわけないだろう! 皇女殿下を返せ!」
「やめろ。貴様の剣も鎧もここにはない。貴様は魔族の住む森から運ばれてここに流れてきたのだが……。何があった?」
何事もなければ頭部にケガを負うことなどなく、ましてや森のとても深くに迷い込むなんてことはないはずだ。
何かがあった――それだけは言える。
「き、君には関係ない。僕の問題だから――」
「アラタは? あやつになら関係はあるか?」
「……どうしてアラタのことを」
「まずは座れ。それでもって我の話を聞け」
ペタンと幼女が座る。
それを見たクレスは、とりあえず敵意はないことだけ確信できた。
彼も恐る恐る魔王の前に座り、動転していた心を少しづつ落ち着かせていく。
「見ろ、最近習得した座り方だ。人間はこれを見ると心が落ち着くのだろう?」
魔王は女の子座りをして言った。
全人類は女の子座りを見ると和む――。
そんな嘘を魔王に吹き込んだのはイデュアだ。
クレスの反応は微妙だった。
「まぁ、かわいいとは思いますけど。落ち着くかって言われると……」
「……まぁよいわ。会話ができるくらいには落ち着いてくれたな」
魔王は女の子座りをやめ、思いっきり脚を伸ばした。
魔王の脚が正座をしていたクレスの膝に当たり、そのまま不定期に蹴りが繰り返される。
「貴様な、我の命を奪おうなんて考えが浅いわ。笑止!」
「あの、アラタについては……」
「黙れ、まずは我が言いたいことを言う。反省しながら聞くとよい」
魔王は小さな足裏をクレスの体に押しつけながら話し続ける。
口調も蹴りもやんわりとしていたが、そんな行動には魔王の恨みがちょっぴり含まれていた。




