2-9 迷い込んでいました
レイと魔王の談笑はとても楽しそうだった。
レイは騎士団の、魔王は魔物の世界しか知らなかったためお互いの話は新鮮に聞こえたのだ。
もしも二人っきりの空間であれば非常に微笑ましい光景なのだが、ここにはつまらなそうにしている男がひとりいる。
レイがいるとわかった魔王は、新に対して「去れ」と命令した。
そのせいで新は二人に近づいて話を聞くこともできないし、会話に参加することなんて無理な話だろう。
新も構ってちゃんなわけじゃない。
もう高校生なのだから分別のある大人だ。
だから和やかな空気に割って入ってまで話を聞こうとはしなかった。
その場で横たわって、ゆっくりしていればすぐにベルは帰ってくるはずだ。
「――それでね、僕がシャワーを浴びようとしたら男の人みんなが逃げるように出ていって」
「それは貴様がおかしい。男どもが紳士でよかったな」
「だって、大部屋ひとつしかないんだもん。仕方ないじゃん」
「全員が貴様に風呂場を譲ったのか、それとも全員が覗きをするために出たのか……。どっちだろうな」
「ん? どういうこと?」
新の耳に入ってきたのはそんな内容の会話だった。
その声が気にならないと言えば嘘になる。
だが心配はいらない。
目を閉じ、じっと動かずにいればやがてその声が届かない場所へ意識は落ちていく。
「――よし、次は我の番だ。イデュアのとっておき情報を教えてやろう」
「なになに?」
「昨晩、悪夢にうなされておったのだがな、その時に……」
「あ、シュベールちゃん……! 後ろ……」
「お? 大丈夫。イデュアは今、寝ていて――」
シュベールの声が途切れた。
新は思わず閉じていた目をうっすらと開いて、何があったのか確認してしまう。
そこに広がっていたのは、無の感情を帯びたシュベールとその眼前に立つイデュアだった。
「シュベール様、二人だけの秘密って言いましたよね」
「あ、え……。も、もうベルに言いふらしていたとしたら、怒るか……?」
「はい、もちろん。お仕置きします」
「……言ってない」
「逃しませんよ」
追いかけっこが始まってしまった。
ドタバタと床を揺らす足音、ギャーギャーとうるさい声。
こんな状況で寝られるはずがない。
「言ってない! 本当に言ってない! お前が粗相したなんてレイには言ってないぞ!」
「あぁー! やめて! いい大人になってまでおねしょしたこと言わないで!」
「ぼ、僕、何も聞いてないです! イデュア様はおねしょなんてしてません!」
「レイ、違うの! 夢のせいなの! あまりにも怖かったから出ちゃっただけなの!」
「はい、大丈夫です! 僕もたまにありますよ!」
新は驚愕した。
もう、うるさくて寝られないが寝てるふりはしておいたほうがいい。
なんだ、この話題。
どうして俺がいることを気にかけないんだ。
「こ、小娘も……? 貴様ら、膀胱がゆるいのか……?」
「あ、いや、イデュア様のフォローをしただけでおもらしなんてするわけ――」
「聞こえてるわよ! もうあんたら、今ここで失禁しなさい! 私だけ恥ずかしい思いなんて不公平!」
「申し訳ありません! 今すぐ脱ぎますから――」
「従うなよ小娘! 我は応じないぞ」
「――ってか脱がないでいいのよ! そのまま着てるものも汚しなさい!」
新が話題に耐えきれなくなり、わざとらしく咳払いをした。
その後の凍りついた空気は、きっと容易に察することができるだろう。
―――――――――
「戻りました!」
扉が勢いよく開けられ、同時にベルの声がした。
焦っているような急いでいるような気迫だ。
「ベル、何があった」
魔王はすぐに只事ではないと気がつく。
「シュベール様、この男に回復魔法を」
「ん? 誰だこいつは……」
ベルは魔物の巣窟から魔王城まで負傷者を担いできたのだ。
その負傷者の正体は魔物でなく――。
「クレス!?」
新には一目でわかった。
頭部にぐるぐると包帯が巻かれているが、顔色が明らかによくない。
「な、なんでクレスが!? え、どこで……」
「説明は後です。それよりシュベール様、この男を救ってください」
「見覚えがあると思えば、アラタが撃退した勇者ではないか。世話の焼けるやつだな」
シュベールは両腕を前に出し、そこに力を込めた。
すぐに暖かい光がクレスを包み、彼を癒やしていく。
「あれ? シュベールちゃん、詠唱なしで魔法を出せるの?」
「魔族の長を舐めるでない。年季が違うからな」
魔王は笑い、回復魔法を続けた。
クレスは目覚めないが、先ほどまでの顔色の悪さは改善されていった。
「私はもう一度、森へ行ってきます。この男とスライムを同時には運べなかったので」
そう言い残してベルは、またもや城を飛び出していった。
クレスについて、新がしてほしかった説明はないままだ。




