2-7 スライムを注文しました
以前から魔王城には、そこまで危機感なんてものが存在しなかった。
チート能力が蔓延っていた時はその存在が面倒に思いつつも、しかしながら魔王は逃亡したりもせずに真正面から排除していた。
こちらの都合を顧みず、いつ命を狙ってくるかわからない状況でもシュベールは昼寝していたし、本当にのんびりした空間がここにはある。
そして、チート能力がなくなり、部外者の立ち入りが途絶えた今――。
のんびり感は絶頂を突破し、だらだらとした空気が徒に流れていた。
「何してんの……」
新がシュベールに聞いたのは、彼女の行動に対する真意。
偉大なる魔王様は、上下逆さまの状態で壁に寄りかかっていた。
逆立ちではない。
手は使わず、後頭部と首だけが床に接着している。
腰はくの字に曲げ、膝の関節の曲がり具合も脱力を伝えていた。
どうしてこんな姿勢でいるのか。
その答えはシュベール自身の口から静かに告げられる。
「……暇だ」
暇だとどうしてそのようなポーズになるのか。
せいぜいその格好でも、見えるのは自分の股くらいだ。
新の謎は深まるばかりであった。
「暇って……。イデュアと話せば?」
「寝かしつけた。最近、悪夢にうなされているようでな……」
「ふぅん。ところでさ、俺はベルに用があって来たんだけど――」
「ダメだ、我の話相手になれ。もう暇で暇で……」
新には魔王の気持ちが痛いほどわかった。
時間があるのはいいことかもしれない。
しかし、その時間全てを『暇』の一言でまとめられてしまう恐怖も同時に迫ってくるのだ。
その恐ろしさたるや壮絶。
「ゲームとかスマホでもありゃいいのにな。それか、話し相手になる他の魔物とか――」
「お、今日は小娘もいるのか。ならアラタは去れ。ベルと話してこい」
なんだこの魔王は。
こんなに自由奔放だったっけ……。
魔王に呼ばれ、緊張気味にレイが前へ出た。
「僕がここに初めて来た時は寝てたもんね。えっと、シュベールちゃん」
「我を『ちゃん』で呼ぶとは……。まぁよい、我の話を聞いてくれるならどうだって」
レイとシュベールの会話が始まってしまった。
話したがりの魔王が国王の拾い子にマシンガントークを浴びせている。
新は二人から少し離れ、本題に入ることにした。
「ベルー!」
名前を呼ぶと部屋の奥から姿を見せたベル。
彼はエプロンを着用して台所に立っていたが、すぐにこちらへやってくる。
「何かご用でしょうか」
ベルはエプロンを脱ぎ、床につけることなく手元で畳むとそのまま用を聞いた。
新はその身のこなしに感動しながらもマユからのおつかいについて相談を始める。
「マユがさ、魔法の研究のためにスライムが必要なんだって。日本だとスライム状の魔物はメジャーで、こっちの世界にもいるかなって」
「えぇ、ありますね」
「マジ!? それ貰えないかな?」
新は危惧していたことがあった。
マユがどう思っているかはわからないが、新はスライムを立派な生物であると思っている。
実験台に使用するというのはマウス実験のようなもので、つまりはスライムの命を削り取る行為だ。
それで新の心が痛むわけではないが、同じ魔物という立場であるベルからすると人間に搾取される不快感を抱いてしまうかもしれなかった。
だが、そんな心配は不要のようだ。
「いいですよ。今から連れてきましょうか?」
あっさりと快諾され、どこかスライムがかわいそうになってくる。
「だ、大丈夫なのか? 虐殺に不満を持ったスライムたちが魔王の統治体制を転覆させようと反乱を起こしたりとか……」
「ないですね。スライムたちは知性を持たず、反射的に行動するだけなので。正直、自分が生きていることを自覚しているのかさえ……」
スライムには顔なんてない。
日本人のイメージするモンスターとしてのスライムにはかわいらしい顔がついているが、本物はただのゼリー状の塊だ。
その体には筋肉も臓器も存在せず、ただただ揺れるだけの生き物。
「それどうやって生きてんの……」
「スライムは水分と魔力の集合体ですから、魔力を他の生物から吸収することで生命活動を維持しています。でも、吸収をしたとて動きが活発になるくらいしか反応してくれませんね」
動きを活発に――。
それはイキイキと生活したりとか、そういう文化的なものを指しているのではない。
「つまり、ただ揺れが大きくなるだけですね。それに伴って移動速度も早くなりますが……」
スライムがちょっと元気になるだけであった。
特に他の変化はない。
「待て待て! 魔力を吸うって大丈夫なのか!? 体が溶けて死ぬとか――」
「そんな物騒なものじゃないですよ。吸う量がごく僅かなので、赤ん坊でもない限りは魔力不足の衰弱死はしません。スライムが大きすぎると飲み込まれた時に溺死するかもしれないので、それだけ気をつけていただければ安全です」
とんでもなく人畜無害な魔物だ。
危害を加えないのにザコモンスターの象徴にされてさぞ悲しかろう。
「……じゃあなるべく小さめのスライムを何個か。お願いします」
「承りました。少々お待ちくださいね」
飲食店のようなやり取りでマユへのおつかいが終了する。
ベルが向かったのは森のとても深く。
形式上はサリア王国の領土となっているが、実際は人型の魔族がひっそりと社会を構築して暮らす場所と化していた。
皇女誘拐騒動のせいで世間は魔物を敵視しているが、まだ大きな害を与えていない生物を駆逐するのは非人道的だとして相互不干渉で止まっている。
侵入すれば殺されるかもしれないと、いつしか森の奥には誰も進まなくなっていた。
政府も魔王を賞金首とはしたが、他の魔物には一切関与せず。
人類にとってはタブーな場所。
それこそがこの森の深層である。




