1-9 貴重なサンプルを観察しました
家の周りが森であるせいで、新たちは日が落ちかけていることに気がつかなかった。
気がついた時はもう夜。
クレスを家に泊めるわけにもいかないため、そろそろ彼を送り出さねばならない。
「クレス、絶っ対に口外すんなよ。王城に忍び込むことはもちろん、俺とマユのこともな」
「わかってますよ……。あ、この装備はここに置いていっていいですか?」
クレスがチートな剣と鎧を部屋の隅に立てて言う。
レンタル期限は1年間。
返却にはまだまだ時間がある。
「持って帰れよ。どうしてわざわざ……」
「ごめんなさい! 僕の家にはどうしても置けないんです!」
手をついて謝るクレス。
彼はチート装備は最初から持ち帰らず、どこかに隠そうと考えていたのだ。
新はマユを見て判断を委ねる。
「……いいよ。私のもとにあっても、持ち運びはアラタがやってくれるだろうしね」
チート能力を解明するためにも装備は近くにあったほうがいい。
それがマユの考えであった。
男二人はなんとも思っていないようだが、現物を好きに見れるのは研究を大いに進歩させる好機。
無表情ながらもマユの心は興奮していた。
「よし。そうと決まれば君は帰りたまえ。……この魔法陣を触ればセーブポイントまで転移できる」
ペラリと紙を取り出すマユ。
それは新とクレスが話していた間に書いたもののひとつだった。
「もし君が歩いて帰れば怪しまれるだろうね。魔王城まで行ったはずなのに生きているのだから」
どんなチート能力を持ってしてもセーブポイント送りにする魔王。
無事に歩いて生還できた者は、つまり魔王を倒した者に限るわけだ。
そこでマユはセーブポイントへ転移する魔法陣を書いた。
これならば『死んだふり』ができる。
「じゃあ僕は魔王に倒されたっぽい行動をすればいいわけですね」
「む。特別、何かを演じようとは考えないでくれ。君はしくじりそうだから……」
「はい……」
好きな人にショックなことを言われてしまったクレス。
そのダメージは絶大であった。
「それじゃあ僕、もう帰ります……。おやすみなさい……」
「お、おう。おやすみ」
新はクレスの沈みように不安を覚えて声をかけた。
マユはひらひらと手を振るだけで声には出さず。
そこに悪気はないが、クレスには少し恥ずかしい場面を見られてしまったり、求婚をされたり。
マユが信頼する気持ちはクレスよりも新へ向けられている。
クレスとはむしろ距離を起きたかった。
クレスが紙を触り、やがてそれが発光。
そして光が消えるとともにクレスも去った。
「さて、アラタ。そろそろお腹が減ってこないかな。それかお風呂に入りたいとか」
「え、突然どうしたの……」
いよいよ興奮が隠せなくなるマユ。
なぜなら新に話しているのはとある説明の前ふりだからである。
それもチート装備に関係のあることの説明。
「この世界は電子機器の数が少ない。というのも魔法が多くを解決してくれるからだ。しかし、日常的に魔法を出しっぱなしというのも疲れる。そこで――」
マユは部屋の奥にあった扉を開ける。
中にはシャワーと浴槽。
しかしシャワーは湯が流れるはずの管が存在せず、浴槽も湯を出す機材を持たないただの箱であった。
その代わりについているのが――。
「これは……。魔法陣?」
「そうだとも。魔法陣の書かれた物たちは『魔道具』と言われている」
マユは風呂場に入ると、そのまま服を脱ぎ始めた。
「なにやってんだ! 扉閉めてからにしろよな!」
「バカ者。私でなく、浴槽の中だけ見ていたまえよ」
新はゆっくりと前進し、浴槽の中を覗き込む。
すぐ後ろで衣服の落ちる音がし、振り返りたくなるがこれは我慢。
しかし、そんな気持ちも浴槽が光りだすことですぐに消えた。
「なんだこれ……。何が起きてるんだ?」
「この魔道具は誰かが服を脱ぎだすことで発動する。その効果は――」
浴槽のどこからか、とは表現しにくい。
あえて言うならば底から。
浴槽の底から湯が湧き出ていた。
「お風呂がわく」
湧くとも沸くとも言えるかもしれない不思議な光景。
新は小さく感嘆の声を漏らしてから質問する。
「シャワーは? どうやんの?」
マユの方向を振り返り、目を輝かせて聞いた。
そこにいたのはいつものマユでなく、下着姿のマユ。
新は完全にマユが脱衣中ということを忘れていた。
「……あ、ごめん」
「謝りながらも視線は外さないのだな。全裸じゃなくてよかったよ」
マユは管のないシャワーを手に取る。
「でもこれは、全裸にならないと機能してくれない代物でね。君の前でそれは見せられないかな」
「いや。もう十分見させてもらった……」
「コラ、どこの話をしているのだ。君を転移させる前にある程度は覚悟していたけれど、初日からこの調子か。先が思いやられるよ」
「マ、マユが脱がなかったらこの事件も起きてないって」
適当な弁解をし、ようやく新はマユの体から視線を外した。
マユは少し呆れるように息を吐き、脱ぎ捨てた服を再び着用し始める。
「まぁ、いいさ。本当に身の危険を感じた時には君を拘束するから、そうならないよう今後はこっそりと楽しんでくれたまえ」
「えっ……。やめろとは言わないんだ……」
「本能だからな。それとも君は我慢できる自信があるのか?」
「ない……」
服に袖を通したマユは風呂場から出て、次はクレスの装備を手にする。
「どんな物も魔法陣を書けば魔道具になる。だからこれも魔道具のはずなんだ」
もちろん国に無断で製作、販売をすれば違法だ。
それに、この仮説が成り立つとチート能力を引き出せるほど難解な魔法陣を書ける人間がいることになる。
信じられないような話だが、マユは思い込みで決めつけない性格だった。
「うむむ、見えない場所に書いているのかな」
剣を360度見回すが、魔法陣はどこにもない。
たとえ内側に書いてあったとしても効果はあるため、外側からは見えない場所に書いてある可能性も存在する。
「ちょ、マユ! 危ないってば!」
小さな女の子が持つにはそれなりに重い。
そんな剣を持ち上げたマユは足元がフラフラしている。
ハラハラした新はマユから剣を取り上げた。
「ほら、あんまり重いもの持つなよ。俺がやってあげるからさ」
新が剣を見るが、柄にも刃にも鞘にも魔法陣らしきものは書かれていない。
「あのさ、そのチート魔法陣ってゲキムズなんだろ? 発見したとしても解読できるの?」
「それは違うぞ。今すぐ解読する即効的な目的ではなく、今後解読するためのヒントがほしいのだ」
「ふぅん」
とにかく多くの魔法陣を見ることが大切だった。
そして見る魔法陣が難しいほど研究は進歩するのだ。
だからぜひともチート装備の魔法陣を見たかった。
「……でも、魔法陣書かれてなくね?」
「外からは見えない場所に書いてあるかもしれない。分解したいものだな」
さすがにそれは叶わないが。
「まぁ、魔法陣の有無だけでなく他にも試したいことはたくさんある。アラタ、今夜は眠れないかもしれないぞ」
貴重な材料がある今、マユの研究熱は燃え上がるばかりであった。
――――――――――――
「ただいま」
クレスは自宅へと踏み入った。
星明かりで包まれていた天井がきらびやかな照明器具へと変わる。
クレスの声を聞きつけて、メイド服の女性がすぐに駆けつけた。
「おかえりなさいませ、クレス様。遅くまでどこにいらしていたのですか」
「……ちょっとな」
「またスラム街の方ですか? もう二度と行かないと、約束しましたよね」
「行ってない! そ、そこらへんを散歩していただけだよ……」
クレスは顔を伏せた。
メイド服の女性――アリーゼとは長い付き合い。
きっとこの嘘も見抜かれているに違いない。
それでも彼女は――。
「そうですよね。今日みたいな時間に帰るのは遠い場所まで歩いたということでしょうけど、それでもスラムには行ってませんよね。アリーゼの愛するクレス様は、そんな場所には……」
アリーゼがクレスの頭を優しく撫でる。
怖い、この優しさが怖い――。
「旦那様には言わないでおきます。だからほら、一緒にご夕食を食べましょう。アリーゼの手作りですよ」
黙ってやるからおとなしく従え――クレスにはそう聞こえてしまう。
「クレス様、アリーゼはあなたのことが大好きですからね。一瞬たりとも離れたくないのですからね。ちゃんと、私の愛を受け取ってください、ね?」
まただ、また始まった――。
クレスが装備を持って帰れなかった理由のひとつ。
それはアリーゼだった。
彼女の『愛』は一方的。
クレスにとっては『束縛』である。




