0-1 異世界に来ました
目が覚めても、そこは薄暗かった。
この暗さはまだ日が出ていないからなのか。
廣本新はそう考えながら右側の枕もとを見る。
いつもここにデジタル時計を置いているのだ。
眠い目を凝らすと、そこに表示されてあった時刻は午前九時を過ぎていた。
反射的に体が飛び上がる。
遅刻だ。大遅刻だ。
新は自分が大罪を犯したと確信し、微睡みにあった意識も一瞬にして覚醒した。
と、そこで十分な時間であるのにここが薄暗い理由がわかった。
いつもなら朝になると日の光が入り込む自宅だが、今いる場所はまったくもって別なのだ。
「どこだよ、ここ……」
思わず声が出た。
なぜか暗い室内。照らしているのは複数のランプが放つ淡い光のみだった。
自分とその服、ベッド本体とその上にあった毛布や枕。おまけのデジタル時計。
新にとって見覚えのあるものはこれしかなかった。
混乱する頭の中。
濃い霧のかかった脳内を不意にひとつの声が切り裂いた。
「おはよう。よく眠れたかな」
声のした方向にいるのは黒髪の少女。
薄暗いというのに本を読んでいる。
「え、寝すぎたんですけど……。てか、そう、学校に行かないと! ここ、どこですか。俺の家は――」
「ないよ。君の家も、通うべき学校も」
ない?
悪い夢でも見ているのかと新は飲み込めずにいた。
そんな青少年を諭すように少女は本を閉じて言う。
「ここはサリア王国、剣と魔法のファンタジーな別世界だ。君が寝ている間に私が転移させたのさ」
「別、世界……?」
「単刀直入に言おうか。この世界はゲームの中みたいなものでね。魔王がいて、それを倒そうと意気込む人間がいる。君が加担するのは魔王側、この国の世間一般では悪とされる存在だ」
少女は特に感情の起伏もなく、そう言い放った。
少女の口が止まると、すかさず新が口を挟む。
「ごめん、質問! まず、俺をこの世界に送ったのは君ってことだよな」
「その通り」
「じゃあ次。君も地球の住民ってことは、俺たちは同じ世界にいたわけか」
「もちろん。地球だし、日本だし、なんなら近所であったよ」
ここで初めて少女が微笑を浮かべた。
「君を抜擢したのはそこが理由だ。健康な若い男がそばにいてくれて助かったよ」
「いや、俺たち面識なくね……?」
「話をするのは初めてかな。私は君の姿を見たことがあるけれどね」
俺はこんな少女なんて見たことないぞ、と新は思った。
しかし少女の一言でそれが当然であったと知る。
「私は君よりちょっと歳上のお姉さんなのだが……。魔法の代償でこんなちんちくりんになってしまったのだよ。体型には自信あったのになぁ……」
心底残念そうに下を見る少女。
ぺたぺたと己の胸部を触っては重苦しいオーラを出していた。
歳上の女性なら見たことがあるような、ないような……。
ひとまずそれは置いておき、新は次の質問へ。
「ところで、なんで魔王に協力するんだ。正義マンを気取るわけじゃないけど、流血は避けたいっていうか……」
「いいや、それがね、ゲームの理不尽なところだよ。多くのゲームがコンティニューできるだろう。彼らも死ぬ前にどこかへ消えてしまうのさ」
「消える?」
「そう。光に包まれたと思ったら、跡形もなくドロン。おかげで魔王側が出した死者はゼロだよ」
「えっ、じゃあそもそもなんで人類は魔王討伐を考えているんだ」
「……これ以上は現物を見たほうが早いだろう。百聞は一見に如かず、さ」
新はひょいひょいと手招きをする少女の後に続き、外へと出た。
寝巻きのまま外出するのは変な気分だが、少女は新の服装など気にも留めずに歩を進める。
建物の外は深い森。
なるほど、太陽が見えないのは木々のせいか。
何も言わずに森の中を進む少女に新は恐る恐る声をかける。
「なぁ、これどこに向かってんの?」
「魔王城。言っただろう、百聞は一見に如かずって。今から会わせてあげようと思ってね」
魔王がどんな人物かは不明だが、こんな気軽に会えるということはこの少女自身、魔王の協力者なのだろう。
ここで新は、自分が少女の名を聞いていなかったことに気がついた。
黙りながら歩くのも気まずいので良いタイミングの話題だ。
「名前、聞いてなかったよな。俺は新って言うんだけど――」
「アラタ。私はマユだ。漢字は……この世界では不要だからいいか」
マユと名乗った少女と魔王城へ。
ラスボスに続いているはずの道が、新にとっては始まりの場所だった。