届けもの
シリルは手紙を握りしめ、街道を駆け抜ける。
ロランに頼りにされている、という事実は大いに彼の自尊心をくすぐり、それまでの子供扱いは全て水に流すことにした。
手紙の宛名には、フランシーヌという文字が並んでいる。簡単な単語しか、字を読むことのできないシリルだが、何度も見ているうちに、フランシーヌという名前の区別くらいは出来るようになっていた。
彼は城に入る術を持っていたし、それはこの煙突掃除人の少年だからこそ出来る方法であった。加えて、彼の親方がしっかりと食べ物を与え、心身ともに健康だからこそ成せる技であることも特筆すべきであろう。
もちろんのことながら、城門を正面突破することは不可能に等しい。
シリルは、裏側から潜り込む道を知っていたのだった。
城の周りをぐるりと取り囲む用水路へ、シリルは身を滑り込ませる。間違っても身体が水に飛び込むことがないように、急ぎ足ながらも、細い縁をバランスを取りながら進んでいった。
しばらくすると、ぽっかりと口を開けて待ち構えているトンネルに出くわすのだが、この用水路から地下水路へ侵入すれば、地下牢へと出ることができる。
シリルは手に握っていた手紙をポケットに突っ込むと、薄暗いトンネルへと足を踏み入れた。
ネズミが蠢き、悪臭の漂う地下水路にシリルは顔を顰めたが、手早くランタンが引っかかっている場所を探り当て、付属品のマッチを擦った。
真っ暗な闇に、か弱いランタンの火が浮かび上がる。ときどき、足元を掠める感触にシリルは身体を強ばらすが、その正体がネズミであることは分かっているので恐怖は感じない。
しばらく進んだ後、地下水路の奥に浮かび上がってきた鉄格子が視界に入ると、シリルは手元の明かりを吹き消した。そして、素早く鉄格子の間から中へと滑りこむ。
あと、3年もしたら、この鉄格子をくぐれるか怪しいものだ。以前、ロランにこの道を教えた時、男性として標準的な体型をしている彼は通れずに断念したのをシリルは思い出した。
鉄格子の向こう側は、地下牢へと繋がっている。すでにその敷地内へと侵入していたシリルは、足音を立てないよう十二分に気をつけながら進んだ。
ここでは、薄暗いながらも蝋燭の光が灯っている。ランタンで足元を照らす必要は無かった。
地下牢であれば、もちろん囚人も収容されているのだが、王家のお膝元に拘留されているのは大した悪人とも言えない輩が多かった。
例えば、厨房から食べ物をくすねた騎士団員だったり、うっかり王のお気に入りの薔薇を手折ってしまった庭師のような者たちだ。最早、単なる仕置きの場として使われているにすぎない。
しかしながら、ごく稀に、一時的に凶悪犯が収容されることもある。それらの危険人物は準備が整い次第、死刑になるか、街の中央にある徒刑場へと護送されるのが常だった。
この中央徒刑場は、連続殺人犯やスパイなどのれっきとした犯罪者たちが送られる場所だ。
幸いながら、今回はそのような悪人が地下に拘留されている様子はないどころか、囚人の気配すら感じなかった。
そうなれば、自然と見張りも手薄になるというものだ。シリルが知っている限り、ここの見張りの騎士は常に居眠りに徹していた。
悠々と牢の間を通りぬけ、見張り部屋へと移動すれば、いつも通り、滑稽なほど身体を揺らして居眠りする騎士の姿があった。
それから、暖炉へ目を向ければ、いつからそうしていたのか、すっかり火は消えていた。これから煙突を昇っていこうか、というシリルにとっては有り難い状況ではある。
さすがの煙突掃除人にも、轟々と火が燃えている暖炉を辿って行くことは不可能だ。そして、火がついていなくとも、暖炉に熱気が残っていれば、肺が焼けてしまうだろう。
シリルはポケットの中の手紙の存在を確認してから、ハンカチで口元を覆う。そして、踊るように暖炉の中に身を滑り込ませた。
再び見張りが目を覚まして暖炉の火を焚く前に、煙突を辿ってフランシーヌの部屋へと繋がる暖炉にたどり着かなければならない。
シリルはレンガの節に手を掛けると、仕事の時と同じように上を目指して登り始めた。
◆
その頃、フランシーヌはロランに借りたジャケットを腕に抱きしめながら、1人の男と向かい合っていた。
剣呑な雰囲気は、対峙していた、と形容するほうが相応しいかもしれない。
フランシーヌに向かう相手は、紫がかった銀色の髪を揺らして、器用に口の端の片方だけを上げて笑っていた。その皮肉な笑みに、フランシーヌの胸にむかつくような吐き気がこみ上げてくる。
立ち振る舞いこそ粗暴ではないものの、獰猛な色を宿すマリンブルーの瞳は、その男の性格を如実に現していた。
「オーギュスト、ノックも無しに部屋に入ってくるなんて失礼だと思わないの?」
ロランのジャケットをしっかりと抱きしめながら、フランシーヌは怯むことなくそう言い放つ。オーギュスト、と呼ばれた男は鼻で笑い一蹴した。
「何を今更。オレたちは、これから夫婦になるんだ。関係ないだろう?」
「親しき仲にも礼儀あり、よ。それに、まだ夫婦じゃないわ」
「2週間後には、そうなってるさ」
オーギュストが1歩前に踏み出す。それに圧されるように、フランシーヌが1歩下がった。
「勝手に入ってこないで!」
「つれないね、フラン」
フランシーヌが更に1歩引くと同時に、背中に壁が当たった。それを見咎めたオーギュストが底意地の悪い笑みを浮かべ、素早く彼女の腕を掴んで壁に押し付ける。
不意に加わった力に、フランシーヌの手からジャケットが滑り落ちた。
焦りの表情を浮かべ、躍起になって拾おうとするフランシーヌに、オーギュストは見せつけるようにその足でジャケットを踏みつける。
途端に、フランシーヌの顔が怒りで真っ赤に染まった。
「やめて!」
「ふぅん。この薄汚れた布切れの何がいいんだい?」
目の前の少女が嫌がる様子を心底面白がりながら、オーギュストはわざと見せつけるようにジャケットを踏みにじる。
「ねぇ、フラン。今朝、どこに行ってたんだい?」
獲物をいたぶるような猫撫で声。耳元に息がかかるほどの至近距離で囁かれ、フランシーヌの全身に鳥肌が立つ。
反射のように震えを走らせた彼女に気を良くしたオーギュストは、楽しそうに喉の奥で笑った。
「あなたには、関係ないでしょ! 足をどけて!」
「嫌だね。君が素直に答えるなら、考えてあげるけど」
「どうせ、考えるだけ、とか言うんでしょ!」
フランシーヌが殺気立った瞳で睨みつけるが、当の本人は相変わらず歪んだ笑みを浮かべており、肩を竦めるだけだった。
「ご名答」
「あなたって、本当に最低な男!」
「言うねぇ。でも、そんな偉そうな口が利けるのも今の内だよ」
オーギュストは手を離し、くるりと踵を返す。
突然解放されたことに驚きながらも、フランシーヌは急いで足元に落ちたジャケットを拾い上げた。踏まれた箇所に薄く泥がこびり付いているが、洗えば問題は無さそうだ。
フランシーヌは泥が洋服に付着することも厭わずに、ジャケットを再び胸に抱きかかえる。その様子に、オーギュストが呆れたように目をまわした。
「誰のジャケットだい? まさか、セルジュの?」
「例えそうだとしても、あなたには関係ないわ」
「その通りだよ。君が誰と繋がっていようと、2週間後にはオレのモノになるのだから」
オーギュストがライラックの髪に触れようと手を伸ばす。いち早くそれを察知したフランシーヌは、その手を払い除け、間合いを取った。
オーギュストは眉を顰めたものの、特に気にした様子もなく、悠々と近くにあるベッドに腰掛ける。
あまりにも紳士的とは言えない振る舞いの数々に、フランシーヌの怒りは収まらない。
「いい加減にしてよ! 座らないで!」
「あーあ。君の父上と母上は友好的なのになぁ。君はどうして、そんなにもオレに対して攻撃的なんだい?」
「自分の胸に聞いてみれば?」
フランシーヌが冷たく言い放つが、オーギュストはにやりと笑みを浮かべ、仰々しく胸に手を当てた。
「心当たりがありすぎて、分からないな」
怒りと悔しさから、フランシーヌは言葉を失くす。そして、しばらくの間を置いて、やっと絞り出せたのは「最低」という一言だけだった。
「仕方がないだろう? 君があまりにも可愛いから、苛めたくなるのさ」
嘘つき、とフランシーヌは心の中で目の前の男を罵る。
この男に見えているのは、フランシーヌの目の前にぶら下がっている財力と権力だけだ。
王族の正統な血統を引き継ぐのは、フランシーヌただ1人。彼女は将来この国の女王となるべき存在であり、オーギュストにはそれが許せないだけだった。
頭脳、身体能力、政治的手腕、全てが誰よりも勝っていると信じて疑わない、この傲慢な男は、血筋で決められてしまう運命へのやり場のない怒りや、羨望といった負の感情の矛先を全てフランシーヌに向けているだけなのだ。
「オーギュスト、私と結婚したからと言って、そう簡単に国を動かせるようになるとは思わないことね」
フランシーヌが低い声でそう告げれば、オーギュストは喉の奥で笑うだけだった。
「そうだね。君の両親が死なないことには、ね」
どんよりと濁った光がオーギュストの目に宿る。息が詰まるような恐ろしさを感じたフランシーヌは、この男が何を考えているのかを察し、瞠目した。
「あなた……!」
「まぁ、どちらにしろ、実権を握るのは君なんだけど」
オーギュストは不意に立ち上がると、フランシーヌの方へ歩み寄る。
部屋の外に逃げようと視線を走らせたが、その前に髪を掴まれ引っ張られる。鋭い痛みが走り、ライラックの髪が数本抜けて行った。
「ねぇ、フラン。君には贅沢三昧の生活を送らせてあげるよ。王族の手本って奴を、オレが見せてやる」
「結構よ。私にはそんな生活、必要ないわ」
「今はそう思うかもしれない。けれども、一度溺れてしまえば、そう安々と抜け出せるものでもないのさ」
オーギュストは更に距離を詰め、互いの唇が触れそうになるほど間近で話しを続ける。
「馴れってものは、一番恐ろしい。異常だったものが、正常へと変わるのだから」
男の銀色の髪が、日の光を反射し煌めく。本来、温かいはずの光が、冷たく鈍色に照り返した。
オーギュストはフランシーヌを解放すると、片方の口の端を上げて見下ろす。
「フラン、それは君だって例外ではないんだからね」
飽きた、とでも言うように、途端に興味を失ったオーギュストは、踵を返し颯爽と部屋を後にする。
その後姿を睨みつけながら、フランシーヌは思いつく限りの罵詈雑言を心の中で浴びせかけた。そして、手の中にあるジャケットを再び抱きしめると、ロランの温もりに顔をうずめた。




