思い出の場所で
夜明け前のことだった。倒れ込むように椅子に背を凭れていたクラリスが、勢いよく顔を上げた。
「いやな予感がする」
一言そう発し立ち上がろうとする姿に、近くにいたレティシアが慌てて止める。
「あんた、何言ってんだい。そんな身体でどこに行こうってんだ」
「クロードを探す」
「無茶すんじゃないよ。クロードを見つける前に、あんたがくたばっちまう」
レティシアの忠告を無視し、クラリスは立ち上がる。その途端にバランスを崩し、床に倒れ込んでしまった。
近くにいた数人が気付き、クラリスを抱きかかえると再度椅子に座らせてやる。クラリスは悔しそうに歯噛みした。
出ていった人を心配しているのは、あんただけじゃないんだ、とレティシアはよっぽど言ってやりたかったが、しかめっ面をするだけで言葉にはしない。それから、あることを思いついた。
「そんなに心配なら、あたいが見に行ってやるよ」
「同じ病人が何を……」
「あんたらが手当してくれたおかげで、左腕さえ動かさなきゃ何とでもなるよ。それに、あたいもローを探したいし」
クラリスと、周囲にいる紅の鳩のメンバーは顔を見合わせる。もしこれが、今まで一緒にいた仲間だったのであれば、出ていくのを止めたであろう。けれども、レティシアはクロードが手当するために連れてきた人間だ。本人が行きたいというのを無理に止めるのも、おかしな話だった。
「それなら、これを持っていくと良い」
クラリスは近くにいた男のポケットから小型の銃を取り出す。レティシアは初めて見るものに、目を瞬かせた。
「これは?」
「銃という、隣国の武器だ。剣と違って、引き金を引くだけで、相手を攻撃できる。弾が飛び出して、相手を貫くんだ。心臓を狙えば殺すこともできる」
「物騒なもん持ってるんだねぇ」
「無限に弾が出るわけじゃない。弾切れを起こしたら、新しく詰めないと使えない。無闇に使わず、護身用に持っておけ」
「ありがとう。大事にするよ」
レティシアは銃を手に取ると、立ち上がる。右手に収まる小型の銃は、意外と手に馴染んだ。
◆
レティシアは、ロランの『時計台』という呟きをしっかり覚えていた。クラリスが心配していたクロードの様子は後回しだ。どこに行ったのか、手がかりすらない男を無闇に探し回るほどレティシアは愚かではなかった。
時計台の広場には、アンセルムの遺体があるはずだ。レティシアは数時間前の出来事が夢であればと願いながら、彼の姿を探す。
もし見つからなければ、アンセルムはまだ生きていて――またいつか、店で会えるかもしれない。そんな小さな希望を胸に抱いたが、その願いはあっけなく打ち砕かれた。アンセルムの亡骸は、無情にも広場の片隅に打ち捨てられたままだった。
レティシアは足を止め、そしてゆっくりと歩み寄っていく。
「あんた、本当に馬鹿だねぇ」
そっとかがみ込むと、レティシアは、苦悶の表情で目を見開いたままのアンセルムの瞼に手を乗せる。まるで、頭を撫でるように優しくその瞼を閉じてやった。
「馬鹿だよ、本当に」
ハンカチなど持っているはずもない。レティシアは仕方なく、スカートの裾を口に咥えると、右手を使って布を裂く。なんとかして、小さなボロ布を作ると、それをアンセルムの顔にかけてやった。
「じゃあね」
レティシアは立ち上がると、時計台に向かう。どこか、中に入れそうな場所はないかと探してみたが、唯一あるドアには鍵がかかっていた。もしかしたら、時計台の近くのことを指していたのかもしれない。
レティシアはそう結論づけて、去ろうとするが、その前にもう一度、周囲を見回す。そこで、不自然に鉄格子が外れていることに気づいた。
近づいてみると、鉄格子が外れた先は中に続いている。人が通れそうな、ちょうどよい大きさをしていた。
レティシアはしばし逡巡したものの、意を決してしゃがみ込む。地につくと痛む左腕を庇いながら、ゆっくりと中へと進んでいった。
◆
空が白み始める。それまで、星も見えず暗く淀んでいたのが嘘のように、柔らかな光が辺りを包んでいく。いつかの日、2人で追いかけっこをしながら旅に出たときも、このような空だった、とロランは思い出した。
時計台の端に、佇む姿が見える。3年前に比べるとずいぶんと伸びたライラック色の髪。身にまとっているのは、2人で旅をしていたときに貸していた、ロランの服だ。
胸の奥に、小さな期待が芽生える。
「フラン」
声をかければ、ゆっくりとその顔が振り向く。もしかしたら、今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべているのではないかと――そう、想像したのだ。
「遅かったわね」
嘲笑するように上がった、片方の口の端。猫のように細められたコバルトブルーの瞳。振り向いたフランシーヌは、驚くほどに冷たい表情をしていた。
その実、フランシーヌはロランに飛びつきたい衝動を必死に抑えていた。けれども、今、ここで、本音を話してしまえば、全てが無駄になってしまう。
多くの民を手にかけたことも、あまつさえ、シリルにした酷い仕打ちでさえ、無意味になってしまうのだ。これまで演じてきたすべてを台無しにするわけにはいかない。
「フラン、俺、お前に聞きたいことが山程あるんだ」
「そう。私は話すことなんてないわ」
「今までの、殺人や、シリルのこと、本当にフランが望んでやったのか?!」
「もちろん」
ためらうことなく返された答えに、ロランは言葉を失う。
フランシーヌはロランから視線を外すと、時計台から街を見渡す。夜も明けようという時間になっているにも関わらず、火の手は消える気配を見せない。木枯らしが吹きすさぶせいで、風に煽られ炎が大きく舞うのだ。
「前から鬱陶しかったの。ちょろちょろと城に来るのが。バルコニーから落としたときは、せいせいしたわ」
フランシーヌの表情を伺うことはできない。ただただ、ロランは呆然とその背中を見つめることしかできなかった。
「あなたとの駆け落ちが失敗して、お父様もお母様も死んで、何もかもがどうでも良くなったのよ。どうせ、一生、王族をやらないといけないなら、せいぜい楽しませてもらうしかないじゃない?」
「嘘、だろ……。なぁ、フラン。嘘だろ?!」
「それに、あなた、紅の鳩のメンバーになったのでしょう?」
「なんの話だ? 確かに、クロードさんには助けられたけど、俺は……」
「もういいの。どうでもいいのよ、あなたのことも」
冷たい風が、2人の間を吹き抜けた。ライラックの髪がはためくのを、ロランはじっと見つめる。
「じゃぁ、本当に、フランが望んで、全てのことを起こしたんだな」
「そうね」
「はは……そう。そっか」
ロランは爪が食い込むほどに、拳をきつく握りしめる。
「ずっと願ってたんだ。こんな悪夢のようなこと、全部やらされてるだけで、本当は、フランは昔のままで、優しいままで、俺のことを待っていてくれてるのかも、って」
フランシーヌは答えない。
「もし、そうなら、国中の人間を全員敵に回してでも、俺だけはフランの味方でいないとって、ずっと思ってた。けど……」
ロランは言葉に詰まる。何度か口を動かし、血を吐くような思いで告げる。
「違うんだな」
沈黙が降りる。風の音が強く響き、唸りを上げた。
「馬鹿な人ね」
フランシーヌは震えそうになる声を必死に抑える。
ロランを振り返ってはいけない。自分自身の未練と決別するために、伝えないといけない。たとえ、そう思ってなくとも、言いたくなくとも、言葉にしなければならないのだ。
「でもね、私は、もう、あなたのことを愛してな――っ!」
乾いた銃声が鳴り響く。
ゆっくりと、フランシーヌが足元から崩折れていく。ロランは我を忘れて駆け寄り、倒れ込むフランシーヌを抱きとめた。
腹の部分から赤い染みがゆっくりと広がっていく。震える手でそこを押さえれば、生暖かく、ぬめりとした感触がした。
「やった、やったよ、ロー! あたいたち、女王を捕まえた!」
レティシアの声が遠くで響く。右手に持った何かを振りかざして、左腕を怪我していることも忘れて喜んでいる。
柔らかな朝日が、静かに辺りを包んでいた。その日――彼らは、互いに別れを告げねばならない運命にあった。




