05
クロードは暴動の中心に向かっていた。
フランシーヌを捕まえると言ったものの、彼女の居場所など知るはずもない。
この騒ぎの中、外にいるとも考えづらい。
いるとしたら、城の方だろうと踏んでの行動だった。
隠れ家の近くとは違い、多くの貴族たちの居住がある広場の近くは賑やかなものだった。
市民だけでなく、騎士たちも騒ぎのせいで奔走している。
戦いに積極的に参加している者もいれば、強引に家に押し入られて追い出されたのか、所在なさげに逃げ惑う者の姿も見えた。
暴動から逃げている者を誘導し、クロードは助けるようにしたが、キリがない。
このままでは、城にたどり着くことなく夜が明けるだろう。
騎士はもはや、目についた市民を誰彼構わず切り捨てているようだった。
むごい、とクロードは思う。
本来であれば、騎士は市民を守るためにいるものだ。
それを私物化し、私利私欲のために使うフランシーヌの考えがどこにあるのかクロードにはさっぱり分からない。
少なくとも、ロランと一緒にいる姿を見たときには、そのような凶暴性は欠片も見えなかった。
「3班!バリケードを破壊しろ!2班はそれに続いて、中にいる者をすべて引きずり出せ!」
明るい紅茶色の髪の男が、騎士団に指示をしている。
クロードはその姿に見覚えがあった。
最後に姿を見たときには、声変わりすらしていなかったというのに。
懐かしい気持ちと共に、騎士団に指示する言葉にクロードはいささか残念な気持ちを抱く。
きっと、相手は自分のことなど覚えていないだろう。
もちろん、声をかけるつもりなどなかった。
そのつもりだった。弟の愚かな行いを目にするまでは。
◆
行方をくらました兄がすぐ近くを通っているなどと知る由もないフェルナンは、バリケードで封鎖された雑貨店に突撃する騎士団を見送り、他の現場に向かおうと踵を返す。
その時、右腕を誰かに掴まれ反射的に振り払った。
「あぁ…っ!」
情けない声を上げて、道に倒れ込んだのは老婆だ。
どう見ても、この暴動に参加しているようには見えない。
「騎士さま、どうか、どうかお助けを…。孫が、孫が、あの中にいるのです!」
「なんの話だ」
「あの店に!どうかお慈悲を…」
「暴動の参加者か。抵抗しなければ、命はあるだろう」
そう告げて去ろうとすれば、老婆の手がフェルナンのズボンの裾を掴む。
「お願いですから!殺すなと命令を…!」
そんなことが、できるはずもない。
市民に殺された騎士団の者もいるのだ。
フェルナンは老婆を振りほどこうと、脅すために剣を振り上げる。
そのとき、横から吠えるような声が飛んできた。
「やめろ!」
振り上げた剣が何者かによって弾かれる。
フェルナンの手から抜け落ちたそれは、地面に叩きつけられ乾いた音を立てた。
驚いているうちに、剣を弾いた相手は老婆に手を貸し、ゆっくりと立ち上がらせると逃げるように告げる。
聞き覚えのある声音に、フェルナンは恐る恐る相手の顔を見る。
日に焼けた茶色い髪は、かつては自分と同じように明るい紅茶色だったのであろう。
幼い頃の記憶にはなかった顎髭を蓄えているものの、その吊り上がった目には覚えがあった。
「兄上…?」
そのまま何も言わず、通り過ぎようとしたクロードだったが、さすがに老婆に手をあげようとした場面を見過ごすことはできない。
クロードは右手に構えた剣を鞘に戻すと、怒りも顕にフェルナンを叱りつけた。
「無抵抗な市民を傷つけようとは、どういう了見だ?フランシーヌ様のように、お前までトチ狂ったのか?」
「兄上、違う…違うんです…」
声が震える。
まさか、大好きだった兄とこのような再会を果たすとは、フェルナンは夢にも思っていなかった。
フェルナンは時折考えていた。
もし、兄が騎士団の隊長であったら、フランシーヌの命令を素直に聞いていただろうか、と。
クロードはいつでも真っ直ぐで、正義感の強い人間だった。
同じ立場であれば、自分の地位を捨ててでも、残虐な命令を下すフランシーヌを切り捨てていただろう。
けれども、フェルナンにはできなかった。
命令に背き、謀反を企てるよりも、命令に従順になり、すべてをフランシーヌのせいにする方が圧倒的に楽だったからだ。
「お前の剣はなんのためにあるんだ?騎士団とは本来、市民を守るために在るものだろう!」
そんなことは、言われなくても頭では分かっている。
フェルナンとて、無闇に人を屠るのが好きなわけではない。
何度心苦しい思いをしたかわからないのだ。
それを、身勝手な思想で家から絶縁され、出ていったクロードに指摘されるのは、たまらなく悔しかった。
「兄上は…兄上こそ、今更、私の前に現れて説教とはどういう了見なのですか?あなたが出ていったせいで、私がどれほど…」
「どれほど苦労したかって?そうだな、まぁ、お前の苦労の一旦は俺の責任でもあるな」
あっさりと認めたクロードに、フェルナンは目を瞬く。
クロードは足元にあるフェルナンの剣を蹴飛ばす。
石と金属が擦れる嫌な音を立てて、それは、フェルナンの足元に戻ってきた。
「俺が紅の鳩のリーダーだ」
耳を疑うような発言に、フェルナンは剣を拾うのも忘れる。
もしかしたら、ということは何度も考えたが、本人の口から聞かされるのは、頭で考えるだけとは違い、衝撃が大きい。
「鳩新聞を読んだことはないのか?まるっきり、俺の思想だろう。それに、エリクの名前があるのだから、同時に出奔した俺とつるんでることも見当くらいついただろう?」
「その可能性は何度も考えましたが、でも、兄上が…」
「俺は、俺の信じる道を進んだだけだ。そして、今、この惨状を見て、それは正しかったと確信している。ただ、まぁ、こんな大事になる前になんとかするべきだったがな」
で、とクロードは続ける。
「お前は、何を考え、何を信じて騎士団の団長をやってきたんだ?」
その問に、フェルナンは答える術を持っていなかった。
燃え盛る炎の音が耳につく。
屋内で広げられてるであろう戦いの、剣戟が遠くで鳴っている。
確信しているものなど、何もない。
ただただ、今まで人の命令に沿って、生きてきただけだった。
クロードは小さくため息をつくと、呆けているフェルナンを置いて、その場を去ろうと踵を返す。
そして、戦いの舞台になっているであろう雑貨屋の方に視線を向け、絶句した。
「あの婆さん…!」
小さく舌打ちをし、クロードは駆け出す。
一拍遅れてフェルナンも老婆が雑貨屋に向かっていることに気づく。
けれども、そこで自分も向かうべきか躊躇った。
放って置いても、あの老婆はクロードが連れ戻すだろう。
足元に転がった剣を拾って、鞘に収める。
クロードが老婆に声をかけ、戻るように指示している。
しかしながら、老婆は頑として動かず、雑貨屋を仕切りに指差し、泣き喚いているようだ。
もはや、崩壊していると言っても過言ではないバリケードは、その役割を果たしておらず、誰でも通れるようになっており、内情がよく見える。
室内では炎が上がっているようだった。
騎士団も市民も入り乱れ、剣だけでなく、家具や酒瓶まで持ち出して戦っている始末だ。
そんな中で、誰かが炎をまとった瓶を振りかぶる。
何が起こるか、最悪の想像をしたフェルナンは、思わず声を上げた。
「兄上!危ない!」
途端、大きな爆発音と共に、雑貨屋から火の手が上がる。
辛うじて逃げ出してきた騎士団の数人が、外に転がり出てきた。
クロードと言えば、老婆を庇ったまま、吹き飛ばされ、道に転がっている。
フェルナンは慌てて駆け寄るが、それよりも先にクロードが身体を起こした。
生きている、そう思い安心した矢先だった。
難を逃れた騎士団の一人が、クロードに気づき、剣を振りかぶったのだ。
「やめろ!その人は…っ!」
フェルナンの声は、炎と喧騒に紛れて空中に霧散した。
深く突き刺さった剣が、クロードだけでなく、老婆の命も共に奪い去る。
フェルナンは中途半端に伸ばした手を降ろし、地面に膝をつく。
もし、あのとき、クロードに任せきりにせず、自分もその後を追っていれば。
騎士に声は届き、兄は助かったかもしれない。




