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紅の鳩  作者: りきやん
最終章

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71/77

04

時計台の裏の足元には、小さな鉄格子がはまっている。

別の道を使い、時計台に辿り着くのは、ロランにとっては容易なことだった。

幸い、暴動の中心部はロランが住んでいた貧民街から、徒刑場や貴族たちが集まる広場へと移っていったようだ。

だが、このあたりも無傷では済まなかったらしく、焦げた匂いが風に乗って鼻を突いた。


ロランは膝をつき、持ち上げるようにして右に捻り、鉄格子を外す。

そして、一度広場を振り返った。

広場の先では、セルジュとクリストフが向かい合っているのが辛うじて見える。

ともすれば、立ち話でもしているように見えるその姿から無理やり視線を外し、潜り込むようにして頭から床下へと身体を突っ込む。

フランシーヌがこの先にいる。

そう思えば、外した鉄格子を戻すことすらもどかしく、ロランはそのまま時計台の上を目指して進んだ。



クリストフはため息と一緒に、肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐出した。


「オレはなぁ、姫さんに幸せになって欲しかったんだよ」


ぽつりと漏らした言葉に、嘘はなかった。

クリストフは煙草をくわえたまま、右斜め上を見上げる。

淡い煙が空へと溶けていくのを目で追いながら、どこか寂しげな笑みを浮かべた。


クリストフが寛いでいるように見えるその態度に反して、セルジュは剣を握る手の力を緩めない。

その目は冷たく、ひとつの油断も許すまいと、じっと目の前の男を見据えていた。


「それは私も同意見ですね」

「そうかい。オレにはあんたが、姫さんに不幸になって欲しいと思ってるように見えるけどねぇ」


クリストフの言葉に、セルジュはほんの僅かに眉を動かした。


「少なくとも、オーギュスト様と結婚するよりは、今の方が幸せでしょう」

「小さな子どもまで殺すようになってか?」


皮肉まじりの一言に、セルジュの口元がわずかに歪む。


「理由あってのことですから」


どこか含みのある口調に、クリストフは煙草をくわえ直しながら、じっと相手を見据えた。


「姫様は王族ですから。国を捨てるようなことがあってはなりません」

「今だって、捨ててるようなもんだろ」

「王座にいるということが重要なのです。政治の中身は人それぞれですから」


あくまで淡々と、揺るぎのない声だった。

“あるべきものが、あるべき場所にある”

セルジュにとって、それは秩序そのものであり、正義だった。


剣を握り直すセルジュの指先に、迷いはない。

その一方で、クリストフは煙をくゆらせたまま、のんびりとポケットに手を突っ込む。


「姫様はああ見えても、きちんと信念を貫く方ですよ」

「市民を虐殺することに、どんな信念があるってんだ」


クリストフの声に、わずかに怒りが滲む。

だがセルジュは顔色ひとつ変えず、冷ややかに応じた。


「それはご自分で聞いてみるのがよろしいでしょう」

「そこを通って聞きに行っていいのか?」


冗談交じりに尋ねると、セルジュは静かに目を細める。


「まさか」


全く通す気のないその返答に、クリストフは肩を竦めて見せた。

そしておもむろに、ポケットから折り畳まれた一枚の紙を取り出す。

何をするのかとセルジュは不審に思うが、広げられたそれは何てことはない、ただの地図だ。


「ロランと姫さんの駆け落ちを手伝ったのが、懐かしいねぇ」


クリストフは地図を指先でなぞりながら、遠い昔を思い出すように言った。


「国境までの道のりの、半分くらいしかたどり着けなかったが…あのまま行ってりゃ、みんな幸せだったろうよ」


その呑気な口ぶりに、セルジュは呆れたようにため息をつく。


「お忘れのようですが、あのままではオーギュスト様がこの国を荒らしていたと思いますが」

「今と大差ないだろ。」


クリストフは煙を吐き出しながら、肩を竦めた。


「だったら、2人を逃してやった方が、まだマシだったって話だ」


タバコを咥えたまま、クリストフは地図を再度折りたたむ。

セルジュはその手元を注視するが、どうやら地図は元の形に折られているようではなかった。


「騎士団長殿は元気にしているのか?」

「えぇ。変わりなく」

「あいつも、まぁ、難儀な性格してるからなぁ。くそ真面目で」


クリストフは地図を折り終える。

それは、紙飛行機の形をしていた。

「よし」と、彼はひとりごちると、紙飛行機を手に持ち、軽く構えた。


「あと聞きたかったのはあれだ、オレを指名手配犯にしたのはお前か?」

「そうですね」

「やっぱりなぁ。姫様がオレに冤罪を着せるわけないからなぁ」


言いながら、クリストフは腕を引き、紙飛行機を空に向かって大きく振りかぶる。

一息の溜めの後、勢いよく放たれたそれは、夜の風を裂いて飛び立った。


その小さな飛行体は、まるで時計台の頂を目指すかのように、ゆっくりと弧を描いて夜空を舞っていく。

火の粉が舞う混沌の中、ひときわ静かで穏やかな軌道だった。


「何を…」


思わず紙飛行機を目で追ったセルジュの意識が逸れた、その瞬間だった。

鈍い衝撃が腹に走り、息が詰まる。

手から剣が滑り落ち、石畳に乾いた音を立てて転がった。


受け身を取るよりも早く、クリストフの手がセルジュの両腕をねじ伏せる。

次の瞬間には地面に組み敷かれ、背中をがっちりと踏みつけられていた。

両手は背中の後ろで押さえつけられ、まるで動けない。


腹を殴られたのだと理解した頃には、すでに全てが終わっていた。


「甘いねぇ。不意打ちはあんたの専売特許じゃないんだよ」

「腐っても、元騎士団員ですね」


セルジュは嘆息し、組み伏せられたまま時計台をそっと見上げる。

今頃、フランシーヌとロランはあの上で再会を果たしているのだろうか。

フランシーヌが最後まで演じきるのか、それとも、ロランの顔を見た瞬間、心に閉じ込めた本音をこぼしてしまうのか、セルジュには分からない。


「ところで、あなた。なぜ、地図などを持っているのです?」


クリストフはセルジュを抑えたまま、煙草をふかし、不敵な笑みを浮かべた。


「卓上旅行が趣味だからな」

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