心のどこかで
ロランの心臓は早鐘のように鳴っていた。もしクロードにフランシーヌが見つかれば、ただでは済まない。クロードだけではない。今や、街中の人間が彼女の敵なのだ。
「ロー、私の手当は終わったよ」
座り込むロランに、レティシアがそっと声をかける。
「ロー」
レティシアが、ロランの顔を覗き込む。その瞬間、頭の中で、フランシーヌの今にも泣き出しそうな笑顔が弾けて消えた。
「時計台……」
「え?」
「行かないと」
顔を上げたロランは、レティシアへの返事もそこそこに階段を駆け上がる。
レティシアが慌てて立ち上がるも、足がもつれてよろけた。咄嗟にクリストフが右腕を掴み、再び椅子へと戻す。
「オレが追いかけるから、嬢ちゃんはここで待ってろ」
「でも!」
「その身体で外に出るなんて、無理に決まってんだろ。連れ戻してやるから、待ってろ」
クリストフは面倒そうに頭を掻いたが、そのまま階段を登ってロランの後を追う。取り残されたレティシアは、不安げにその背を見送ることしかできなかった。
◆
「おい、ロラン」
ロランに追いついたクリストフは、声を掛ける。元騎士なだけあり、たとえ追いかける対象が走っていようとも、距離を縮めるのに苦労はしなかった。
「危ないから戻れ」
「クロードさんより先に、フランを見つけないと」
「姫さんは変わっちまったんだ。見つけてどうするんだよ」
「話をする。本当に変わったのか、確かめたい」
「確かめるも何も、一目瞭然だろ」
「俺は! あれから! フランと一度も話してない!」
意固地になるロランに、クリストフは小さくため息をつく。やがて、説得を諦めたのか、肩を落とした。
「旅をした仲間のよしみだ。一緒に行ってやるよ。当てはあるのか?」
「時計台」
「ほーん」
燃え移った炎が、路地のあちこちでくすぶっている。それを避けながら、クリストフとロランは時計台へと足を急がせていた。
夜も更け、市街は本来なら静寂に包まれているはずだった。だが、今は怒号が飛び交い、騒ぎの熱は一向に冷める気配がない。
ロランはいつもの道を辿るため、ためらいもなく細い路地へと滑り込む。その顔には、明らかな焦燥の色が浮かんでいた。
クリストフはその横顔を見つめながら、ふと、問いを投げかける。
「お前、まだ、姫さんのこと好きなのか?」
すぐに答えは返ってこない。
ロランはたっぷりと沈黙したあと、息も切れ切れに答えた。
「わから、ない。フランは、シリルを殺したし、女将さんも……。フランが残虐なこと、してるの、知ってるけど、それでも、どこかで、フランを信じてる、自分が、いる」
時計台の広場には、アンセルムの死体が残っているはずだ。それを思うと、ロランは心臓を潰されたかのように、身体が震える。
「アンに……友人だった男に、言われたんだ。全部、お前のせいだって」
時計台が近い。
あの角を曲がれば、広場への拓けた道に出るはずだ。火の手が上がっているのか、まるで、ロランたちを導くように明るく輝いている。
「もし、そうなら、俺は……」
「待て、ロラン!」
広場へ飛び出そうとした瞬間、ロランの肩をクリストフが掴み、力強く引き戻す。直後、風を裂く音が耳を打ち、次いで金属が石畳に叩きつけられる甲高い音が響いた。
振り返ると、鋭い一振りの剣が、まさにロランがいた場所に振り下ろされている。
「おや、その声は、クリストフですか」
淡々とした声音に、空気が凍りつくような緊張感が走った。クリストフが、ゆっくりと前に出る。
「よぉ、ラファラン殿。不意打ちとは、あんたらしい卑怯な真似するじゃねぇか」
「生きていたのですね」
「おかげさまでなぁ」
ロランは振り下ろされた剣を見つめ、そして、ゆっくりと視線を持ち主へと移す。燃え上がる炎がその顔をぼんやりと照らしていた。
「あんた……」
「お久しぶりですね、ロラン。再びお会いできて光栄です」
セルジュが慇懃にお辞儀をする。その所作には余裕すら感じられたが、クリストフは微動だにせず、警戒の眼差しを向けたままロランを背に庇う。
セルジュは薄く口角を上げていたが、ロランを認めると徐々にその表情に憎悪の色が滲んでいく。
「あなたのせいで、姫様がどれだけ心を痛めておいでかお分かりですか?」
「俺の……せい?」
ロランの声がかすれた。
『お前のせいだ』
その言葉は、何よりも深くロランの心を抉る。
「えぇ、そうです。あなたの……」
「おい」
クリストフの声が、低く、冷たく割り込んだ。
「姫さんが間違った道に進んじまったなら、それを正すのが教育係のお前の仕事だろう? 職務放棄も大概にしとけよ」
クリストフはセルジュから目を離さずに言い放つと、後ろ手でロランに素早く合図を送った。――逃げろ、と。
ロランは気づいた。けれど、すぐには動けなかった。
「そうですね、クリストフ。あなたの仰る通りです。だから、こうして、姫様を探しに来たんですよ。そこの時計台にね」
薄っすらと目を細めたセルジュに、ロランは弾かれたように時計台を見上げる。
「けれども、どうやって入るものか分からなくて困っていたのです。あぁ、そうだ、ロラン。あなたならご存知でしょうか?」
セルジュが一歩前に出る。クリストフは咄嗟に叫んだ。
「早く行け!」
ロランは弾かれたように身を翻し、夜の路地を駆け出した。足音が少しずつ、遠ざかっていく。
セルジュはその背をただ見送る。追おうとする素振りさえ見せず、小さく肩を竦めた。
「別の道で暴動が起きてないといいですね」
「てっきり、お前はロランを追いかけてでも殺すと思ってたんだが、違うのか?」
「あなたをどうにかした後でも、遅くないでしょう」
「言うねぇ」
セルジュは手にした剣をゆっくりと構え直す。だが、クリストフはまるで戦う気などないように、懐から煙草を取り出した。
この場にそぐわない呑気な行動に、さすがのセルジュも眉をひそめる。
「フェルナンが怒り狂うわけですね」
「ま、そんな昔のことはどうでもいいだろ。ちょいと、話しでもしようや、セルジュさんよぉ」
クリストフは近くの路地で燻る炎に煙草をかざす。火が移るのを確かめると、ゆったりと口元へ運び、深く一息、煙を吸い込んだ。




