06
「アン!」
「おや?誰かと思ったら、シー坊じゃないか!」
シリルの声に振り返ったアンセルムの髪が、さらりと揺れる。
後ろで緩く1つに束ねられた黄金色の髪が、優雅に舞った。
マリンブルーの深い青色の瞳に、鼻筋の通った完璧な顔立ちは、お伽話に出てくるような王子様然とした容姿である。
まだ少年であるシリルから見ても、アンセルムは一際目立つような見目の良い青年として映っていた。
その証拠に、アンセルムの隣にはいつでも女性がいる。
今も、その側を数人の女性が取り囲んでいた。
「シー坊、元気だったかい?」
「もちろん!アンこそ、元気だった?」
手品の道具を片付けながら、アンセルムは微笑みをシリルに向ける。
けれども、取り囲んでいた女性たちは、あからさまな嫌悪感を浮かべて、シリルを眺めた。
値踏みをするようなその視線は、明らかに煤で汚れた洋服や顔に注がれている。
その視線に萎縮したシリルは、喜びのままに飛びつこうとした手を引っ込め、一歩下がった。
それに気づいたアンセルムは、女性たちに短く別れを告げ、営業は終了だとばかりにシリルの手を引くと、連れ立ってその場を離れる。
「アンって、ロランと違って気が利くよね」
「そう?」
ロランであれば、女性たちの視線、もしくはシリルの態度に気づかないまま、あの場で話を続けただろう。
もちろん、気がつけばすぐに庇ってくれるのだろうが、アンセルムのようにスマートにはいかないに違いない。
アンセルムが歩くままに、シリルはついて行く。
方角からして、ロランの住んでいる宿に向かうようだ。
この街に帰ってきた時は、必ずと言って良い程、アンセルムはそこに泊まっていた。
「ねぇ、アン。よく、女将さんが泊めてくれるって言ったね。ツケが貯まってるんじゃないの?」
シリルが見上げれば、アンセルムは小さく笑う。
そして、もったいぶるように、指を振った。
「残念。もう支払い済みなんだ。今の僕の財布は、この街の誰のものよりも重い」
「どういうこと?」
「つまり、使っても使い切れないくらい、お金が有り余ってるってこと」
アンセルムは上品な笑みを浮かべたまま「今夜は賭博場か娼館にでも行くかな」と呟く。
彼がこのような台詞を吐く度に、ロランが「お前って本当に残念な人間だよな」と言い、蔑むような目で見ているが、あいにくこの場にアンセルムを嗜める人間はいない。
シリルには理解できない単語ばかりだったが、ロランが言っていたままに、アンセルムが残念な人間であることは感じていた。
「お金、かぁ」
都合良く、お金が有り余っているという部分だけ拾ったシリルはため息をついた。
アンセルムのようにお金があれば、きっと親方が欲しいと思うようなプレゼントを買うことが出来るだろう、と考えたシリルの心に羨む気持ちが芽生える。
ほんの少しで良いから、お金を分けて貰えないだろうか?そこまで思考して、シリルは首を横振った。
感謝の気持ちを現すためのプレゼントに、他人が稼いだお金を使うなど言語道断である。
まだ、年端もいかない少年と言えども、プライドだけは人一倍だった。
「ねぇ、アン。どうやったら、お金って稼げるの?」
「ん?シリルの場合は、煙突掃除で稼いでるんじゃないの?」
「そうだけど…。でも、アンみたいにお金持ちになりたい」
アンセルムはくすりと笑い、シリルの頭を優しく撫でる。
「そうだねぇ。ボクみたいに稼ぎたいなら、まずは、悪い人間にならなくちゃね」
「アンは悪い人なの?」
「世間的には」
「僕にとっては、優しいお兄さんだよ」
アンセルムは驚いたように目を見開いた後、照れ隠しのようにシリルの額を指で弾いた。
「シー坊には、向いてないよ。親方と一緒に、仕事を地道にやる方がお金持ちになれるさ」
言い方は優しいものの、どこか自分を子供扱いするような響きを感じたシリルは頬を膨らませる。
「僕だって、悪いことくらいできるもん」
「悪いことをするのと、悪い人間になるのは、別の話しだよ」
「意味わかんない!」
「分からい内は、ボクみたいには稼げないさ」
そう言ったものの、まだどこか納得がいっていない少年に、アンセルムは問いかける。
「シー坊、何かお金に困ってるのかい?欲しいものがあるなら、ボクが買ってあげるよ?」
シリルは悩むようにアンセルムを見上げたが、しばらくして首を横に振った。
「ボクが欲しい訳じゃないんだ。ただ…」
親方に、と続けようとして、シリルは慌てて言葉を呑み込む。
他人に相談するなど、気恥ずかしい以外の何者でもなかった。
気まずそうに言葉を濁したシリルに、アンセルムはくすりと笑う。
「ほら、ロランがボクを待ち侘びて、寂しくて死んじゃう前に宿に着かなきゃ」
話題を変え、アンセルムは繋いだ手を握り直す。
シリルは驚いたものの、その気遣いに感謝しながら、その手を握り返した。