人違い
来る日も、来る日も、ロランは取り憑かれたように時計台に登り詰めた。今日こそは、フランシーヌに会えるに違いないと、朝早くから縁に腰を掛けて待ち続け、日が落ちて月が高く登ってから、今日も会えなかったと落胆する。ただそれだけの繰り返しだった。
街中を歩けば、フランシーヌの凶行についての噂が嫌でも耳に入ってくる。王城前に生首が晒されている、という内容から始まり、反抗した騎士が引廻しに合ったという如何にもな事柄から、子供を食したなどという到底信じることが出来ないような内容まで、民衆は好き勝手に囁き合っていた。
両親と婚約者を失った悲しみで気が狂った、という人もいれば、賢王の影に隠れていただけで、元々、狂人とも呼べる性質を持った王女だったのだ、という人間もいる。嫌でも聞こえてくる噂に、ロランは必死に耳を塞ぎながら、時計台に通うことを決してやめることは無かった。
「ねぇ、ロラン。いつまで続けるつもり?」
ろくに宿の手伝いすらせず、上着を羽織りながら外へと向かうロランに、アンセルムが声を掛ける。呆れと、多少の苛立ちが含まれた視線が向けられるが、ロランは取り合わない。
「フランに会えるまで」
「王城前の晒し首の話、知らないの?」
カウンターに座り、頬杖を突きながら帳簿を弄んでいるアンセルムを、ロランは睨みつける。最も触れられたくない話題だった。
「フランがそんなこと、するはずないだろ」
「そうは言っても、本当に生首あったし」
何でも無いことのように告げられて、ロランは言葉に詰まる。
この数日間、噂の真偽を確かめるのが恐ろしくて、王城前の広場に足を向けることを決してしなかったのだ。一日中、時計台で過ごしていたロランにとって、アンセルムがわざわざ確かめに行ったという事実は知るところではなかった。
「見に、行ったのか?」
「そりゃぁ、ロランの恋人が狂人なら、友人として諦めるよう説得しないと、と思ったし」
「フランは狂ってなんかいない!」
拳を握り、壁に叩きつける。
眉間に皺を寄せて怒りを露わにしているロランとは対照的に、アンセルムは感情の読めない目でじっと友人を見つめた。
「誰かが、フランを陥れようとして、そんなことをしたんだ」
「そうは言ってもねぇ。仮に、女王がやってないとして、どうして首をそのままにしておくんだい? 自分の目と鼻の先でそんなことされたら、犯人探しに乗り切るだろうし、まず、首を片付けるでしょう? でも、この数日間、ずっと晒されたままだったよ」
返す言葉が無かった。
ロランは黙り込んだまま、拳を更に強く握り込む。爪が皮膚に食い込み、じんわりと痛みが広がった。
アンセルムは悔しそうに唇を噛んでいるロランに、容赦なく言葉を浴びせる。
「そろそろさ、現実を見なよ。来るかどうかも分からない人間を日なが1日待ってる暇があるなら、シー坊を探してくれた方がよっぽど良いんだけど」
アンセルムの言うことが最もだと思う反面、ロランはその言い分を認めることが出来なかった。認めてしまえば、フランシーヌを見捨てることになる。
彼女が本当に狂ってしまったのか、それとも誰かの策略によって追い詰められているのか分からない内は、意地でも時計台に通い詰めるつもりだった。
「……行ってくる」
気を抜けば飛び出しそうになる罵詈雑言を飲み込んで、ロランはアンセルムに背を向ける。大きなため息が追いかけてきたことに、気づかないふりをした。
◆
フランシーヌは来ない。
朝霧が晴れ、太陽が真上に昇り、夕日が街を照らし、ついには月が顔を出す。それでも、ライラック色の髪を揺らして、息せき切って時計台の階段を駆け上がってくることは無かった。
歩哨がつけて回っているのであろう、灯籠の光がよく見える。時計台の縁に腰を掛けて、膝に肘を突いて、ロランは漠然とその様子を眺めていた。
なぜ、フランシーヌが来ないのか、ロランにはその理由の見当もつかなかった。教育係だというセルジュに部屋に閉じ込められている可能性は否めなかったが、そんなことで諦める性格で無いことは、ロランが良く知っている。フランシーヌであれば、窓から伝って城を抜け出すことも厭わないだろう。
嫌われた可能性も考えてみた。連れ出す、と大きな口を叩いて失敗したことに腹を立てたのだろうか、と。
けれども、それでは牢屋に入れられたロランを助けだした行為と矛盾してしまう。フランシーヌが愛想を尽かしていたのなら、今、ここで時計台に立っているのではなく、地下牢の床で蹲っていたことだろう。
それならば、街の人々が噂するように、フランシーヌは狂ってしまったのかもしれない。
空を見上げて、呑気に浮かんでいる満月を見つめる。月の光を一身に浴びながら、ロランは身を切るように冷たい風に身体を震わせた。指一本すら動かすのが億劫で、しばらくぼんやりとしていたが、これ以上待っても仕方がないことは分かり切っている。深くため息をついて、ロランは立ち上がると、時計台を降りるために階段へと向かった。
宿への帰り道は、暗くうねった裏道を歩いて行くのが一番早い。ならず者がいない訳ではないが、貧弱でも無ければ、下町の見苦しい喧嘩に慣れていない訳でもないロランには、何の問題も無かった。
朝方に、辛辣な言葉を贈ってくれたアンセルムと顔が合わせ辛く、ロランはわざと遠回りするような道を選ぶ。宿の仕事を放り出し、女将とアンセルムに丸投げしていることに罪悪感を感じていない訳では無かった。
シリルを探したくてたまらないであろう2人の事を思えば、自分は何て薄情な真似をしているのか、と自己嫌悪に陥る瞬間もある。せめてもの、罪滅ぼしに、ロランは裏道を通りながら、茶髪の少年がその辺に蹲っていないかと目を走らせた。
視界が悪く、目を凝らさなければ、足元の石ころすら見えないような暗闇だ。大通りとは違い、裏道に街灯などという洒落たものは設置されていない。
こんなに簡単にシリルが見つかれば、苦労もしないか、と息を吐いた時、視界の端にライラック色のものが映り込む。弾かれたように顔を上げて、ロランは走りだす。丁度、先にある角を曲がって行ったようだった。
「フラン!」
なぜ、こんなところに、という疑問は、顔が合わせづらくて時計台の近くをうろついていたのであろう、という都合の良い解釈に塗り替えられる。
ロランは期待に胸を踊らせて、勢い良く角を曲がり、目の前にいた人物の手を、禄に確かめもせずに掴み、己の胸元に引き寄せた。
「なんで、時計台まで来なかったんだよ? 俺がどんだけ心配したか……!」
思い切り抱きしめてから、ふと、違和感に気付く。
背中に回した手に、ライラックの髪がふわりと触れたのだ。かつてのフランシーヌであれば、それくらい長い髪を持っていたが、今は肩にもかからないほどの長さであるはず。この数日で、一気に髪が伸びるはずもない。
仰天したロランは、引き寄せた人物を突き飛ばすように離した。それほど強く力を入れたつもりは無かったが、相手はよろけて地面に座り込む。慌てたロランは、ただひたすらに謝罪することしか出来なかった。
「わ、悪い! 大丈夫か?! 怪我は?!」
助け起こそうと手を出すが、目の前の女は下を向いたまま、動かない。
フランシーヌで無いことは明らかだった。着ている服は、ボロ布と言っても遜色が無いほどに擦り切れており、痩せた肩には痣のようなものも見受けられた。
勝手に勘違いしておきながら、期待が大きかっただけに、多少の憤りがロランの中に生まれる。フランシーヌと似た髪色の女にもだが、これほどまでに似ても似つかない女性をフランシーヌと勘違いした自分にも呆れるしかなかった。
「なぁ、おい? 平気か?」
しかし、それを身勝手に爆発させるほど、ロランは非道な人間でもない。突き飛ばしてしまったことは素直に悪いと思っていたし、俯いたまま顔を上げない女に、体調が悪いのかと不安になった。
更には、見知らぬ男にいきなり抱きしめられたのだ。暴漢にでも襲われたと思って、茫然自失の状態になっているのかもしれない。
「いきなり、抱きついたりして悪かったよ。知り合いと勘違いしたんだ。もし、怒りが納まらないなら、一発殴ってくれても構わないから。な?」
地面にしゃがみ込み、女の顔を覗きこもうと首を傾ける。すると、相手はまるで、見られたく無いかのように顔を横へと背けた。
「知り合いって、誰のことだい?」
一言目には、暴言を吐かれると覚悟していたロランは、予想外の言葉に咄嗟に答えを出せない。頭の隅で、随分とそっけない物言いをする女だと思った。
「見たらすぐ、抱きつくような知り合いがいるってことかい?」
「え、あ、いや、本当に悪かったって……」
出会い頭に強引に抱きしめたことを詰られているのだろうか。なるべく怒らせないように、平謝りするしかない。
「知らない男に抱きつかれて、気持ち悪かったと思うし、あんたの気の済むようにしてくれて構わないから……」
「知らない男、ねぇ」
含んだような物言いに、ロランは会ったことがある人間だろうかと頭を捻る。けれども、記憶を掘り起こすよりも先に、目の前の女が答えをくれた。
「ローは、あたいのことなんか、これっぽっちも覚えてないんだね」
ぞんざいな口調。独創的な呼び名。
いつの日か、アンセルムに連れられていった場所で出会った少女が頭に浮かんだ。
「お前――レティか?」
「ご名答」
楽しそうに笑いながら、レティシアが顔を上げる。偶然の邂逅に僅かな喜びが浮かんだのも束の間、その顔を見て、ロランは絶句するしかなかった。
「おい……その怪我……」
赤く腫れ上がった頬に、青あざになった目の周り。唇には赤黒くなった血がこびり付いていた。
「あーあ。ローには見られたくなかったのにねぇ」
とても美しいとは言い難いレティシアの顔に、痛ましい笑みが浮かんだ。




