04
「フランシーヌ様、どちらにお出かけになられていたのですか?」
フランシーヌは自分を呼び止めた声に、大げさに肩を揺らした。
振り向くまでもなく、声の持ち主が誰なのか理解している彼女は、手にしていたロランのジャケットを強く抱きしめながら一呼吸する。
裏庭を通って、誰にも見つからないように自室に戻ろうとしていたところを早速見つかってしまった。
気付かなかったふりをして、このまま走り去るという選択肢が頭を掠めたが、後々のことを考慮すれば大人しく捕まった方が得策だろう。
意を決して声の方へと視線を向ければ、そこには、教育係であるセルジュ・ラファランが立っていた。
フランシーヌが見上げなければならないくらいの長身を持つセルジュは、エメラルドグリーンの瞳に何の感情も映さないまま佇んでいる。
その視線は、観察するように対象を捉え続けていた。
表情はおろか身体さえ微動だにしないものの、男性にしては少し長めの黒い髪だけが、さらさらと風に揺れている。
風の冷たさのせいか、セルジュの物言わぬ視線のせいかは分からないが、フランシーヌは背筋を這う寒気に身震いして言い訳を口に乗せた。
「少し散歩に行ってたの」
「男物のジャケットを羽織って?」
思わず、フランシーヌの視線が自分の手の中に落ちる。
それは、薄着で寒がっていた彼女に、次回会うときに返すことを約束に、ロランが貸し与えたものだった。
「えーっと、ほら、女性ものより、こっちの方が温かいかなぁ…なんて」
言い訳を重ねれば重ねるほど、セルジュとの間に流れる空気が冷たくなる。
いたたまれなくなってしまったフランシーヌの言葉尻は、宙に消えてなくなった。
無言を貫く教育係に、不用意な言い訳などしなければ良かったと後悔しながら、フランシーヌはうなだれる。
「ごめんなさい、セルジュ」
「初めから、素直に謝れば宜しいのに」
謝罪を聞いたセルジュはため息をつくと、右手に持っていた本の背表紙を左手に打ち付ける。
お説教が始まる、と幼い頃から付き合いのあるフランシーヌは即座に察し、身構えた。
「良いですか、フランシーヌ様。オーギュスト様との結婚が控えている今、外出なさるのは、あまり賢明な判断だとは思いません」
「分かってるわ!でも、私、言ったじゃない。オーギュストとは結婚したくないって」
「重々承知しておりますが」
淡々と切り返してくるセルジュに、フランシーヌが口で勝てた試しはかつて一度もない。
融通の利かない真面目な性格の彼と、結婚のことについて口論すれば、正論を説かれて自身が間違っているということを嫌でも思い知らされる。
ロランに会ったおかげで浮ついていた気持ちも、現実を突きつけられ、曇ってしまった。
セルジュはフランシーヌが黙り込んだところで、詰問を再開する。
「それで?何処に行ってらしたのですか?」
「内緒」
「ロランのところですね」
迷うこと無く言い当てられ、フランシーヌはぐうの音も出ない。
ロランは当人とフランシーヌ、そしてシリルしか関係を知らないと考えているが、そのようなことは無かった。
この無表情な教育係もしっかりと2人の関係を把握している。
けれども、それを誰かに言いふらしたりすることなく、彼が胸の内に留めていることを、フランシーヌは知っていた。
セルジュなりの思いやりか、何か考えがあってのことかは分からないが、周囲の人々にロランとのことを知られたくないフランシーヌは、そのことに関しては感謝をしている。
しかしながら、セルジュがロランに対してあまり良い感情を持っていないのは一目瞭然であり、話題に上れば貶すような発言をすることに対しては、許せなかった。
予防線を張るために、自然と口調も厳しくなる。
「別に、私がロランに会ったって構わないでしょ」
「ですが、彼は下層階級の人間だと聞いておりますが」
「そんなの関係ないわ!ロランはロランだもの」
自分の想い人を否定されるのが悔しく、フランシーヌは強い調子で言い返す。
片手に収まるほどしか会ったことが、正確には見かけたことしか無いにも関わらず、身分のことを話題にされるのは気分が悪い。
セルジュの表情は動かず、何を考えているのかそこから読み取ることは不可能だった。
「私、部屋に戻るわ」
「そのジャケットは?」
「私が返します!」
フランシーヌは背を向けると、裏庭を駆け抜ける。
普段はこのように、他人を中傷するような発言は愚か、自分の考えさえ示さないにも関わらず、ロランに会った直後は機嫌が悪くなり、それが崩れる。
セルジュの機嫌に比例するように、ロランを悪く言われたフランシーヌの気分も落ちて行き、酷い時には喧嘩をすることさえあった。
頭では教育係であり、近くに居る者だからこそ、心配しての発言だと理解している。
そのことを分かっていながら、声を荒立てて怒ってしまう自分を情けない、とフランシーヌは恥じ入った。
「後で謝らなきゃ」
手に抱きしめた、ロランのジャケットに顔を埋める。
鼻孔をくすぐるその香りが、彼そのもののように感じて、フランシーヌの頬は自然と緩んだ。
時計台での約束を思い出し、心が軽くなる。
「ロラン…」
ロランを信じるならば、あの教育係とは2日後に別れる運命なのだ。
国の上に立つ者として許されないことをしようとしている上に、喧嘩別れをしてしまうなんて、目も当てられないくらい酷い話である。
フランシーヌはジャケットから顔を離すと、後ほど、きちんと謝罪をするべきだと決心し、自室へと足を向けた。