逃走
クリストフの姿を確認したフェルナンは驚きに目を瞠ると共に、馬を止める。部下にも同じように止まるよう指示したが、唯一、騎士団の傘下ではないセルジュだけは従わなかった。そのまま、クリストフを素通りして駆け抜けてしまう。
フェルナンはその背に何かしら叫ぼうと口を開いたが、結局は、諦めたらしく、言葉を発すること無く、口を閉ざした。
ぬかるんだ道を躊躇うこと無く走る馬と、それを操るセルジュに、クリストフは内心で舌打ちをする。団長であるフェルナンの姿を認めた時は、失踪した団員を探しに来ただけだと考えていた。けれども、フランシーヌの教育係であるセルジュが一緒であれば、そうではないことなど一目瞭然だ。
どこかで、フランシーヌの姿が見破られたのだろう。ロランとフランシーヌが無事に逃げ切れることを願いながら、クリストフは上司と対面する。
「よぉ、団長。どうしたんだよ、こんな田舎に」
「それはこちらの台詞だ。クリストフ、お前はどうしてこのような場所にいるんだ?」
「卓上旅行に満足できなくなって、飛び出しちまっただけですよ」
「徒歩でか?」
「徒歩の旅もオツなもんですよ」
尤もな質問に、クリストフは肩を竦めて笑う。けれども、フェルナンの表情は固いまま、動くことはなかった。
「いいか。今はお前の遊びに付き合っている暇は無いんだ。愛馬はどうした? 栗毛のやつに乗って行っただろう?」
「金に困ってね。売っちまいましたよ」
フェルナンは探るような目つきで、クリストフを睨む。後ろに従っている同僚も、不審な顔つきをしているのに変わりはなかった。
一方、クリストフも相手を伺いながら、あることに気付いた。今日は雨が降っていないにも関わらず、馬上の人間は、頭の天辺から足の先まで濡れそぼっている。それに、良く見てみれば、馬は城にいるような毛並みの良いものではなく、そこらの田舎で借りれるような凡庸な姿をしていた。
「まさか、あの雨の中、ずーっと走ってきたんですかい? 団長こそ、いつもの立派な馬はどうしたんですかね?」
「急ぎの任務だ。馬を休ませる暇も、自分たちが休む暇も無い」
そこで、クリストフは納得した。自分たちが数日間、宿に足止めを食らっている間に、馬を交換しながら、休みもせずに追いかけてきたのだ。いくら、それまでに距離を稼いでいたと言っても、ロランとフランシーヌが歩いた分の道のりを馬で走ってきたのであれば、追いつかれるだろう。
「姫さんが見つかったんで?」
先ほどまで、一緒に居たような態度はおくびにも出さず、クリストフはわざと大げさに驚く。その様子に、フェルナンは眉を跳ね上げ、怒りに口を歪めた。
「先程、お前と一緒にいたのは誰だ? 馬に乗せて、先に行かせただろう? お前に私達が見えていたように、私達にもお前の様子が見えていたとは思わないのか?」
「通りすがりの旅人に、馬に乗せて貰えねぇか打診してただけっすよ。そしたら、断られて俺を置いて行っちまっただけだ」
「嘘をつくな」
「じゃぁ、訊くが、俺と一緒にいたのが姫さんだとでも思ってんのか? あの馬に乗ってた奴が、ライラック色の長い髪をしてたか? 俺がクリストフだって分かったのだって、ここまで近くに来てからだろ? 驚いた顔をしていたの、忘れたとは言わせねぇぞ」
空気が張り詰める。お互いに、睨み合ったまま、クリストフとフェルナンは動かない。もし、腰に剣があれば、今にも抜くのでは無いかと思われるほどの緊張が、場を満たしていた。
「クリストフ、ひとつ忠告してやろう」
いつになく、怒りを露わにした表情で、フェルナンが言う。
「追いかけたラファラン殿が戻ってくれば、馬に乗って行った人物は分かる。もし、お前が嘘をついていたならば、処罰は免れんぞ」
「処罰? そんなもんが怖くて、黙って旅行に出かけられるかってんだ」
「騎士団を出奔した罪だけではない。姫様を故意に手引したということで、実刑が下るだろう」
「牢屋番が牢屋に入る、か。自分で自分を見張るってのも、なかなか面白いんじゃねぇの?」
「禁固では済まないだろう。オーギュスト様の手にかかれば、すぐにでも死刑になるぞ」
轟々と濁流が川を流れる音が、響き渡る。
クリストフは、ゆっくりと口内に溜まった唾を飲み込んだ。
「おいおい、まじかよ。オーギュストの奴が、政権握ってんのか?」
「……決まったのは、お前が出て行ってからだったか?」
「だろうな。初耳だ」
「すでに、市民の何人かが処刑されている。騎士団であろうとも、貴族の出身でない、ましてやこの国の人間ではないお前に、あの方は容赦しないだろう」
クリストフの視線が、右斜め上へと向く。
ロランとフランシーヌが逃げ切れる確率は、限りなく低い。セルジュを足止め出来たならば、振り切ることも出来たかもしれないが、止める間もなく、彼は通りすぎて行ってしまった。
普段はお遊びで馬に乗ることしかないフランシーヌが操る、2人分の体重を負った馬と、馬術に優れた技能を持ったセルジュが走らせ、1人しか乗せていない馬。
捕まるのは目に見えていた。
そして、フェルナンの話が本当ならば、死刑台に立つ日も近いだろう。
「今一度、問う。お前と一緒に居たのは誰だ?」
化け物のような唸り声を上げながら、大量の水が下流へと急いでいる。
右斜上から、目線をフェルナンへと戻す。クリストフは、川の唸りを聞きながら、口の端を上げて笑った。
「さぁね。幽霊でも見てたんじゃねぇのか」
瞬間、クリストフは身を翻して、道の脇へと飛び込む。
フェルナンは不意を突かれて動きが止まったものの、馬の向きを変え、その後を追った。けれども、数歩走らせたところで、クリストフが何をしようとしているのかに気付き、馬を止めて大声で叫ぶ。
「早まるな、クリストフ!」
川の唸りが近い。普段は済んでいるはずの水は、土を含んで、茶色く濁りきっている。
「姫さんはなぁ、ロランと一緒に居る時は、城でも見せたことないような幸せそうな顔してたぜ!」
間近で見る、流れの早さにクリストフは一瞬足を止める。けれども、意を決すると、フェルナンとその後ろで驚愕の表情を浮かべている同僚に向かって、笑みを浮かべた。
「じゃぁな!」
また明日、と続きそうなほどに軽い言葉で別れを告げる。そして、濁流の中へとその身を躍らせた。
「待て!」
本来ならば、重量があるものを水が飲み込めば、大きな音が立つのだろう。けれども、クリストフが飛び込んだ後、水しぶきが上がっただけで、川が流れる轟音に全てが掻き消される。
あっと言う間に、くすんだ赤色の髪は飲み込まれ、その姿は見えなくなった。
呆然と見ていることしか出来なかったフェルナンは、手綱を握る手に力を込める。
「だ、団長……」
気遣わしげに声を掛けてきた部下に、フェルナンは固い表情で振り返った。
「ラファラン殿を追う。クリストフの捜索は、後だ」
馬を方向転換させ、踵を入れる。
走りだした側から、もう一度だけ、クリストフが飛び込んだ川に視線を向けた。
川は、何事も無かったかのように、荒れ狂いながら水を押し流していた。




