頼れる味方
着いた先は、夫婦で経営している小さな宿だった。
濡れそぼった3人を憐れに思った親切な亭主は、着替えとタオルを無償で手渡した。女将は、白い湯気が立ち昇るホットミルクをマグカップに注ぎ、それぞれに配る。受け取る際に、小さな声でお礼を言えば、女将は目尻に皺を刻みながら、柔らかく微笑んだ。
ロラン、フランシーヌ、クリストフは薪の爆ぜる暖炉の前を陣取り、冷えた身体を温める。
重苦しい雰囲気の中、クリストフだけが大きな音を立ててホットミルクを啜っていた。
「あー、なんだ、その。髪はどうした、とか、この男は誰だ、とか。聞きたいことは山ほどありますけどね。とりあえず、無事で良かったっす」
フランシーヌは頷いただけで、目を上げることすらしない。クリストフは頭のうしろを乱暴に掻きむしると、大きなため息をついた。
「何か言ってくんねぇと、さっぱり事情が分かんねぇんすけど」
クリストフはフランシーヌとロラン、それぞれに目を向けるが、一方はホットミルクを見つめたまま動かず、もう一方は目が合った途端にあらぬ方向へと逸らした。
沈黙が落ちる。窓を打つ雨の音が、室内に響き渡った。
クリストフは右斜上を見ながら、ゆっくりと口を開く。
「もしかして、あんたたちをしょっ引きに来たと思ってんですか?」
「……違うの?」
フランシーヌの目線が、ホットミルクから上へと上がる。改めて、しっかりと見つめた城の牢番の顔には微笑が浮かんでいた。
「今回は、俺の独断ですよ。団長に何も言わずに出てきたし。見ての通り、騎士団の制服でもなけりゃぁ、帯剣もしてませんぜ。むしろ、俺が職務放棄で失踪した角で捕まるかもしれませんね」
クリストフは明るく笑い飛ばすが、フランシーヌの表情は硬いままだった。
「そんで? 事情は話してくれるんすか?」
フランシーヌは寄り添うようにロランに身を寄せる。その手が震えているのに気付いたロランは、そっと上から握った。クリストフは片眉を跳ね上げるが、茶化すことはせず、2人の言葉を待つ。
意を決したようにフランシーヌは城を出た理由を、小さな声で少しずつ語り始めた。最初は真面目な顔をしていたクリストフも、話が進むにつれ、口角が上がるのを抑えきれなくなり、フランシーヌが語り終えた頃には満面の笑みが浮かんでいた。
「へぇぇぇ、ほぉぉぉ、そこの坊主が、ねぇ?」
「な、何よ……」
「いんや。あの堅物腹黒野郎が地団駄踏んで悔しがるだろうなって思いまして」
「誰のこと?」
本気で分かっていない様子に、クリストフは笑いが止まらなくなる。その様子に黙って成り行きを見守っていたロランが口を挟んだ。
「おい、おっさん。あんたのこと、信用していいのか?」
「おっさんじゃねぇ、クリストフさんだ」
ロランはしばらく窺うようにクリストフを見つめるが、やがて、観念したのか大きくため息をつき、右手を差し出した。
「ロランだ。よろしく」
「ロラン……やっぱり、お前か」
「何のこと?」
差し出した手を素早く引っ込めながら、ロランが警戒を強める。クリストフは愉快でたまらないと言ったように笑った。
「姫……」
「クリス! ここでは、シシィよ。あと、敬語もやめて」
「おっと、わりぃ。気ぃつけるわ。シシィの落書きによ、お前の名前があったんだよ」
「俺の名前? なんで?」
「そりゃぁ、勉強しながらも、お前のことで頭がいっぱい……」
「クリス!」
真っ赤になったフランシーヌが、怒鳴る。クリストフは謝りながらも、全く悪びれた様子もなかった。
そんな2人を交互に見やってから、やっと意味を理解したロランの顔が真っ赤に染まる。
「若いっていいねぇ。俺もあんたたちみたいな青春を送りたかったよ」
「あっ、あんまり、からかわないでくれる?!」
「素直な感想ですぜ?」
クリストフは手に持ったマグカップを傾けると、一気に飲み干す。フランシーヌとロランも、そっと口を付け、ホットミルクを喉に通した。
「さぁて、事情が分かったところで、俺は一つ提案したいことがある」
フランシーヌとロランは、黙って続きを促す。クリストフは顎の周りの無精髭を撫でながら、笑みを浮かべた。
「あんたら、俺の国に行くんだろ? そこまで、案内してやるよ」
「はぁ?!」
「えぇ?!」
予想外の言葉に、ロランは飲んでいたホットミルクが器官に入り、咽てしまう。隣にいたフランシーヌがその背を撫でた。
「クリス、どうして行く場所が分かったの?」
「カマ掛けたんだが、どうやら正解だったみたいだな。あんたが地下牢で話したときの、子供みたいに大はしゃぎしてる様子を見てりゃ、誰だって疑うさ」
肩を竦めたクリストフと、物言いたげなロランの視線に挟まれ、フランシーヌは身を縮める。迂闊だった、と後悔したのは確かだが、クリストフがここで味方になってくれるのは随分と心強かった。
「心配すんな。俺のお袋や兄弟もいるからよ。しばらくは、面倒見てくれるだろ」
「ダメよ。お世話になるわけにはいかないわ」
「宿なんかねぇど田舎だぞ。土の上で寝起きするつもりか? それに、馬を持ってる俺と一緒に行った方が早いだろうよ」
今朝方、宿で見た老いぼれ馬とは違い、クリストフの馬は若く丈夫だ。三人で乗って移動することも容易いだろう。加えて、地理にも詳しいとなれば、断る理由も無かった。
フランシーヌは頷きかけるが、ロランがそれを遮る。未だに訝しげに細められた視線は、クリストフを信用していない。
「んなこと言っても、俺達の居場所を他の騎士団の奴らに伝えるつもりかもしれないだろ」
「あんたらと一緒に行くのに、どうやって伝えるんだよ」
「手紙、とか」
「そんなセコいことしねぇよ。心配なら、俺のこと見張っとけ」
クリストフは手に持っていた空のマグカップをテーブルに置く。乱暴に置かれたせいで、派手な音を立てた。
「俺はな、お前よりも長く、シシィのことを知ってるんだ。妹のように可愛がってきた相手を、裏切ったりしねぇよ」
「でも、騎士団員なんだろ?」
「騎士団つっても、しがない牢屋番だからな。いっつも1人で地下にいたせいで、何の思い入れもねぇよ」
ロランはフランシーヌに視線を送る。本当に信用できるのか、と訴える目に、フランシーヌは大きく頷いた。
「大丈夫よ、ロラン。クリスは信用できるわ」
その言葉が決定打だった。先程引っ込めた手を、ロランはもう一度差し出す。
「シシィがそう言うなら、信じるよ。よろしく、クリストフさん」
「おう、よろしくな、ロラン」
クリストフは大きな笑みを浮かべると、差し出された手を力強く握り返す。
土砂降りの雨が止む気配は無かった。




