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紅の鳩  作者: りきやん
王族と平民

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女将の怒り

 フランシーヌと別れてから、ロランは急いで自分の住む宿へと戻る。


 シリルに店番を任せたものの、宿の女将が起きだす前に帰らないと怒りの琴線に触れることは間違いなかった。年端もいかない少年の誤魔化しが通用するような相手では無いことは、百も承知だ。


 薄汚れた石畳を蹴って、矢のように走り、路地裏をぐんぐん進んで行く。知らない者が迷い込めば、たちまち方向が分からなくなるような曲がりくねった道も、長年通っているロランにとっては、目をつむっていても辿れる容易な道筋である。


 しばらくして、やっと見えてきた宿の入り口は、出てきた時と何ら変わりはなかった。


 女将が扉の前で腕を組んで仁王立ちをしていることもなければ、ロランを怒鳴りつけようと待ち構えている様子もない。


 知らずに入っていた肩の力を抜き、安堵しながら、傾いで立て付けの悪くなっている木の扉を、音を立てないように開く。途端に、出迎えてくれたのは身が竦むような怒鳴り声だった。


「ロラン! あんたは、またシー坊に店番押し付けて!どこほっつき歩いてたんだい!」

「うわっ……!」


 開けたばかりの扉を、もう一度閉めてしまおうと、ロランは手を動かすが、それよりも女将が足を挟む方が早かった。


 扉の隙間から、般若の形相が覗いている。睨めつけるその視線は、まるで射殺すようにロランの全身を刺し貫いた。


 萎縮し肩を強ばらせながら、どうにかして宥めようと言い訳を口にする。


「わ、わりぃ。急用があって!」

「あんたみたいな暇人に、なんの急用があるってんだい!」

「すみませんでした!」


 フランシーヌとロランの秘密を知っているのは、当人たちの他にはシリルだけだった。そのシリルにも、決して言いふらさないように固く約束させている。


 周囲に知られてしまえば、人の口に戸は立てられない。驚くほどの早さで噂は広まり、フランシーヌが城を抜け出すことは難しくなってしまうだろう。


 事実を話して女将の怒りを沈めることができないロランには、ひたすら謝るか、嘘を並べ立てるかの2択しかなかった。


 恰幅の良い身体を揺らしながら、女将がぐい、と扉を引く。取っ手の部分を掴んでいたロランは、急に加わった力に均衡を崩して地面に倒れこんだ。


 見上げれば、前髪から襟足までの全ての髪を引っ詰め、てっぺんでお団子に纏めた女将の姿。その露わになっている眉間には、深い皺が刻まれている。


 怯え上がったロランは、思わず守るように自分の頭を抱えた。


「ったく、あんたは! 本当にぼんくらだね! あー、情けない。少しはシー坊を見習ったらどうだい!」

「だから、悪かったって…」

「反省してるなら、さっさと仕事につく!」

「はいっ!」


 そそくさと立ち上がると、ロランは女将の脇をすり抜け、一目散にカウンターの内側へと避難する。


 ぞんざいに置かれている薄汚れた帳簿を手に取ると、今日の日付があるページを開いた。とりあえずの仕事の体裁を整えた後に、いるはずの人物がいないことに気付く。


「あれ? 女将さん、シリルは?」

「あの子には、あの子の仕事があるだろ?」

「はい、そうでした」


 いつでも自由に走り回っているせいか、忘れがちではあるが、シリルには煙突掃除夫の手伝いという仕事がある。


 煙突掃除というのは言うまでもなく、暗くて狭い煙突に入らなくてはならない。大の大人がそんな場所に入れるはずもなく、シリルのような小柄な少年を雇って、代わりに中を掃除させるのが通例であった。


 多くの少年たちは、遠方から売られてきた子供たちばかりで、もちろん、シリルもその中の1人だ。


 幸いな事に、彼は優しいと評判のティボー親方に引き取られたため、きちんと衣食住が保証されている。


 運が悪い子供は、食住はもちろん、衣ですら与えてもらえないことも珍しくはない。そうは言っても、シリルに関しては親方が甘すぎるため、もう少し厳しくした方が教育のためだと、ロランは常々思っていた。


 ロランが帳簿をチェックしている間に、女将は宿の食堂で夜に向けて食事の仕込みを始める。怒鳴ったことで、怒りが軽減されたのか、未だに不機嫌そうなものの、その形相から般若は消え去っていた。


 お世辞にも高級とは言いがたいこの宿に来る客層には、猥雑な人間が多い。乱痴気騒ぎや根も葉もないうわさ話、挙句の果てには下世話な行為までも見慣れたものだった。


 そんな人間たちも、昼間は余所で働いているようで、この宿がきちんと機能するのは夜からだ。


「あれ? 今日、アンの奴来るのか」


 帳簿をつまらなそうに捲っていたロランの手が、ふと止まった。


 予約覧に見知った名前を見つけたものの、実に数年ぶりの再会である。


 アンセルム・リヴェットと書かれた名前を指で弾き、ロランは顔を上げた。


「なぁ、女将さん。アンの奴、泊めて大丈夫なわけ? あいつのツケ、大分膨れてるはずだけど」


 食堂に向かって叫べば、女将も同じようにロランに叫び返す。


「予約の手紙と一緒に、今までの代金耳揃えて送ってきたよ。しばらくは、この街に滞在するらしいから、仲良くしておやり」

「うげぇ」


 まじかよ、とロランが口の中で呟く。


 帳簿を捲り、次の日の予約覧をチェックし、そしてまた捲っては、次の日の予約覧をチェックする。どれだけ先を見ても、同じ名前が必ず並んでいた。


 ついに帳簿の最後のページに辿り着いたところで、ロランは首を傾げる。


「なんだ、あいつ。ここに住むつもりか?」


 アンセルムという人間は、1つの場所に留まらない人物だった。


 良く言えば、旅人。

 悪く言えば、浮浪者。


 唯一の特技である手品で稼いだ金は、全て賭博と酒と女に注ぎ込むという筋金入りの道楽者だ。賭博はイカサマが当たり前、酒は水と同義、女は黙ってても寄ってくる。


 ロランとアンセルムが出会ったのは、ちょうどアンセルムの母親が死んだ後だった。それまでは、手先の器用さを活かしてスリで生計を立てていたらしい、というところまでロランは知っている。


 それ以前のことは、何も知らないに等しかった。


「アン……ねぇ」


 アンセルムと違い、ロランはこの街から出たことがない。行く当てもなければ、地理的なことすら知識を持ち合わせていなかった。どの方角に海があるのかも知らなければ、何処へ行き着けば羊が住むような平原があるのかも知らない。


 計画性も無くフランシーヌを連れ出せば、野垂れ死ぬのが関の山だ。かと言って、このまま結婚する姿を遠くから見守ることなど、耐えられるはずもない。


 大きな事を言ったものの、ロランは自分の無力さを痛感し、下唇を噛みしめる。


「フラン……」


 突然、言い様の無い虚無感に襲われ、ロランは倒れこむようにカウンターの上に突っ伏した。

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