号外、号外!
翌朝、アンセルムは一睡もしなかったにも関わらず、上機嫌で帰路についていた。
会話が弾んだとは言い難いものの、最終的には嫌悪の表情を浮かべることなく、それなりに受け答えをするようになったレティシアに、妙な満足感を得ていた。なんとも言えないこの高揚感を、誰かに分けるのも悪くないかもしれない、と考え、裏道を突き進んでいた足を、表通りへと向ける。多少の寄り道をして、宿に帰ったところで、女将は何も言わないだろう。
ポケットの中の硬貨は幾分か軽くなったものの、お土産を買って帰るには十二分すぎる額が未だに残っていた。
女将と、そして、シリルと親方に少し高級な菓子でも渡そうと考える。チョコレートならば、酒好きの女将と親方はウイスキーやブランデーのあてに出来るだろうし、シリルもおやつとして喜んで食べるだろう。
甘いものが好きなロランがいれば、おそらく、渡した数分後には完食してしまっただろうな、と想像して苦笑が漏れた。餞別に、菓子でも渡しておけば良かったかもしれない。
表通りに出たところで、射し込んできた日の光に目を細める。
人が活動を始める時間帯であるせいか、忙しない動きをしている人々が多かった。朝市のために、露天に品出しをする商売人や、荷台にたくさんの野菜や果物を乗せて運んでいる運搬者、はたまた馬を引いて歩いている御者など、様々な姿が見受けられた。
その中を、比較的ゆったりとした歩みで通り抜け、アンセルムは王城前の広場を目指す。そこならば、貴族向けの店が多い分、値も張るが、この辺の店で買うよりも随分と良質な高級菓子が手に入るのだ。
見目や仕草も手伝って、服装もそれなりに見えるアンセルムを平民だと見抜くのは難しい。更に、羽振りが良いと言えるほどの金を持ち合わせているので、変に怪しまれる心配もなかった。
広場に向かうに連れて、騒々しさが増してくる。そこで、アンセルムは眉を顰めた。
普段ならば、仕事の無い貴族たちが悠々自適に生活をしているため、近づくに連れて人々の喧騒から離れるはずなのだ。このように、平民たちの市場と変わらない様子は珍しい。
王族の生誕祭や、謝肉祭などの催し物がある場合は、朝から賑やかに騒ぎ立てていることもあるが、今はその時期ではない。そうなると、死刑囚の公開処刑や、王政や身分階級制度に異を唱える団体のデモ活動などの突発的な行事が行われているのだろう。
巻き込まれるのは不本意であるものの、ここまで足を運んで、そのまま帰ることは躊躇われる。自分の目で確かめて、大規模に行われているようなら、他の店を当たることにしようと、アンセルムは歩みを進めた。
広場には想像していたよりも、ずっと少ない人間しかいなかった。
キャスケット帽を被り、紙切れのようなものを配っている数人の声が、騒々しさを全面に押し出しているようだ。号外、号外、と叫びながら、朝の散歩に繰り出している貴族たちにそれらを手渡している。
新聞などの字が書かれた書面は、平民の多くは読むことができない。平民向けの記事には、簡単な単語とイラストだけ添えられている場合がほとんどだ。そのため、このように貴族たちが集まる広場で号外が配られることは珍しいことではなかった。
この様子ならば、チョコレートを買って帰ることは可能だろうとアンセルムは、広場を横切る。その際に、号外を配り歩いている人間の前を通り、受け取ることは忘れない。
幸いにして、幼い頃の教育のおかげで、字の読み書きに関しては苦労をすることが無いアンセルムには、その内容が容易く理解できた。単語の意味はもちろん、文法も、今まで読んできた言語と同じで、意味を汲み取るのに間違えるはずもなかった。
けれども、アンセルムは自分の言語理解力を何処かへ落としてきたのかと疑うほどに、何度もその記事を読み返す。数十回は目を通したところで、意味を取り違えようも無いことを悟り、手が震え出す。
自然と止まっていた歩みを、再び元きた道へと向けると、貴族たちが不躾な視線を送るのを気にも留めずに、アンセルムはティボー親方の家を目指して駆け出した。
◆
ノックをする手間すらもどかしく、無作法だとは理解しつつも、アンセルムは玄関の扉をそのまま押し開けた。本来ならば、鍵が掛かっているはずだと、思考がまわるのだが、そのような余裕は微塵も無かった。
幸いにして、施錠されていなかった扉はすんなりと開く。
「親方!」
怒鳴るように声を上げれば、すでに起きていたのか、親方が姿を現す。しかしながら、その表情には憔悴が浮かんでいた。
アンセルムが口を開くよりも早く、親方が捲し立てる。
「アン! シリルがいないんだ! 君のところに行ってないかね?! 今まで黙って何処かへ出掛けることなんて、無かったのに!」
「シー坊は、ここにいない? じゃぁ、やっぱり!」
手に持った号外の記事が、重量を増したように感じた。背中を冷たい汗が伝う。
「何がやっぱりなんだい?」
「この記事、王城前の広場で配られていたんですけど、シー坊が捕まったって!」
途端に、親方の顔色が失われる。
よろめいて、数歩後ろに下がった後、崩れるように椅子へと腰掛けた。
「アン、読んでおくれ」
多くの者たちと同じく、字の読めない親方に、アンセルムは頷く。全文を読む時間は無いと踏み、重要な部分だけを掻い摘んだ。
「被害者の名前は伏せられていますが、昨夜、どうやら貴族の館に忍び込み、盗みを働いたようです。そこで捕まり、貴族の所有物を脅かした咎で……」
アンセルムは言葉を切る。
他に言い方が無いものかと、続きの語句に変わる単語を探すが、適当なものは見つからない。仕方なく、文面そのままに伝えることにした。
「死刑、となりました」
「死刑!」
項垂れていたはずの親方が、勢い良く立ち上がる。
色を失っていたはずの顔は、怒りからか、真っ赤に染まり、拳は力を込めすぎているせいか震えていた。
「死刑! シリルは、まだ9つなのに! 死刑だと! 何かの間違いだ!」
「誤報という可能性も考えられます。昨日の今日ですし。そもそも、シー坊が盗みを働くなんてこと自体が間違いでは……」
「そうだ! そうに決まっている! あの子は、絶対にそんなことはしない!」
親方は我慢ならないと言うように、テーブルに拳を叩きつける。普段の温厚さはすっかり影を潜め、その唇は言葉にならない怒りを送り出すように震えていた。
記事にはしっかりと、シリル・カルパンティエという少年のフルネームと煙突掃除人であるという素性が語られている。
捕まったのが真実だったとしても、死刑は行き過ぎだ。その上、こんなにも早く実刑判決が下るのもおかしい。一応、形式上だけでも全国民が裁判を受ける権利を持っているのだ。例え、その罪の裁きが国王や裁判官の一存で左右されると言っても、法廷に立つこと無く死刑判決が下されるのは前代未聞であった。
「アン、ベレニスにこの事を伝えてきておくれ」
「女将さんに?」
シリルの保釈を願いに、今すぐにでも出掛けようとしていたアンセルムは、申し出を承諾することに躊躇いを見せる。
親方は宥めるように彼の肩に手をかけて、数度力強く叩いた。
「私には、新聞記事を読むことができないんだ。正確に伝えるには、アンの力が必要なんだよ」
「待ってください。女将さんに伝えるよりも先に、一緒にシー坊の保釈を願いに行きましょう。保釈金は、ボクが支払いますから」
「いいや、味方は多い方が良いから。ベレニスに伝えた後、2人で一緒に来て欲しいんだ」
おそらく、金にモノを言わせた方が解決への近道だろう。死刑判決を受けたとなれば、王城の地下牢に放り込まれているはずだ。門番に金を握らせ、地下牢番に掛け合えば、面会に漕ぎ着けるくらいは簡単に出来るだろう。
アンセルムはそう反論しようと口を開きかけたが、言葉を呑み込み、考えを改める。親方の精神的な不安を和らげるには、十年来の付き合いのある女将がいた方が心強いのかもしれない。
「わかりました」
「ありがとう、助かるよ」
後ほど落ち合うことを約束し、アンセルムは宿へ、ティボー親方は王城への道を急いだ。




