侵入者
レミはシリルの背中を見送りながら、口の端を上げて嫌味な笑い方をした。後ろにいた大男と小男が、目配せをし合い、肩を竦める。レミは2人の方へ向き直り、ついて来るように合図をした。
「えげつねぇな、お前も」
大男が素直にその後に従いながら、若干の同情をシリルに寄せる。小男の方は大して興味も無さそうに、黙って歩いていた。
「あの窓には鳴子がついてんだろ? 開けたら最後だろうに」
「あ? そんなにあの餓鬼が可哀想だと思うなら、てめぇが行くか?」
レミはシリルと話していた時とは別物の、低く脅すような声を出す。大男はその気迫に圧されたのか、黙り込んだ。
「俺様が丁度良い囮を見つけてやったんだ。今日の仕事は大捕り物にも関わらず、楽に進められるだろうよ」
「勝手口の鍵は、ちゃんと持ってるんだろうね?」
「当たり前だろうが」
レミは懐から小さな鍵を取り出すと、小男に見せる。小男は2、3度瞬きをした後、満足気に頷いた。
「使用人がまぬけで助かったぜ」
「レミが盗ったんだっけ?」
「おうよ」
「手癖の悪さは、ぴかいちだね」
「メルクリオ直伝の技だからな」
得意気にレミは笑みを浮かべ、手の中の鍵を弄ぶ。
「ま、あいつなら、こんなもん無くても鍵開けできるんだろうけど」
レミは誰に言うのでもなく、独り言のようにぼそりと呟くと、再び鍵を懐へとしまった。
◆
一方シリルは、無事に庭への侵入を果たしていた。
柵の格子が比較的大きかったため、その間をすり抜けるようにして通ることが出来たのだ。茂みに身を潜らせながら、目的の梯子へと足音を忍ばせ近づいていく。
普段、下水道を通って城へと侵入している身としては、月明かりが照らしだす美しい庭を横切ることは、ただの散歩に等しかった。門番は見張りに立っているものの、夜遅いせいか油断しており、屋敷の内側まで気が回っていない。
一番の問題は、梯子を登っている途中で見つかることだったが、この分だと大きな音を立てない限り、こちらを見もしないであろう。
シリルは素早く身体を梯子の下へ滑りこませると、動きを止めて、周囲を窺う。耳が痛くなるような静けさ以外は、葉擦れの音一つ聞こえなかった。風も吹くことがなければ、冬に入る直前の寒さのせいで、虫1匹たりとも存在していないようだ。
シリルは梯子に手を掛けると、強度を確かめる。若干の錆に、軋んだ音が閑静な庭に響き渡るのではないかと危惧したが、手にざらついた感触が残る他は、特に問題は無さそうだった。
手に力を込めると、一歩ずつ、ゆっくりと上を目指して登り始める。
月明かりのおかげでいくらか視界は良いものの、気を抜けば背中から落ちてしまうだろう。煙突掃除をする時と同じように、気を抜いてはならない、とシリルは自分に言い聞かせる。
真っ直ぐに上だけを見て手足を動かせば、屋根の上に出るのはあっと言う間だった。
屋根に登った後、シリルは安堵の息をつく。そこから景色を眺めてみれば、先日、昼間に見たものとは随分違っていた。
忙しなく動いていた人々は、皆、姿を消し、街灯の炎がぽつぽつと力無く揺れている。
不安になったシリルは、レミたちと別れた場所に目を向けるが、すでにそこに彼らの姿は無かった。きっと、窓の下へと場所を移したのだろう。自分がぐずぐずしているせいで、彼らをこの寒さの下で待機させるのは可哀想だとシリルは思った。
ポケットから布切れを取り出し、マスク代わりに口元を覆う。煙突に手をかけて身を滑り込ませれば、真っ暗闇がシリルを迎えた。
日中は、外の光が入ってくるため、薄っすらと見えるレンガの取っ掛かりも、今は見えない。いつも以上に慎重になる必要があった。
手と足で探りながら、ゆっくりと下へ降りて行く。暖炉の火が消えてから、随分と時間が経っているようで、僅かな熱気さえ感じなかった。
その中で、シリルは懸命に身体を動かす。
悪の貴族から、盗まれたものを取り返す行為は、とてつもなく神聖なことのように少年は考えていた。
人の物を奪った屋敷の主人には、当然制裁が下されるべきであり、奪われたレミには相応の恩恵が与えられるべきである。この話を受けた際は、見せられた金貨に目が眩みはしたものの、報酬など無くともきっと手伝っていただろう。
成功した暁には、貴族の悪事が暴かれ、その功労者である自分が褒め称える記事が新聞に載るはずだ、とシリルは妄想さえしていた。そうすれば、どこかにいるロランがフランシーヌと共にこの武勇伝を目にするかもしれない。そして、親方はきっと、今までに無いほど褒めてくれるだろう。
普段は反抗して、生意気な口を利いてしまっているが、親方がシリルという存在を誇りに思ってくれることは、何よりも嬉しい事だった。
そこに、レミから貰った報酬で、例のシガレットケースを手渡せば、感激のあまり抱きしめてくれるに決まっている。思わず上がる口角に、シリルは気を抜いてはいけない、と自身を叱咤しながら下っていく。
足が地面に着いた頃には、随分と時間が経ってしまったように思えた。レミたちが凍えていないことを祈りながら、シリルは暖炉から這い出る。
客間であるこの場所は、もちろん誰の気配もない。主人はもちろん、使用人たちも今頃は寝室にいるはずだ。
シリルは絨毯に煤の跡をつけないよう、避けて通りながら、廊下へ通じる扉へと手を掛ける。取っ手を回して押してみれば、軋んだ音が響き渡り思わず身を固めた。
誰か飛んで来るのではないかと思い、背筋に冷たい汗が流れる。しばらく動きを止めて耳をそばだててみるが、幸いなことに、何の物音もしなかった。
シリルは扉を最小限に開き、滑るように廊下へと出る。
扉を閉めようかと振り返ったが、先ほどのように、また音を立てるとも限らない。結局、開けたままにすることにし、シリルは廊下を静かに進んだ。
布製のブーツは、石畳の上を歩くにはそれ程適していないが、足音を忍ばせるには十二分な効力を発揮した。
レミに指定された窓のある部屋は、侵入した部屋からそう遠い場所では無かった。
部屋の中へと入ってみれば、そこには多くの本が並んでいる。どうやら、書斎のようだった。
先程まで人がいたのか、廊下と比べると随分と空気が暖かい。唯一部屋の中心に置いてある机には、羽ペンとインク瓶が鎮座している。
ここの主が綺麗好きなのか、書類や本が散乱している様子は見受けられなかった。本棚に並べられた本も、シリルには字が読めないため、定かではないが、シリーズ順に並べられているようだった。
目は向けたものの、さしてそれらに興味も無いので、直ぐ様、窓へと近づく。レミたちの姿が見えないかとガラス越しに茂みを覗くが、上手く隠れているのか見つけることは出来なかった。
シリルは鍵に手を掛けると、解錠する。そして、何の疑いも抱かずに窓を開け放った。
その途端、鈴の音が沈黙を破り、屋敷中に響き渡る。
単体では美しいと思える音色も、いくつも重なり合い、けたたましく音を立てる様子は、シリルにとって恐怖でしかなかった。
慌てて窓に目を走らせれば、窓を開けると鳴り響くように仕掛けがしてあったことに気付く。心臓が鷲掴みにされたように、ぎゅっと縮み上がった。
「レミ! どこ?!」
声を潜めることも忘れて、シリルは茂みに向かって叫ぶ。けれども、返事は無い。
「レミ!」
もう一度呼びかけてみるが、レミが現れることは愚か、葉の一枚足りとも動かなかった。
震える手で窓枠を乗り越え、外に出ようとするが、門番が明かりを掲げてこちらに向かっているのを見つけ、シリルは室内へと引っ込む。
隠れる場所を探そうにも、本棚で埋め尽くされたこの部屋には、身を潜められるような死角は無かった。そうしている間にも、廊下からも騒々しい足音がこちらへ向かってくる。
「レミ……! レミ! どこなの?!」
うわ言のようにシリルはレミの名前を繰り返し呼ぶが、それが届くことはない。
手足が震え、頭が真っ白になる。恐怖が足元から這い上がり、少年の身体を束縛する。
最後の悪あがきとばかりに、視線を巡らせれば、机の向こう側にある暖炉が視界に飛び込んできた。
助かる、と感じた直後の少年の行動は早かった。金縛りのように動かなかった手足が嘘のように解ける。
駆け寄った勢いで、中の様子を確かめもせずに、手を掛けた。
「――っ!」
瞬間、襲ってきた痛みにシリルは手を引く。
つい数十分前まで誰かがいたのだろう、暖炉にはまだ熱気が燻っていた。冷静に見れば、木炭も薄っすらと赤みを帯びている。
「うそ……」
手の平を襲う痛みと、退路を断たれた絶望に、目尻に涙が浮かぶ。
火傷のせいか、指が上手く動かない。曲げることすら満足にできない状態だった。
恐ろしくて、自分の手に目を向けることもできない。
「書斎だ! 誰か侵入者がいるぞ」
話し声の言葉が理解出来るほど、人が近くまで来ている。
隠れる場所は、無い。
唯一の希望であった暖炉を辿り、屋根に出ることも不可能だ。
シリルは為す術もなく、負傷した手をかばいながら立ち尽くす。
そして、書斎の扉が勢い良く開いた。




