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紅の鳩  作者: りきやん
第一章

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11/77

10

ケーキを平らげ、再び暖炉を辿って帰って行くシリルをフランシーヌは見送る。

そしてから、足元に視線を落とし、絨毯に広がった黒い煤をどうしようかと思案した。

その時、控えめなノックが部屋の中に響き渡る。

3回繰り返されたそれに、姿を見ずとも誰が来たのかフランシーヌには分かった。

普通の使用人は、2回しかノックをしない。

もう1度絨毯に目を落とし、返事をするべきか迷ったが、結局は「どうぞ」と短く告げた。


「フランシーヌ様…それはどうされたのですか?」


煤だらけの絨毯に立っている一国の王女の姿を見て、セルジュは入り口で歩みを止める。

顰められた眉が、口には出さずとも心底不愉快だということを表しており、その視線は、氷のように冷たい。

フランシーヌは言い訳をしようと口を開きかけてから、この教育係には、それが通用しないことを思い出し、大人しく白状することにした。


「煙突掃除の子が遊びに来てたのよ」

「また?」

「また、って言うほど、来てないでしょ」


ドアの前に立ったまま、大きくため息をついたセルジュにフランシーヌは居たたまれなくなり、視線を泳がせた。


「本当に仕方の無い方ですね」

「…ごめんなさい」


素直に謝るフランシーヌに、セルジュは小さく笑みを零す。

釣り上がっていた目が緩み、口角がほんの僅かばかり上がる。

その変化は、長年一緒にいるフランシーヌにしか分からないような微細なものだった。

親しくない者が見れば、普段の鉄面皮との違いなど見当もつかないだろう。


「さぁ、片付けますので、部屋からしばらく離れていてください」

「はい…」


セルジュの言いつけ通り、フランシーヌは素直に部屋を出て行こうとする。

けれども、とあることを彼に伝えていないことに気付き、途中で足を止めた。


「どうされました?」


立ち止まったフランシーヌを不審に思ったセルジュが尋ねる。

フランシーヌは煮え切らない様子で、胸元で指をくるくると弄んだ後、意を決して頭を下げた。


「あの、今朝はごめんなさい」


セルジュは突然、頭を下げられたことに面食らいながらも、その表情をぴくりとも動かすことなく頭を横に振る。


「顔をあげてください。使用人風情に頭を下げるなど、あってはなりません」

「でも、今朝はあなたの気持ちも考えず、強く当たってしまったわ」

「気にしていませんよ。いつものことでしょう?」


声音は変わらないものの、茶化すように言われ、フランシーヌの肩の荷が下りる。

今にも泣き出すのでは無いかと思うような笑みを浮かべながら、フランシーヌは顔をあげた。


「良かった。怒って口を利いてくれなくなったら、どうしようかと思ったわ」

「滅相もない。そのような不躾なことは致しませんよ」

「そうね。頭のかたーい、セルジュだものね」

「否定は致しません」


堅物、と言えば、そうですね、と返事が飛ぶ。

フランシーヌはそのやり取りに、くすぐったさを感じながら、この男が自分の教育係で良かったと思う。

何事にも動じず、全ての事柄を卒なくこなしてしまう、出来ないことなど何も無いのではないかと思わせる秀才。

座学はもちろん、馬術や武術にも長けている、自慢の教育係だった。

代々王族に使える名門貴族ラファラン家の長子として、言葉を発する以前から、彼は全ての作法を叩きこまれてきたのだ。

馬の扱い方も、剣の扱い方も、フランシーヌが知っているほとんどのことはセルジュから教わった。

ともすれば、両親よりも身近な人物だった。


フランシーヌは、ふと、この教育係なら、自分の悩みを解決してくれるのではないかと期待した。

頭の良い彼ならば、自分には思いつかないような奇策を考えることが可能なように思えたのだ。


「あのね、セルジュ。あの、オーギュストとの結婚なんだけど…」


言いかけて、フランシーヌは再び胸元でくるくると指を弄び始める。

相談はしたかったが、はっきりと言葉にすることは躊躇われた。

何を言いたいのか察したセルジュは、無表情のまま首を横に振る。


「私の一存で、貴方様の結婚の話しを覆すことは出来かねます」

「でも、セルジュがお父様とお母様に言ってくれれば…」

「教育係の戯言を真摯に受け止めて頂けるとも思いませんが。娘である貴方様が直談判した方がよろしいでしょう」

「2人共、聞いてくれなかったわ」

「そうなると、私の話など、とてもではないですが聞き入れてはもらえないでしょうね」

「そう…ね」


愛していない者と結婚することが、これほどまでに苦痛なことだとフランシーヌは想像したことすら無かった。

結婚、というのはどこか遠い御伽の国の話のようで、自分はいつまでもロランと一緒にいれるものだと錯覚していたからだ。

しかしながら、それは突然に「現実」として姿を現し、フランシーヌに牙を剥いた。

結婚という名の獣に蹂躙され、食い千切られていく心が、ロランと一緒に逃げてしまえ、と喚き立てる。

けれども、国を、全てを捨てて逃げ出すことが、許されるのだろうか?

願望と、後ろめたさの板挟みになったフランシーヌは、誰かの助言が欲しかった。

助言、というよりも後押しが欲しかったのだ。

ロランと一緒に逃げても良い、という。

ここで、セルジュに洗いざらい吐いてしまえば、肯定が得られるかもしれない、と考えたフランシーヌの喉元まで、言葉がせり上がってくる。


「この話は辞めましょう。無意味なことを議論する時間は、無駄でしかありません」


喉元までせり上がっていた言葉が、ゆっくりと体内へと戻っていく。

フランシーヌは後少しで自分が白状しようとしていた内容を、この教育係に話していたら何と言われていたか想像して身震いした。

鉄面皮を被ったまま、否定されるのは目に見えている。

なぜ、相談しようと思ったのか、と問われれば、魔が差した、としか言い様がない。


「ごめんなさい」


何に対してでも無かった。

今までのことや、これから起きるであろうことに、フランシーヌは謝罪の言葉を口にした。

セルジュがどう受け取ったのか、理解しかねたが、緩く首を横に振ったのを確認して、外へ出るために踵を返す。

その背中を追いかけるエメラルドグリーンの瞳が、眩いものを眺めるように細められたことに、気付くことは無かった。

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