第2話
東京都八王子市。眠らない街、東京のベットタウンであるこの街のはずれ。神奈川県との県境に高尾山はあった
高尾山は東京近郊の行楽地では世界一の登山者数を誇っている
そんな人々で賑わう高尾山であるが魔術的な側面もかなり多く持ち合わせている
そもそも都心から電車で一時間もあればたどり着ける行楽地であるにも関わらず、際立った開発が進まないのは
この地が関東における霊脈の流れでも上位に入るほど重要地点であり
魔術界からすれば、あまり弄られたくない土地であるからだ
こういった重要な霊地を護るために地元市議会や国会議員となって開発を阻止する活動を行なっている魔術師が多く存在する
彼らの活動のおかげで重要な霊地は開発から逃れているのだが、一方ですべての開発を阻止できているわけではない
ここでさえ、いつ観光地として大々的に開発の魔の手が伸びることか
■日常に埋もれているささやかな幸福
高尾山の山上へと向かうケーブルカーの中、窓の外をむすっとした表情で眺めている少女がいた
鴇沢樟葉、中学に入学したばかりの彼女はただただ無言で窓の外の景色を眺めていた
少女の隣には耳にイヤホンをあてて携帯でダウンロードした音楽を聴いている少女が座っていた
初芽有紀、彼女もまた樟葉と同じく中学に入学したての女子中学生だった
というか二人はクラスメイトであり、同志である
そんな二人に今会話はない
樟葉はむすっとしていて、無視するように有紀は携帯の音楽を聴いている
やがて、樟葉が溜息をつくとポツリとつぶやいた
「はぁ……なんで先にケーブルカーで山頂行っとけなのよ」
樟葉が苛ついているのには理由があった
それは彼女がある人物に別行動、先に山頂に行っとけと言われたことだ
ついでに危ないから安全なケーブルカーで登れと言われたんだからむすっとするのも無理はない
「私だって魔法使いなんだから登山したって自分の身は護れるっていうのに。まぁ師匠と一緒に乗るんだったら別に構わないけど、ていうかむしろそっちの方がラブラブ乗車旅になって最高だけど、ていうか揺れるたびにキャーっていってくっついてイチャイチャムフフ…やだよだれが」
なにやら不満なのか妄想なのか、とにかく色々入り混じったことをブツブツつぶやきながら窓の外を眺めている
あまりの異様さに周囲には他の乗車客はいなかった
皆一様に距離を取って近づかないようにしている
さすがに音楽を聴いて無視しておこうと決めていた有紀も限界がきたようだ
樟葉の耳をひっぱると一言
「独り言は心の中に閉まっといたら?」
呆れた顔で言った
樟葉は耳を引っ張られて涙目になりながら逆に怒鳴る
「痛い!何するのよ!私の気もしらないで!」
「知ってるよ、だから少し落ち着いたら?」
有紀は目配せで樟葉に伝える
樟葉は「はい?」といった表情で周囲を見れば、遠巻きながらも注目を一身に受けていた
樟葉はゴホンと言って素早く席につくと高速で再び窓の景色を眺めだした
ケーブルカーの終点、高尾山駅についた二人は適当なジュースを買うと山頂へ向けて歩き出す
「大体さーケーブルカー使ったって、山頂までは結局登山道を登るんだよ?さっきに行ってろの意味わかんないよね」
「まぁ誠也は麓の山道から調査するんでしょ?山頂目指せって言われても薬王院で待ち合わせってなってるんだしいいじゃない」
「よくないよ!」
樟葉は周りの人たちが驚くような大声で怒鳴る
「樟葉、うるさい」
「よくないんだよ有紀!師匠と一緒にあの女が一緒にいるんだから!!」
「あぁ、あの国会議員ね」
有紀は今麓で誠也と共に調査を行なっているだろう女性を思い出す
山川みり、魔術師ではあるが衆議院議員。国家議員だ
事の発端は彼女からの応援要請から始まる
樟葉と有紀が中学に入学してまだ間もない4月下旬、一般的な春の桜であるソメイヨシノが散っていくなか
高尾山ではヤマザクラが見ごろを迎える
しかし今年は桜が開花しない、どころか木々が枯れていっているというのだ
高尾山全体から異様な濃い呪力が観測され、それが原因ではないかと推測が立てられた
そこで地元議員でもある山川みりが極東支部長である山北琢斗より「なんとかしてこい」という指令を下されたわけだが
山川みりはB級ランクの魔術師ではあったが、政界における法案の選別が仕事だ
はっきり言ってこういった仕事には無縁であり、無能であった
そこで二年前の英雄の肩書きを持つ誠也に協力を要請してきたわけなのだ
「あの女、絶対師匠のこと狙ってるよ」
「そう?あの議員さん年下には興味なさそうだったけど」
「どこが!あんな色目使って!ムキー!思い出しただけで腹が立ってきた!!川本といい、師匠には私がいるっていうのに!」
「あーわかったわかった。とにかく薬王院を目指そう」
「ちょっと有紀!ていうか無茶苦茶棒読み!?」
二人は登山道を歩く、歩く中で樟葉は一方的に自らの師匠への愛を永遠語っていた
「だからね!そういうわけで私は…」
「はいはい、わかったからもうその話いいよ」
「えぇ?なんでよ」
「そんだけ愛を振りまいても誠也から何もないんじゃねー」
「うぅ……き、気にしてることを」
「まぁ、大学生が中学生に手を出すほうが危ないか」
「そうだよ。師匠はそういうことを考えて今はあんな態度なんだよ!高校生になれば別段年齢なんて」
「まぁ、どうでもいいけど痺れを切らして性魔術に走るのだけはやめてね」
「ブー!!!!」
有紀の言葉に樟葉は大きく反応して飲んでいたジュースをまるでホースで噴射したような勢いで噴出す
そして顔を真っ赤にして有紀のほうを見る
「なっなななななな!」
「あぁーでも無理か、樟葉は天使術だもんね。かけ離れてるか」
一人頷く有紀だが、しかし樟葉はまだ顔を真っ赤にした状態で顔はすごくニヤけた表情で
「ありだな!」
と、鼻息荒く遠くを見る
「おーい!戻ってこいよー?」
「うん、師匠に早速!グフフ、あらやだよだれが……」
樟葉は危ない人並みのニヤけた表情になると思いついたようにポツリと
「房中術でも頼もうかな」
とか言い出した。房中術とか説明するのもあれなので興味のある方だけ勝手に調べてください
「おーい、帰って来いよー?ー?それどっちの分野でもないぞー?」
完全に呆れた有紀が適当に声をかけるが、樟葉は今だ頭が沸騰した状態らしく
「だ、大丈夫!仏教にだってタントラって技法はあるし!性と宗教は切っても切り離せないものなんだよ!」
「ていうか仏教の十戒に不邪淫ってあるよ」
「問題ないよ!宗派によっちゃあ、せ…せせせせ性交の際に和合水なんて呪物を生み出す…」
「お前は誠也に立川流でも復興させようとでもしてるのか?」
暴走状態の樟葉をこのままほっといたらもっとディープな話題が飛び出しそうなので有紀はとりあえず樟葉にチョップを入れて気絶させることにした
そのまま気絶した樟葉を背負って薬王院を目指す
薬王院は現在真言密教の一宗派だが、かつて高尾山は修験道の修行場として天狗のいる霊山としても知られている
そんな経緯から薬王院は密教と修験道が交わる寺院だ
気絶してる樟葉をベンチに寝かせて有紀は誠也の到着を待った
しばらくして誠也と山川みりが到着する
「待ったか?」
「待ったよそりゃ。気絶した樟葉を背負って来たのに待っちゃった」
有紀の背後のベンチに寝かされている樟葉を見て誠也は苦笑した
「なんだケーブルカー使ったのにバテたのか?」
「まさか、暴走して手がつけられなくなったから黙らせたってだけ」
「そっか」
どういった暴走だったのが聞かないのが師匠の流儀(誠也談)
そんなやり取りを聞いていた山川みりが割って入るように本題を提示する
「で、どうするの?登ってきた感じだと原因となってるのは一本の木みたいだけど」
「そうなの?」
「あぁ、多分高尾山に存在する霊的な力を持った木々を統括する要のようなものだと思うけど。そいつが何らかの理由で呪力暴発してるとしか」
「ここは魔術の知識のない登山者が多く訪れるところだからすぐにでも手を打たないと、知識も器もない人が呪力に当てられたら」
「廃人になっちゃう」
「あぁ、すぐにでも問題の木がある場所へ行こう。樟葉も起こさないとな」
「あ」
有紀が止めようとしたが、そうする間もなく誠也はベンチで寝かされている樟葉の体を揺らして起こす
「おい樟葉、起きろ。出発するぞ」
「ん…あれ?師匠?」
起きたら目の前に師匠がいた。あれ?何でだろう?
樟葉はどうやら暴走状態の時の記憶が飛んでるらしい
「何日曜の朝みたいな顔してるんだ。行くぞ」
「え?ちょっと待ってください!」
慌てて樟葉は起き上がって誠也の後を追う
一行は登山ルートからは外れた獣道を進んでいた
霊的な力を持った木など無数に存在する
それこそ修験道の修行場の霊場だったのだ
天狗の力を宿すと考えられるものだってある
そんな木々から呪力を統括する要の役割を持つ木を見つけるのは至難の業だ
修験道だけに山伏でもいれば簡単に見つかっただろうが、あいにく一行の中に修験者はいない
自力で探し出すしかないのだが
「呪力の流れがあそこで異様な流れになってる。本題はあそこだな」
今回のケースではすぐに見つけられた
それは古い大木だった、遠い昔からこの地を見守ってきた大木
この大木を御神木に神社が建ってもおかしくない
それほど立派だったであろう大木は今にも倒れそうなほど、痛みが激しく、朽ちていた
枯れて呪力を制御できなくなったのだろう、本来なら桜を満開にしていないとおかしい大木に葉は生い茂っていない
そんな大木を見上げて誠也は樟葉の方を向く
「樟葉!」
「は、はい!」
「お前がこの木を癒すんだ」
「癒すって…えぇぇぇ!?」
驚きの声を上げる樟葉に誠也は大木を指差して説明する
「この大木はかつては信仰の対象にされたほど立派なものだろう。でも何にでも寿命ってのは訪れる…この大木はその時期に来たんだ」
「…」
「でも、それを木が受け入れてないんだ。正確には内部に流れる呪力がまだ木の死期を悟ってないというべきか」
「一体何をすれば?」
「木を癒すことによって一時的に死期を引き延ばし、呪力の流れを循環させる時間を与えるんだ。そうすれば後はこの土地自身が次の要となる霊樹を選定するだろう」
言って誠也は樟葉の肩に手を置く
「この程度ならもう樟葉にはできるはずだ」
誠也の言葉で樟葉は俄然やる気になった
力強く頷くと
「うん!私頑張る!!」
大木の前へと一歩踏み出す、歴史を見守ってきた大木と対面して心を落ち着ける
(師匠が私を信頼して任せてくれた!これは絶対に成功させる!)
大きく深呼吸し、首にぶら下げた天使の翼を模したペンダントを手に取る
そして胸に手を添えた、するとその手が輝きに包まれる
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ、永久に栄えしその天に祈りを捧げたもう」
樟葉は両手を上げ額や鳩尾を押さえ、祈りの言葉を囁き続ける
「東に火のエレメントを統べしミカエル、西に風のエレメントを統べしラファエル、南に地のエレメントを統べしウリエル、北に水を統べしガブリエル」
まるで神聖な祈りを捧げるかのように紡がれる言葉に答えるように握られたペンダントがより一層輝きを増す
やがて、その輝きは樟葉の足元に複雑な紋章、天使の九階級と上級・中級・下級の三隊とを示すシジル(印形)
あらゆる理を捻じ曲げる神の祝福を浮かばせる
そしてシジル(印形)から発せられる光が樟葉を包み込んだ
樟葉の服が光に溶け込み、形を変えて再び樟葉を包み込む
さらに手にはグローブが装着されその手にどこから引き抜いたのか豪華な装飾が施された槍が握られていた
シジル(印形)が輝きを失った時、樟葉の魔術戦闘時の姿がそこにあった
「少しの間我慢してね。すぐに終わらせるから」
大木に語りかけ、樟葉は天使術の詠唱を開始する
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」
樟葉の周囲の空気がより一層濃くなる
足元のシジル(印形)は消え、変わりに樟葉の背後に新たなシジル(印形)が浮かび上がり赤く光り輝く
魔法円の上と左右に十字が浮かび十字の下にはRedの文字、右下左下にはXがありXの下にはGreenの文字
魔法円の中心にはEを横に寝かせた記号があり
魔法円の外周にはAGIOS、OTHEOS、ADONAY、RAPHAELの文字が輪の中に対極するように書かれている
その印形はラファエルの印形
それを背後に浮かべ樟葉は手に向かって両手を広げる
「癒しを行う輝ける者、生命の木の守護者にして愛の天使たるラファエルよ!力天使デュナメイスの長たるその力を!黙示録にて神の御前に立つ七大天使の一角たるその力を!神の薬たる治療の術を我に貸し与えたまえ!!」
樟葉の詠唱に呼応して背後のシジル(印形)から莫大な呪力が左右に噴出する
それは攻撃的なものではなく、神秘な輝きを放つ優しき翼
神の薬たるラファエルの癒しの翼
「ラファエルフェザー!!」
その翼がもたらすものは「癒し」
トビト書など、多くの正典や伝承で伝えられているヒール(回復)魔術
癒しの翼はそっと大木を包み込み、光で満たしていく
みるみるうちに大木はかつての荘厳な姿を取り戻していた
大木が一時的に息を吹き返したこともあり、呪力の流れが正常化する
そして、まさに魔法を使ったといわんばかりの奇跡が巻き起こった
呪力が正常な流れになったことにより、今まで枯れていた桜の木々が蘇えり、一斉に花を咲かせ
満開の桜景色となったのだ
桜吹雪の中、ラファエルの翼を纏った樟葉はそっと大木に触れる
「これでもう大丈夫だよ」
直後、背後の翼は呪力に拡散して消え
樟葉の格好も魔術戦闘時のものから普段着に戻った
力を使い果たしたのかそのまま地面に倒れこむ
そんな樟葉を誠也は抱き上げると
「お疲れさん」
労いの言葉をかけた
それを知ってか知らずか、樟葉は気を失っていたが表情は幸せに満ち足りたものだった
桜満開の高尾山の中、ほんの少しの間だけ幸福に浸る
まだ他愛無い日常の中に幸せを見つけられた時
魔術結社ティマイオスが世界同時攻撃を実行する少し前の出来事だった