2-2 あなたが好きなわたしに
なんか前回より長くなりましたが、ご容赦を。
妹サイドのエピソードです。
読者の皆さん、初めまして。東雲礼菜、13歳、中学二年生です。
わたしには姉がひとりいます。東雲香菜、16歳、高校二年生です。何かにつけてスマホでわたしの写真を撮りまくる、ちょっぴり変態な所もあるけど、基本的にはいい姉です。
わたしに被写体としての価値がどれほどあるのか知りませんが、どうやらお姉ちゃんにとっては、わたしのビジュアルや態度は、お眼鏡に適うものらしいです。しかし、姉妹ゆえに顔立ちの似ている自分の顔を、自撮りする事はないようです。なぜ姉自身はダメで、わたしであればOKなのか、未だにわたしは理解しかねます。
そもそも、お姉ちゃんがわたし以外の写真を撮っている所を、わたしは記憶している限り一度も見たことがありません。家族で一緒に動物園に行ったときも、お姉ちゃんは動物よりも、動物と触れ合っているわたしが、フレームのど真ん中に来るように撮っていた気がします。結果として両親が撮影したものより量が多く、アルバムはわたしの写真が大半を占めている状態です。家族のアルバムというより、わたし個人のアルバムじゃないか、と、読み返すたびに思っています。選別が難しいくらい、どれも上手に撮れているから始末に負えません。
お姉ちゃんは、学校でよくわたしの自慢をしているそうですが、わたしは自分のことを、そんな自慢されるほどすごい人だとは思っていません。むしろ、わたしが何をやったって、お姉ちゃんに敵わないことの方が多いです。勉強や運動は、3つ年上だから、お姉ちゃんの方がいつも先を行ってるし、何をしてもぶっきらぼうに対応してしまうわたしと比べたら、笑顔で他人の面倒を見られるお姉ちゃんの方が、ずっと優しいし信頼できると思います。それに……顔立ちが似ているとはいえ、お姉ちゃんの方が綺麗だと、わたしは思う。
まあ、こんな事は、誰にも言いませんけどね。だって、そんなところもお姉ちゃんにそっくり、なんて言われるのは癪だから。
たぶんお姉ちゃんにも、まだ言わないと思う。
お姉ちゃんは何かにつけてわたしを撮るけど、もう慣れました。
カシャッ
スライスチーズを載せて焼いたトーストを食べていると、急に横からシャッター音が聞こえてきました。言うまでもなく、隣の椅子に座っている姉の仕業です。
「……なんで撮ったの」
わたしは、口の中のものを飲み込んでから、お姉ちゃんに訊いた。これでまともな答えが返ってきたためしはないけど。
「いや、溶けたチーズをくわえながら、みょーんと延ばしているところがキュートで」
「お姉ちゃん、トースト冷めるよ」
「おっといけない」
お姉ちゃんは慌ててトーストにかぶりつきます。お姉ちゃんはジャム派です。
「礼菜、あんたももうちょっと気にしたらどうなの……」うちの母が肩をすくめて言います。「食事中にスマホいじるな、とかさ」
「言っても無駄だと思って」
「それは否定しないけど、言うべきことは言ったら?」
「否定しないって酷いな!」
ずけずけと言われてお姉ちゃんが突っ込むのは毎回のことです。
「こう見えてもね、お姉ちゃんも日々成長しているんですよ?」
「バストとか?」
「いやん」
わたしが冗談でいった言葉に、ふざけつつ恥ずかしがりながら胸を隠すお姉ちゃん。こういう時の反応がいつも想像どおりだから、嫌でも慣れるものだ。
「レナも大きな胸に憧れたりするの?」
「うーん……」少し考えてみた。「ないかな。なるに任せてる」
「そっかぁ。ま、成長期なんだし伸びしろも大きいでしょ。なにせわたしの妹だし」
それはどうだろう……姉だからわたしより胸は大きいけれど、周りにいる同年代の女子たちと比べてみたら、ごく平均的なサイズだと気づかされる。あの人たちと並ぶかどうか、それは未知数だと言わざるを得ない。まあ、わたしは大きかろうが小さかろうが気にしないけど。
……他人に言わせたら、わたしは大抵のことを気にしなさすぎらしいけど。
「ま、貧でも巨でも、かわいければオールOKだけどねー」
そう言ってまたわたしに頬ずりをしてくるお姉ちゃん。このひとは基本的に、わたしのことを全肯定するので、そう言ってくる事は分かりきっていた。
「お姉ちゃん、トースト冷める」
「おっとっと」お姉ちゃんは慌ててトーストにかぶりつく。「あ、もう冷めてる」
「それと、時間も迫っているから、早く食べなよ。ごちそうさま」
「あっ、もう食べ終わったの? いかんいかん」
姉が何かしら元気に喋っている間も、黙々と食べ続けていたからね。
「……父さん、そろそろ会話に参加してもいいのかな」
「娘たちのデリケートな話題を察知して退避したのは賢明だったわね」
父には悪いけど、わたしは先に食器を片づけて制服に着替えに部屋へ戻るので、父が参加した後の会話については全く聞いていない。
学校はわたしの方が近い、というかわたしと姉で学校は結構離れているので、一緒に出て登校する必然はない。だけどなぜか、わたし達は毎日一緒に学校へ行っている。いつしか習慣化してしまったのか、わたしも登校はお姉ちゃんが一緒じゃないと、どうも違和感があるというか、ムズムズしてしまうのだ。これはよくない兆候じゃないのかなぁ。
結局、姉が着替えを終わらせるより前に、わたしの方が早く着替え終えたけど、わたしはいつもの癖で、玄関で姉を待ってしまった。まあ、わたしはまだ時間的余裕があるし、先に出かけたらあからさまに残念がるし……姉が。
でも、お姉ちゃんと一緒なのが居心地いいのは、間違いない。
さて、学校のお昼休みの時間に、わたしにちょっとした事件があった。
クラスメイトの倉本さんが、手作りのクッキーを持ってきて、クラス中に振る舞い始めたのだ。給食を終えた直後だというのに、猫も杓子も、香ばしいにおいに引き寄せられるように食いついている。……よかったね、持ち込みを咎められない自由な学校で。
しかし、甘くいいにおいに誘われて、クッキーが置かれた机にクラスメイト達が群がっている様子は、まるで……。
「……カブトムシ」
「ん、何だって?」
すぐそばでクッキーを頬張っている萌花が訊いてきた。ものすごく失礼なことを考えていたので、とりあえず「なんでもない」と言っておいた。ちなみにモカは何枚食べたのか、頬がリスのように膨らんでいた。
「ほら、礼菜ちゃんも食べなよ。いっぱいあるから好きなだけ食べて」
倉本さんが手招きしながら言った。正直、給食だけでお腹いっぱいだけど、デザートとしては悪くないと思ったので、とりあえず一枚頬張った。
カリッ、クシュッ、モグモグ……
「うん、おいしい」
「うわー、感情ちっともこもってない」
「いや、おいしいのは事実だよ。これが手作りなんて、やるねぇ」
「へへー、まーね」
自信満々に胸を張る倉本さん。なんか今にも天狗鼻になりそうだ。
だけど……言葉に感情がこもらないのはいつもだけど、今回はそれだけじゃない。おいしいのは事実、嘘じゃない。でも、どこか物足りない。
その理由はもう分かっている。無意識のうちに、比べてしまっているからだ。
「……でも、お姉ちゃんのクッキーには負ける」
「え?」
倉本さんの、自信に満ちた顔が固まった。
昔から、わたしはお姉ちゃんの作るお菓子をたくさん食べてきた。だからお菓子に関しては、舌が肥えているのかもしれない。あの姉、頼みもしないのに大量に作るから。でも悔しいくらいおいしいので、しかもおいしいと言えばものすごく喜ぶから、文句なんて言えない。
「へぇ、礼菜ちゃんのお姉さんって、お菓子作るの?」
案の定、モカをはじめたくさんのクラスメイトが食いついてきた。クッキーを出された時と同じ目をしている……。
「まあ、たまに作るくらいかな……」
「お姉さん、料理上手なの? お姉さんのクッキー食べてみたいかも!」
おーそうだな、これより美味いって期待大だよな、というか東雲のお姉さんって時点で期待できそうだよな……。という感じでクラス中が盛り上がっていく。ああ……これ、倉本さんの立場がないやつだ。まさかここまで食いつくとは思わなかった。
「なによ、それ」
そうなると思ったけど、倉本さんは思いきり苛立ちと嫉妬心を露わにしていた。プライドの高い人だということはよく知っていた。
「おねーちゃんの手作りと比べたら、わたしのなんて足元にも及ばないっていうわけ?」
「いや、そこまで開きがあるわけじゃないけど……」
「おねーちゃんのクッキーの方がおいしいから、わたしのじゃ満足できないってわけ?」
「えっと……それ以前にそんなお腹減ってなかったから……」
「決闘よっ!」
いきなりわたしを指差して、倉本さんは突拍子もないことを言ってきた。
「えっ……わたし、腕っ節にはあんまり自信ないけど」
「あんたじゃない! あんたのおねーちゃんと!」
「うちのお姉ちゃんもそんなケンカ強くないけど」
「ケンカじゃないわ、お菓子作りで勝負よ! あんたのおねーちゃんと、このわたしが!」
なんでそれを決闘と呼ぶのだ……それとも“血糖”の聞き間違いだったのかな。
ああ、もう。わたしの周りには、メチャクチャな人が多すぎる。
「というわけで、わたしと勝負よ!」
わたしの家に到着し、お姉ちゃんと対面して、開口一番に倉本さんは言った。お姉ちゃんに指を差しながら。
今日も学校を終えたら、校門でお姉ちゃんと待ち合わせ、一緒に家に帰った。これももはや習慣と化している。倉本さんは一度家に戻ってから、お菓子作りの材料(と、なぜかモカ)を携えて、うちにやって来た。
いきなり宣戦布告されて、さすがのお姉ちゃんも事態が呑み込めないようです。事前にわたしが説明していればよかったけど、あまりに経緯が面倒くさくて、どう説明するべきか悩んでいるうちに、倉本さんたちが来てしまったのです。一応クラスメイトが来るとは言ったけど。
「……ごめん、何が“というわけで”なのかな」
「妹さんに言わせれば、わたしが作るクッキーよりも、おねーさんが作るクッキーの方が桁違いにおいしいそうです」
「あのさ、桁違いなんて言ってないから」
一応突っ込んでおいたけど、果たして聞こえているかどうか。
「でもわたしは納得できない。このわたしよりおいしく作れるなんて、そう簡単に認められないんだから! どっちが上か、きっちり白黒つけようじゃないの!」
自尊心が強すぎるのも考え物です。ものすごく威勢よく勝負を持ちかけているけど、要は自分の方が上だと証明したいだけなのでしょう。とはいえ、こんな事を言ってお姉ちゃんがどんな反応をするか……これでも姉を一番よく知っているので、なんとなく予想はできます。
ちらっと、横にいる姉を見る。
「もぉ~、レナったらぁ~、わたしのクッキーの方がおいしいなんてぇ~、照れるなぁ~」
予想どおり、喜びのあまりデレデレになっていました。
わたしはもう慣れたけど、初めて姉と対面した倉本さんとモカは、唖然としています。思いもしなかった頓珍漢な反応に、いきなり出ばなをくじかれた形です。
「おねーさん……聞いてます?」
「え? ああ、お菓子作りで勝負したいんだって?」
一応ちゃんと倉本さんの話は聞いていたようです。姉は頬をぽりぽり掻きながら言います。
「構わないけどさ……別に勝負して優劣を競わなくても、おいしく食べられたらなんでもよくない? わたしの方が上っていうのも、あくまでレナの感想にすぎないんだし、そんな気にする事でもないと思うけどな」
おお、大人の反応だ。お姉ちゃんは基本的に平和主義者なので、争い事は好みません。
「あら、逃げるの?」腰に手を当てて言う倉本さん。「もしかして、中学生にお菓子作りで負けるのが嫌だとか? 敵前逃亡とかだっさーい」
あからさまに挑発してくる倉本さん。よほど姉と勝負がしたいらしい。
こんな事を言われて、怒りだすお姉ちゃんじゃないけれど、思考回路が単純な所があるから、なんだかんだ言って挑発に乗ってしまいそうだ。心配になって、ちらっと姉の方を見ると……顎に手を当てて何か考えていました。怒らず冷静に対処する、年上の余裕ですね。
……一瞬、姉の口角が緩んだ、気がしました。
「いい度胸じゃない!」
突然、姉は腕を組んで胸を張り、かなり尊大な口調で言い放ちました。
「このわたしにお菓子作りで勝負を持ちかけて、あまつさえ挑発までしてきたこと、心の底から後悔させてあげるわよ! ほっほっほ!」
「やっと乗ってきたわね。言っておくけど、後悔するのはあんたの方よ!」
そうして火花をバチバチと散らす姉と倉本さん。
……いや、違和感しかないのですけど。お姉ちゃん、さっきと口調が変わってませんか? むしろお姉ちゃんの方が、倉本さんを積極的に挑発しているような……争い事を好まないお姉ちゃんがこんな事するなんて、思ってもなかったのに。
「……まあ、とりあえず、二人とも上がって」
以上、我が家の玄関口からお送りいたしました。
台所に移動して、お姉ちゃんと倉本さんは早くもエプロン姿、つまり臨戦態勢です。
「さて、何を作ろうかな……倉本さん、だっけ? どんな材料を持ってきたの?」
「強力粉、酵母、バター、ドライフルーツ、マカダミアナッツ、パウダーシュガー。割と多めに持ってきたわ。人数もいるし」
「なんかどこかで見たようなラインナップ……というか、もう作るもの決めてるの?」
「ええ、ズバリ……」
倉本さんはお姉ちゃんにビシッと指を向けて、言いました。
「シュトーレンで勝負よ!」
「……まだアドベントには遠い時期だと思うんだけどな」
まあ、まだ秋にも入っていませんしね。季節外れもいいところです。なんだって倉本さんはそんなものをチョイスしたのか……。
モカがわたしの肩をちょんちょんと突いてきました。
「ん?」
「話についていけないんだけど……シュトーレンとかアドベントって、なに?」
「シュトーレンはドイツやオランダで主に作られている、クリスマスのお菓子だよ。普通は、クリスマスまでの25日間を意味する待降節の期間に食べられる事が多いね。ふっくら膨らませた生地にバターを塗って、粉砂糖をまんべんなくまぶしたもので、その見た目からキリストの産着とも言われているの」
「へぇ、さすが礼菜ちゃん。……って、どうして今の時期にクリスマスのお菓子を?」
「だよねぇ」
たぶん、以前に作ったことがあって、一番難しいものを選んだのでしょう。もうちょっと季節感も重視してほしいものです。
「シュトーレンかぁ……あれはまだ作ったことがないんだよね。そもそも日本じゃ、クリスマスはケーキを作るのが主流だし。ネットでレシピ調べるか……というか、それ以前にうち、オーブンがひとつしかないけど!」
「普通はどの家庭でも、オーブンをふたつも持たないよ」と、わたし。
「どうする? 一応勝負ってことなら、別々に作るべきなんだろうけど、オーブンを使うタイミングがぶつかるかもしれないよ?」
「うーん……」腕組みして考える倉本さん。「時間をずらしたら、発酵させすぎて味が落ちるかもしれませんし……しょうがない、どちらか別の場所でやりましょう」
「どちらか?」
「おねーさんはここで、わたしは材料を半分持ち帰ってうちで作ります。完成したらここに持ってきて、あの二人に試食させましょう」
倉本さんはわたし達を指差して言いました。二人、ということはモカも?
「えっ、わたし、荷物持ちだけじゃなく、試食もやんなきゃいけないの?」
そういえば倉本さんが用意した材料の袋は、なぜか連れのモカに持たせていた。
「いいじゃない、おいしいお菓子が食べられるんだから。むしろ役得でしょ」
「役得とは……」
「でも、場所が違うとフェアに戦えないかもしれないよ?」
わたしがそう指摘すると、倉本さんは胸に手を当てて言いました。
「大丈夫。あなた達が見張り役になればいいのよ。ひとりにつき見張り一名」
「さらに見張り役まであてがうのかよ!」
モカの悲痛な声が響きます。なんかもう、倉本さんに振り回されっぱなしだな。
「ちなみに姉妹同士では見張りが甘くなるかもしれないから、おねーさんの見張りはモカで、わたしの見張りは礼菜ちゃんにしましょう」
「うえっ!? せっかく作るのに、レナに見てもらえないのぉ?」
泣くなよ、お姉ちゃん。大体わたし、姉妹だからってお姉ちゃんに手心を加えるつもりなんてないのに。……でも、フェアでないのは確かだ。
「しょうがないね、勝負だし。モカ、お姉ちゃんのこと、よろしくね」
「はあ」モカは苦笑しつつ肩をすくめた。「礼菜ちゃんの頼みじゃ仕方ないなぁ」
「ちょっと! なんでわたしの時は嫌そうで、礼菜ちゃんならあっさり引き受けるのよ!」
倉本さんが向きになって言う。単純に頼み方の問題じゃないかなぁ。
話はまとまったので、モカはここに残ってお姉ちゃんの監視、わたしは倉本さんと一緒に彼女の家に向かうことになった。材料はきっちり半分に分けて、片方を袋に入れて、予想はしていたがわたしが持つことになった。ちなみにお姉ちゃんはまだ嘆いていて、モカが必死になぐさめようとしていますが、難儀のようです。
気を遣うわけじゃないけど、あのまま勝負を投げ捨ててお菓子を作ってくれないのは、ちょっと嫌だと思ったので……倉本さんと一緒に台所を出る直前に、わたしはお姉ちゃんに声をかけました。いつものように、普通に。
「お姉ちゃん、楽しみにしてる」
「…………」
お姉ちゃんの嘆きが止まり、大きく目を見開きました。そして。
「おっしゃあああ! やるぞおおおっ!!」
急速にやる気を取り戻しました。わたしはあらゆる点で、上には上がいると思っていますが、お姉ちゃんの扱いだけは誰にも負けません。
それにしてもこの勝負、大丈夫なのかな……不安は尽きません。
倉本さんの家に来るのは初めてです。というか、わたしはクラスメイトの家に遊びに行くということがほとんどないのですが。
わたしの見ている前で、台所のカウンターの向こうで、倉本さんは黙々と作業をしています。調理でなく、あえて作業と言わせてもらいます。なにしろ、手元のレシピ本を何度も見返し、厨房の端から端まで行ったり来たりしていて、常に落ち着いていないので。
「うわっ、やばっ、ドライフルーツ入れ過ぎた! あーもう、もたもたしてたら発酵が進みすぎちゃうってのにもーっ!」
さっきからあたふたしっぱなしです。お姉ちゃんがお菓子を作る所は何度も見ているけど、それとはまるで違います。お姉ちゃんが要領よく動くのとは対照的に、倉本さんはひとつの工程にやたら時間をかけています。こんな調子でよく、あの割とおいしいクッキーを作れたものです。あれだけ自信たっぷりだったのだから、手作りは嘘じゃないはずですけど……。
それにしても、見ているだけというのも退屈です。こうなるなら、宿題を持ってきてこっちでやればよかった。暇を持て余していたわたしは、パズルゲームでもしようかとスマホを取り出しました。
「ちょっと見張り番! ちゃんと見張りの仕事しなさいよ!」
怒られてしまった……どうせ不正なんてするわけもないのに。なぜなら今この家には、ピンチヒッターをまかせられる他の人間がいないから。
「だって待ってるだけなんて、正直言って時間の浪費だよ。倉本さんの作業は全然進まないし」
「うるさいわね! こっちは丁寧に作ってんのよ!」
とても丁寧な作業には見えないが……あと、これは早々に言っておいた方がいいだろう。
「一応、倉本さんの作業はずっと見てるよ。そして重大なことに気づいた」
「なによ」
「オーブン、予熱してない」
「わあっ、しまった!」
お菓子作りでオーブンを使うなら、使う前に十分に温めておくのが常識だろうに。そんなことも失念するくらい、心の余裕がないみたいだ。
「そんな感じで、よくあんなおいしいクッキーが作れたね」
「うっ……」
カウンターの向こうでしゃがみ込んでいるから見えないけど、倉本さん、たぶん痛い所を突かれて表情を歪めたな。
さて、どうしようか……この激しく暇な時間をどう弄ぶか、考え始める。すると、カウンターの向こうから、倉本さんの独白が聞こえてきました。
「お菓子は……昔から、ママの手伝いでよく作っていたし、得意だって思ってる。シュトーレンだって一緒に作ったことがある。二度もだよ。昨日は……初めて自分ひとりで作ってみたいって思って、ママの手助け無しで作ったの。すごく上手にできたから、クラスのみんなにも食べてもらいたいって、思って……」
「…………」
「すごく、自信あったのに……こんなはずじゃ、なかったのに……」
悔しそうな、今にも泣き出しそうな声が聞こえる。
……ああ、なるほど。そういうことか。こうなるって分かっていたんだな、お姉ちゃん。
厨房に入ってみると、すでに生地は成形され、最後の発酵の段階に入っていた。すぐ近くのレシピ本には、最終発酵を20分ほどと書いてあるので、もうそろそろ焼きに入る頃だ。生地の載ったプレートを持って、恐らく十分に予熱されたであろうオーブンの前に移る。たぶん、お姉ちゃんの目論見だと、こういうことを誰かがやることになったのでしょう。
「ごめん、ちょっとよけてね」
オーブンの前にしゃがみ込んでいた倉本さんを、そっと押しのけて、わたしはオーブンの中にプレートを入れました。蓋を閉め、タイマーを30分にセットしました。そして、わたしも倉本さんの隣にしゃがみ込みます。
「……なんのつもりよ」少し苛立たしげに尋ねる倉本さん。
「そういうところじゃないかな、上手くいかないのは」
「え?」
「ひとりで作ってみたい、みんなにおいしく食べてほしい……そういう思いがあったから、クッキーの時は上手くいったんだと思う。でも、いま倉本さんの頭にあるのは、相手を負かしたいっていう思い。それじゃ、何をやっても上手くいかないよ。実際、負けるもんか、っていう感情ばかりが空回りして、ちっとも落ち着いて行動できてないもの」
「……分かったふうな口を利くのね」
「分かるよ。お姉ちゃんがお菓子を作るところ、いつも見てるから」
そう……姉がお菓子を作るとき、その相手はいつもわたしだった。わたしに、おいしいお菓子を食べさせたい、その一心で作っているから、初めて作るものでもおいしくなる。そして、作っているときの姉の顔はいつも、そうした思いがこもった、一所懸命な笑顔なのだ。
たぶん、お姉ちゃんは予感していたのだ。倉本さんが今の気持ちのままでお菓子を作れば、間違いなく上手くいかないと。でも、それを口で説明したって、倉本さんに通じるわけがなかった。だからあえて挑戦を受け入れ、自発的に気づくよう仕向けたのだ。
まったく……これだから、わたしはお姉ちゃんに敵わないのです。
「一緒に作ろうよ。ひとりより、二人で作った方が楽しいよ」
「……ううん、ひとりでいい」
倉本さんはそう言って立ち上がった。その面持ちは、真剣そのものです。
「ひとりでやる。勝負だもん。ちゃんと上手く作って、あなたたちに「おいしい」って、言わせてやるんだから」
……あーあ、完全にお姉ちゃんの目論見どおりだ。たぶんね、お姉ちゃんが倉本さんを挑発しにかかった時点で、もう勝負はついてたよ。
でも、言わなかった。言わずに、ちゃんと見守ることに決めた。
見張り役じゃなくて、見守り役に徹しますよ。
ようやく完成したシュトーレンを、皿に載せ、キッチンペーパーとラップで包んで、わたしの家に持っていきます。もう日が沈んでしまっています。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
家に向かう道すがら、倉本さんがわたしに言いました。
「申し訳ないと思っているなら、シュトーレン自分で持ったらどうなの?」
「嫌よ。今の礼菜ちゃんは、見張り役兼荷物持ち兼試食係なんだから」
「だから、シュトーレンだけでなく色んなものおっ被せないでよ」
プライドの高い倉本さんは、意地でも自分で荷物を持ちません。それで言い争いとかにならない辺り、わたしも大概なのでしょうね。
「付き合わされたこと自体は何も言わないよ。お菓子は好きだし……倉本さんの作るお菓子が楽しみなのは本当だし」
「相変わらず引っかかる言い方をしてくれるわね……」
「それに、これを機にお姉ちゃんのお菓子を好きになってくれる人が増えたら、お姉ちゃんも喜ぶと思うから。わたしが連れて来たってだけで、感激だろうし」
「……礼菜ちゃんって、おねーさんのこと好きなんだね」
普段のわたしみたいな、抑揚のない口調で、興味なさそうに倉本さんは言う。
間違ってはいない。偏愛的なところはあっても、わたしのことを大事に思ってくれている事に、変わりはないから。だからわたしは、偽りのない気持ちを告げた。
「まあ、お姉ちゃんほどじゃないけどね」
家に到着し、玄関のドアを開けると、甘く香ばしいにおいが漂ってきた。
「わっ、なにこれ」驚く倉本さん。「においからしておいしそうなんですけど!」
「おかしいな……」
「ん? おかしだけに?」
「明らかにシュトーレンとは違うにおいも混ざっている……」
「おーい、突っ込んでおくれよ」
お姉ちゃんのことで鍛えられているので、この程度のボケにはいちいち反応しません。
台所に入ると、大体いつもお姉ちゃんの行動パターンが読めるわたしでさえ、驚いてしまう光景が広がっていました。これは、さすがに予想外です。
シュトーレン、だけじゃない。イチゴショートケーキ、ザッハトルテ、ビュッシュ・ド・ノエル、ガレット・デ・ロア、クグロフ、パンドーロ、エーブレスキーバ、ミンスパイ……ありとあらゆるクリスマスのお菓子が、テーブルの上に所狭しと並んでいるではありませんか!(なんでぜんぶ名前が分かるのよby倉本)
「あ、二人ともおかえり」
そしてモカは、さっそくクグロフから食べていました。
「ち、ちょっとモカ……これはどういう?」
「礼菜ちゃんに応援されてから超やる気出ちゃったみたいで、シュトーレンあっという間に作り終わっちゃったから、わざわざ近くのデパートまで行って材料買ってきて、できる範囲でたくさんお菓子を作ったらこうなった」
「うそでしょ……」愕然とする倉本さん。「わたしがシュトーレンひとつを作っている間に、これだけの量を、ひとりで作ったっていうの?」
「うん、ひとりで。わたし一度も手伝わなかったよ。しかもどれも最高においしい」
確かに、並べられた料理はどれも、においも見た目もおいしそうです。お姉ちゃんのお菓子作りの腕はよく知っていたつもりですが、想像以上でした。
倉本さん、四つん這いになってがっくりと項垂れています。お姉ちゃんは別に、彼女を完膚なきまで負かそうとは思っていなくて、ただわたしを喜ばせたくて大量に作ったのでしょうが、結果的には倉本さんの完敗……最初に言ったとおり、勝負を挑んだ事を後悔していますね。
「あっ、レナ! おかえり! 今ちょっとブレデルを焼いてて手が離せないから後でね!」
カウンターの向こうで、お姉ちゃんが顔を出してわたしに言いました。今度はフランスの伝統的なサブレを作っているのですか……節操なさすぎます。そしてまだ作るのですか。
「ほら、礼菜ちゃんも倉本さんも、こっちきて一緒に食べようよ」
モカが誘ってきます。これだけあると、夕飯が食べられなくなる……というかこれが夕飯になりそうな勢いさえあります。まあ、お姉ちゃんがせっかく作ってくれたわけですし、食べて感想を言ってあげましょう。まずはザッハトルテから、ひと口。
ぱくり。
………………。
きゅううううううぅぅぅん……。
「わー、礼菜ちゃんのこんな顔、初めて見た……」
どんな顔をしているのか分かりませんが、やはり、やはり、お姉ちゃんのお菓子は絶品です。短時間で作ったとは思えない、最高のクオリティです。ああ……こんな幸せな気分に浸れるのなら、夕飯抜きになってもいいかも……いけません、甘美な誘惑が。
「おねーさん」
いつの間にか立ち直っていた倉本さんが、姉の前に立って言いました。
「ん?」
「今回は、このくらいで見逃してあげますけど、まだ勝負はついていませんから」
キッと睨みながら、倉本さんは顔を上げました。
「またすぐに勝負しに来ますからね!」
……倉本さんの口元についているチョコクリームを見て、ふわりと微笑むお姉ちゃん。よしよし、とでも言いたそうに倉本さんの頭を撫でます。
「なっ、なんですか! まったくもう!」
その様子を、わたしは内心呆れながら見ていました。お姉ちゃんって……これだから。
お姉ちゃんは、よくわたしのことをこう言って自慢する。勉強も運動もできて、誰にでも誠実に接し、振る舞いもとても大人っぽいと。そしてお姉ちゃんは、わたしが大好きで、わたしにひっついては軽くあしらわれる、その温度差が大好きだ。
以前、お姉ちゃんはわたしに言った。レナは、レナのなりたい自分になればいい、と。
言われるまでもない。わたしは、なりたい自分になっている。
わたしはお姉ちゃんに敵わない。勉強を頑張るのも、得意な運動をするのも、誰かに優しくすることも……癖で、惰性で、自然にやっていること。でも、それはお姉ちゃんも同じで、そのくせ何をやってもお姉ちゃんは先を行く。無意識にやればみんな、姉と同じに、そして姉の方が上になる。上には上がいるって、もう分かってた。
だけど、ひとつだけ、決定的に違っていることがある。お姉ちゃんはわたしを溺愛している。でもわたしはそうじゃない。そしてその温度差が、お姉ちゃんを近しい存在にしている。お姉ちゃんがわたしに求めるのは、そうした温度差を生んでくれるわたしだ。
だからどんなに姉がわたしより優れていても、わたしはそれを他人に広めない。自慢しない。知ってほしいときは、遠回しな方法を使ってでも分からせる。そうしてわたしは、積極的にわたしを自慢する姉と、絶妙な温度差を作ってきたのだ。そうすれば姉は……いつまでもわたしのそばにいてくれる。おいしいお菓子を、作ってくれる。
「どう? レナ、おいしい?」
期待のこもった表情で、お姉ちゃんがカウンター越しに尋ねてくる。
姉がいちばん喜ぶ言葉を、わたしは知っている。いつもの、感情をかなぐり捨てた無表情で、わたしは答える。
「……言うまでもないくせに」
わたしは、お姉ちゃんが大好きなわたしに、なりたい。
後日談。
カナが大量に作ったクリスマスのお菓子は、東雲家のデザートでは消費しきれず、結局カナとレナが学校に持ってって、クラスメイト達にふるまいました。レナのクラスメイト達、早くもカナのお菓子が食べられて大喜びしたそうです。
作中に登場するお菓子が何なのかイメージできない方は、ぜひググってみてください。カナのハイスペックぶりが分かると思います。