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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第1話 君が笑顔になれるまで
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1-3 道をゆく君


 藤川(ふじかわ)(つむぎ)が強制的にわたしのリハビリ支援を宣言してから、彼女は週に3回くらいの頻度でアパートに来るようになった。曜日などが特に決まっているわけでもなく、どういうタイミングで来るのか全く予想できないものだから、こちらも心の準備ができない。これはアレか、抜き打ちテストみたいなものか。

 とはいえ、引きこもりをこじらせただけで正常な会話ができる不登校生徒を更生させるだけだから、肉体的に厳しい修行とかはしない。ざっくりいえば、外の世界に慣れさせる訓練である。わたしの場合はあまりに日の光を浴びない時間が長すぎて、日光に拒否反応を起こす体になってしまっているのだ。そんな体質では外出さえもままならず、不登校解消なんて夢のまた夢だ。

 わたし、久野(ひさの)舞子(まいこ)だけの委員長を勝手に宣言し、勝手に就任した委員長の責務みたいにリハビリ支援を始めるという、一から十まで本人の意思を無視した勝手きわまる行動に走っている藤川さんだが、わたしは別に彼女のことが嫌いではない。好きでもないけど。抜き打ち訪問を仕掛けては、カーテンを開けて日光を入れたり、外に連れ出したりもして、とにかくやりたい放題……おかげで何度ゲームを中断したことか知れない。ただ、最近は彼女が来るのを心待ちにしているわたしもいる。

 わたしは基本的に料理とか不得手なので、食べ物を持って来たり、ときに簡単な料理を教えてくれたりもする藤川さんは、貴重な存在になりつつある。それに、藤川さんは馬鹿話と切り捨てるけど、彼女とおしゃべりをするのは不思議と心地よい。そのぶん、彼女が帰った後はいつも寂しさを感じるようになった。最初のうちはゲームで寂しさを紛らわせていたが、だんだんそれもむなしくなっていた。

「…………なんか、変だな」

 藤川さんと一緒に作った肉じゃがを食べて、ベッドで仰向けに寝転がって、わたしはぼうっと天井を眺めながら、偽らざる気持ちを呟く。

 毎日のように、ではないけれど、頻繁にここに来てはわたしを真顔で引っ張りまわす、普段なら迷惑としか思わないあの委員長の姿が、最近は全然脳裏から離れない。幾度となく飢えていたところを助けられたから? 会話の心地がいいから? それとも……。

 そして時たまフラッシュバックする、あの光景。

 見慣れているはずの制服の肌触り。包み込むような腕の感触。優しい声。脳の奥にまで響いてくる、いやにピッチの速い鼓動。

 あの時、確かに藤川さんの存在を肌いっぱいに感じた。なのに、その間は彼女の顔が見られなかった。それだけが心残りだ。

「いや、なんで心残りなんだよ……見てどうするんだよ」

 藤川さんと一緒にいて、振り回されて、おしゃべりして、それは割と心地よい。だけどあの日の、ぐちゃぐちゃした感触は、あの日だけのものだったのに、未だに心の奥底にこびりついて離れない。

「ああ、もう」

 脳味噌には手が届かないから、代わりに顔や髪をくしゃくしゃと引っかく。

「違う、違う、そんなはずない。そんなの、もうやめたんだ」

 こんな感じで、最近のわたしは藤川さんに振り回されたせいで、ちょっとおかしいのだ。


「まあ、久野さんは元からおかしな人だからね」

 わたしを振り回している張本人は、こんな(ドレッドノート)級に失礼なことをほざいた。その失礼な同級生に、指を差すわたし。

「じゃかしーわ。勝手に訳の分からん委員長やり出す奴に言われたかねーぞ」

「というか駄弁(だべ)っている暇があったら、手に持ったシャーペンを動かしなさい」

 すげない人だ。頭かたい女はモテないぞ、なんて言ったら殴られそうだから言わないが。

 今日は部屋で勉強中。引きこもっている間、ゲームばかりしていた今のわたしでは、学校に戻っても授業についていけないのは明々白々ってやつなので、リハビリ支援の一環として藤川さんがわたしに勉強を教えることになったのだ。否、これも藤川さんが勝手に決めたことだが。

 もうどのくらいの期間、引きこもっていたか忘れたが、教科書の内容は、未読のところも含めてなんとか理解できる。ただし、それとテスト等で問題を解けるかどうかは別物なので、練習にしっかりと問題を解くのが大事であることに変わりはない。

「はい、できたよ。こんなもんかな」

「オッケー。ちなみにさっきの問題集は、三か所解答ミスがありました」

「うげっ」

 初めて解く分野だったけど、割と自信あったのになぁ。

「それにしても、引きこもってゲームに興じているものだから、学力がガタ落ちしてるんじゃないか心配だったけど、案外理解が早いのね」

「ふっふーん」

 わたしは腰に手を当てて胸を張った。……そんなある方じゃないけど。

「こう見えて基礎学力は人並み以上なんだよね。数か月の遅れなんてすぐ取り戻せるもんね」

「ない胸を張るな。そういう油断と無意味な自信が命取りになるんだぞ」

 かっちーん

 やっぱ他人から言われると腹立つ。わたしはテーブルをバンッと叩いて言った。

「胸のことは言うな! 人がちょっと気にしてることなのに! 藤川さんが男だったらセクハラで訴えるところだよ!」

 パキ、というかすかな音を立てて、藤川さんの持っていたシャーペンの芯が折れた。固まる藤川さん。相変わらず無表情だけど、それがいつにもまして固まっている。

「藤川さん……?」

「……そう、だよね。すまん、ちょっと言い過ぎた」

 そういってカチカチとシャーペンの芯を出す藤川さん。何事もなかったように問題を解いていく。

 藤川さんがわたしに謝るところって、初めて見たかも。いやそれでもあっさりしすぎだが。

 用意された量の問題集を解き終えたところで、藤川さんのスマホで時刻を確認すると、なんと二時間も経過していた。きょうは休日ということもあって、藤川さんは午前中からここに来ていて、それから二時間経っているわけだから、今はもうお昼の時間である。

「あぁ~、お腹へった」

「いい時間だし、何か食べるものを買いに行きましょうか」

「あれ、いつもみたいに料理教えてくれないの?」

「そのつもりだけど、きょうは買い出しに久野さんも付き合わせる予定だから」

 問題集を束ねて持って、テーブルにとんとんと当てて揃えながら、藤川さんは言ってのけた。

「ひとりで買い物くらいできないと、自活できたなんてとても言えないわよ」

「そ、そりゃそうかもしれないけど、わたしの財布の中身、結構残念なことになってるよ?」

 高校生になって一人暮らしを始めたけど、親からの仕送りはまだ続いている。でもそれも月一なので、仕送り日の前はいつも金欠でひーひー言っている。

「大丈夫よ、買うのはわたしだから。あなたはわたしのそばにいて、どんなものを買うか見ていればいい」

 ……そばにいて、なんて言うから一瞬どきっとしたけど、なんとかすぐ冷静さを取り戻すわたし。

「これも外の世界に慣れるための修行だから」

「ですよね~……」

 がっくりとなるわたしだが、ここ最近、藤川さんに連れ出されることが多くて、だいぶ外の空気や日光に慣れてきていた。今も分厚いカーテンを開けて、部屋の中に日光を取り入れている。昼間に電気を使いすぎると生活費を圧迫するので、使うにしても深夜にするべきだと、藤川さんに言われたのだ。

 とはいえ、体じゅうに浴びるとなるとまたレベルが違うもので……部屋を出て、よく晴れた外の世界に踏み出した途端、藤川さんを激しく後悔させることになった。

「ああ……熱気に当てられた氷の気分だ……」

「ひっ、久野さん! 倒れる! 危ない!」

 急きょ、部屋に中に引き戻された。まったく、危うく三途の川を越えるところだったよ。

「しゅ、しゅびばぜん(すみません)……ご迷惑をおがげじばじだ(おかけしました)……」

「うーん、困ったなぁ……仕方ない。ちょっと待ってて。家から日傘を持ってくるから」

「あ、大丈夫ですよ……うちにもあります。緊急用のやつ」

「緊急の外出用の日傘って……本当に今までどれだけ太陽を浴びてなかったのよ」

 額を押さえて呆れ果てる藤川さん。自慢じゃないけど、ここ最近の日光を浴びていない時間の短さには、割と自信がある。引きこもりをなめんなよ。

「引きこもりをなめんなよ、とでも言いたそうな顔ね」

「うぇっ!? もしかして、顔に出てた?」

「ええ。自慢にもならない事で自慢げにしている顔よ。で? その緊急外出用の日傘ってどこよ」

「そんなゴミ虫を見るような(さげす)みの視線を向けながら訊かないで……ベッド脇の棚の中です」

「安心して。とりあえず人間だと思うようにはしているから。持ってくるわね」

 まるで安心できかねます……人間カーストの最底辺だと思われているみたいで。まあ否定もできないけど。

 その後、藤川さんが持ってきた日傘のおかげで、今度こそわたしは倒れることなく外に出られた。これまで外に連れ出されることがあったとはいえ、わたしの体質を考慮してか、曇り空などで光の強くないタイミングを狙っていたので、まだ全身に日光を浴びるのは慣れないのだ。空気には慣れたけど。

 近場のスーパーマーケットまで行く予定とのことだが、きょうは快晴で結構じっとりと暑い。歩いてもたいして時間がかからないのに、じわりと汗が噴き出てくる。わたしは日傘を差しているからマシだけど、藤川さんはどことなく、必死で暑さを我慢しているみたいだ。

「……ねえ、藤川さんも、日傘に入る?」

「いい。まだそこまでは心の準備ができていない」

 と、無表情アンド抑揚のない口調で断ってくる。わけ分からん。

 スーパーに到着し、冷房の効いた店内に入ると、涼しさに当てられて緊張が解けたのか、藤川さんはあからさまにホッとした顔を浮かべた。やっぱり我慢していたんじゃないか……暑さだけじゃない。わたしのことでも色々と、我慢していることがありそうだ。少し申し訳なく思えてくる。

 買い物かごを片手に、店内を巡って商品を物色し始める。わたしは藤川さんの後をついていくだけで、選んでいるのはほとんど、つーか全部彼女だけど。

「あなたの場合、普通に太陽を浴びてもすぐにバテそうだからね。夏野菜でミネラルを、肉と魚でタンパク質をしっかり取るべきね。あと、運動不足だと鉄分や亜鉛が不足しがちだから、その辺を補える食品も買っておきましょう」

「そういうのはサプリメントとかで事足りるんじゃない?」

「いくら最近のサプリメントが、栄養配合のバランスが取れているからって、それじゃ体が持たないわよ。その手の商品のラベルにもある通り、栄養補助……食品で賄えない分を補充するためのもの。だから基本は食べ物で摂取するべきなのよ」

「ふうん……ところで、日光に強くなれる食品ってないかな」

「それは日常的に浴びることで克服しなさい。食べ物に頼るな」

「……さーせん」

 なんか本当に母親みたいだなぁ。藤川さんは結婚したら、意外と面倒見のいい良妻賢母になれるかも。

 ……本当に、藤川さんみたいな人が親にいたら、こんな不甲斐ない今の自分にはなっていなかった。もちろん、こうなったのはわたしの、意志薄弱な性質のせいでもあるけれど、ぜんぶではない。……いや、そう思っているのは、わたしだけかもしれない。

「おい」

 藤川さんがいきなり、わたしの鼻をつまんで引っ張り、無理やり正面を向かせてきた。

「今日は夏野菜カレーの作り方を教示してやる。いいな」

「あ、はい……ていうか、鼻から手離して」

 するとあっさり手を離した。

「何を考え込んでいた? ひとりで考えてどうしようもないことなら、いつでも相談に乗るよ」

 そんなことを、何でもないように、当たり前のように言うものだから、始末に負えない。ここ最近の藤川さんの行動を見ていれば分かる。どんなに言葉が辛辣でも、心根は優しい。それは不思議と温かくて、いつまでも触れていたいと思えるくらいだ。

 だけど……それでもわたしは、簡単に触れられない。奥底に眠る不確かな恐怖が、そうさせてくれない。だから、こんな優しさを示されても、まだ素直に喜べない。

「うん……ありがと」

 自分でも屈託が入り混じっていると分かる笑顔で、わたしは言った。

 藤川さんは、憐れむでも蔑むでもなく、どこかつらそうな表情をわたしに向けた。当然の反応だ。

 さて。なんとか買い物を終えたわたし達は、二つに分けて商品を入れたレジ袋を、ひとり一つずつ抱えて外に出た。分けたおかげでそんなに重くないから片手で持てる。だから日傘も差せる。

「楽しみだなぁ、藤川さんが作る料理。この間のポテトグラタンも絶品だったし」

「そう?」

「そうだよぉ。藤川さんって、普段から料理とかするタイプなの?」

「いや、あんまりしない。でも下手ではないつもり。満足いただけたならよかった」

「本当にびっくりするほどメリハリのない人だね……でも料理がおいしいってのはマジだからね。藤川さんならいいお嫁さんになれると思う」

 その言葉でピクリと肩を揺らしてから、藤川さんはぼそっと呟いた。

「……誰かのために作ったから、おいしく感じただけよ」

「ん?」

 彼女の発言の意図が一瞬分からなかったので、ちょっと考えた。誰かのために。まあ、あれはみんなわたしのために作ったものだから、間違ってはいない。しかし、“誰かと一緒に食べるから”ならともかく、“誰かのために作ったから”おいしいというのはあまり聞かない。なんだろう。わたしにおいしい料理を食べさせたいから、熱心になって作ったという意味かな。

 ……うん、それは、嬉しい。普通に。

 やっぱり優しいなぁ、なんて思いながら、二人で並んで道を歩いていると、道路の向こう側からキャッキャという声が聞こえてきた。わたし達と同じように、並んで歩く三人の少女たち。休日だから全員が私服だけど、彼女たちの顔には見覚えがあった。否、さすがに忘れはしなかった。

 その瞬間、わたしは、暑さとは違う、冷え切った汗が出てきた。買い物袋を(ドサッ)地面に落とす。

「あっ……ああっ……」

 怖い。怖い。怖い怖い怖い。

 わたしの様子が変なのを察したのか、藤川さんはまた突拍子もない行動に出た。

 道路側にさっと回り込むと、わたしの手から日傘を奪い取り、その傘で少女たちの視界からわたしと自分を隠した。傘を持っていないもう片方の手は、わたしの背中に当てられ、しっかと抱きしめている。

 …………うわ、久々に抱擁された。

「クラスメイトの子たちが、まだ怖いの?」

 耳元でささやくように、藤川さんは言った。うん、怖い。藤川さんとはまた違った……あの、人格さえも否定するような蔑みの視線が、それをさも当たり前のように向けてきたあの人たちの顔が、怖い。藤川さんに抱擁されている間も、両手の震えや動悸が止まらない。

「……何があったのか、詳しくは知らない。だけどさっきも言ったでしょ。ひとりで考えてどうしようもないことだったら、わたしがいつでも相談に乗る」

 ……あれ、動悸? なんだか、さっきと違う。

「そのための、委員長なんだから」

 ……いけない。これは、あれだ。吊り橋効果みたいなやつだ。わたしの気持ちがまた、藤川さんに絡め取られそうになっている。

 でもこの間と違って、藤川さんは割とあっさり体を離した。どうやらあのクラスメイト達が通り過ぎるまでの、時間限定だったらしい。……おい、おいおい、なんで少しがっかりしているんだ。

 藤川さんはわたしが落とした買い物袋を手に取ると、二つとも右手に持った。

「ち、ちょっと藤川さん重くないの?」

「大丈夫」

 いや、明らかに重さで、持ち手の部分が手のひらに食い込んでいますけど……。

 すると彼女は、左手をわたしの右手に向けて差し伸べ、握った。その華奢な体躯や、冷たそうな外見とは裏腹に、柔らかくて温かい手だった。そしていつの間にか、日傘はわたしの左手にある。

「一緒に帰りましょう。今の、あなたの居場所に」

「…………うん」

 逆らうことも断ることも、なぜだかわたしにはできなかった。

 わたしの前を、わたしの委員長が進んでいく。わたしの歩幅に合わせて、先を行く。

 本当は気づいていた。わたしにとってはきっと、きょうの太陽の光よりもずっと、あなたの方が眩しいんだって……だからわたし、きょうは日傘を手放せそうにない。手放したらきっと、あなたのその、不器用すぎる優しさに触れて、溶けてしまうから。

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