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確執

藍田少年が去ってから二分程して、謡は溜めていた息を吐き出した。その横顔は凝り固まり、受けた衝撃の強さを物語っていた。涼子は、しかし何も訊かない。

「何も、訊かないんですね。楡乃木さんは」

謡の声は酷く掠れていて、涼子の心は軽く震えた。

「…私がそういう人間だということ、謡はよく分かっているだろ?」

「…まぁ、」

謡は笑おうとしたようだが、強張った笑みにしかならない。「だが、聞かせられるのは、嫌じゃないよ」

謡がこちらを勢いよく向いたのを気配で感じ取ったが、涼子の目線は前を向いたままだ。意外なんだろうな、と涼子は思った。

「僕のこと変とか言いながら、楡乃木さんも今日は何か変ですね」

「………」

そうかもしれない。きっとあの“夢”のせいだ。あの“夢”を見ると、しばらくは自分が自分ではなくなるから。

「……今の、藍田渉君って言って、僕のクラスメイトなんです」

謡は静かに話し始めた。波の音を背に。

「藍田君と僕は、クラスメイトと言っても大して接点はありません。でも、藍田君の幼友達の子とは、衝突が多くて……」

衝突という単語は謡に相応しくないと涼子は感じた。恐らく一方的に因縁を付けられているのだろう。

「……自然と藍田君もそちらがわにつくような格好になって」

謡は悲しげに笑う。

「そんな中、ちょっと前に藍田君と話す機会があったんです。学外で互いに一人きりだったからか、藍田君も普通に接してくれて…。だけどもしその場面を誰かに見られて、告げ口みたいなことをされてたらって思うと、心配で……僕と話したせいで藍田君まで…」

謡が不自然に息を詰まらせる。だが謡は続けた。苦しげに目を閉じて。

「……いじめられたら、って」

これで謡が学校でいじめられていることが明らかになったわけだが、

「もしその藍田がいじめられているとしたら、謡はどうするんだ?」

「…えっ?」

予想外の質問だったのか、謡が声を上げる。少し上擦った声を。

「謡のせいでいじめられていると知ったらどうするんだ?藍田を庇うのか?」

「そ、それは…そうですよ。本来いじめられない人が僕のせいでいじめられているのなら、助けなきゃ……」

「だが藍田はお前がいじめられているのを見ても助けてはくれないのだろう?」

意地悪な質問だとは思う。だが回り出した口は止まらない。謡の顔が街灯の下でひきつっていく。

「そ、それはいいんです」

「何が?謡はいじめられるようなことをしたのか?」

「楡乃木さん、どうしたんですか?何かおかしいですよ、」

「そうか、おかしいか。こんなおかしい奴と話すのが嫌なら早く帰れ」

私は何をこんなに焦っているのだろう。涼子は今喋っているのが自分ではないような違和感を感じていた。頭の奥が妙に熱い。何だ、この感覚は。

「あ、あの、」

謡が涼子の様子を不審に思った矢先、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が振動した。

「…っ」

液晶画面を見た謡の目が見開かれる。父さん、と声もなく唇が象ったのを見て、涼子の頭は急速に冷えていく。

「早く帰ったほうがいい」

「……もしもし」

謡が電話の相手に言った瞬間、涼子の耳にも怒声が聞こえてきた。何故なら、声の主はすぐ側まで迫っていたからだ。謡の面影があるが、彼よりも体格は良い。太っているのではなく、筋肉質という意味で。

「と、父さん、」

怯む謡の腕を、謡の父ー芝貫春樹が掴む。

「こんな時間にこんなところで何をしている」

整った顔立ちが怒気に歪んでいる。涼子には気付いているだろうが、怒りに燃えた瞳が彼女に向くことはない。

「と、父さんは何でここ…っ、」

「訊いているのはこちらだ!!」

謡が顔を痛みに歪めて呻く。涼子から見ても、謡の腕を掴む父親の手がかなりの力を込めているのが分かる。

「は、春樹さまっ」

父親からかなり遅れて現れたのは、スーツ姿の生真面目そうな青年だった。右手にキーらしきものを持っているから、車の運転手か何かだろう。年は二十代後半くらいか。かなり背が高いが威圧感がないのは、穏やかそうな風貌のためだろう。

「乱暴はっ、」

「神楽は黙っていなさい。私は今謡と話しているんだ」

「し、しかし」

「謡、お前はどうも次期社長としても気構えが足りないようだな…?」

神楽という青年との会話を打ち切り、芝貫春樹が低く沈んだ声を出す。ビクッ、と謡が肩を震わせる。

「また以前のようにしばらく“勉強会”をしなければならないのか?」

「…!」

「春樹さまっ」

「それが嫌なら少しは分別を身に付けろ!」

再び怒鳴り、父親は謡を殴り付けようと空いている手を振り上げた。

「!!」

ぎゅっと目を閉じて首を竦ませ、

「……何だ、お前は」

という父親の声に恐る恐る涙の滲んだ目を開ける。

「に、れのきさん……」「うるさい」

「何だと?」

涼子は横目で父親を睨みながら、彼の手首を締め付ける。

「何だ、貴様!」

「うるさい、と言っている」

海の音が聞こえないじゃないか。“彼”が愛したこの海の、優しい音が。無粋な人間のせいで。

「自分一人でぎゃあぎゃあ叫んで、恥ずかしくないのか」

「楡乃木さん、もう良いからっ」

「勘違いするなよ、謡」

「!」

出会った当初のように一切の抑揚がない、突き放したような口調に、謡は硬直する。

「お前のために怒ってるんじゃない。私は私の理由で怒ってるんだ」

ギシッ、と骨が擦れるような音が父親の手首から発される。

「ぐっ、」

「お前ら、早く消えろ」

“彼”がいつここに来ても大丈夫なように。私をすぐに見つけられるように。静かに、しろ。

「春樹さまっ」

神楽青年の声に、涼子は父親を解放する。

父親は涼子を睨み付けるが、涼子はすでに海に注意を戻している。謡の顔も、見ない。

「にれ、」

「謡、帰るぞ。お前に話がある」

「……はい、父さん………」

父親が大股で苛立たしそうに公園の出入口に向かう。神楽が従う。

「楡乃木さん、」

話をしたかった。例え自分のために父親の手を止めたのでなくとも、お礼を言いたかった。なのに、

「早く帰れ」

涼子の口から発されたのは素っ気ないそんな言葉だった。

「……すみません、でした………」

涙で視界が滲んだ。謡は滲む視界にいる女性に頭を下げ、駆け出した。涼子の赤いリボンが血のように見えたのはどうしてなんだろう………。





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