嫌悪
「いや、しかし昨日の今日で私の誘いを受けてくれるとはね。嬉しいよ」
横に座る謡を嫌らしい目付きで眺めながら、鳴沢がそんなことを言う。
謡は俯いたまま、応えない。
「それにしても、あの可愛いらしいお嬢さんはどなたかな?しかも警察の前であんなに仲良くするとは……謡もすみにおけないな」
晴美までもからかうようなその口調に、謡は思わず鳴沢を睨み付ける。
「良い目をする」
「っ!?」
いきなり片手で顎を掴まれたかと思うと、鳴沢の顔がぐっと寄って来た。
「なにす、」
「敦樹のように怯えるだけではない、怯えの中に決して折れない意思が見えている目だ……私の大好物だよ」
「っ、」
嫌悪感しかわかず、謡は鳴沢を睨み付け続ける。
「とは言え、今日は話をするだけの時間しかなくてね……そう睨まないで欲しいな」
「……なら、早くこの手を放して下さい」
ふ、と軽く笑って、鳴沢が謡の顎を解放した。そのまま背中を車のシートに着け、車窓を眺め始める。
(話なら、今しても良いんじゃないのか…?)
そう疑問に感じた謡が、口を開き掛けた時――
「そこを左へ」
鳴沢が指示を出し、車を誘導する。
「……一体どこへ、」
「もうすぐ着く」
行き先を素直に告げる気はないらしい。質問を口に出しきる前に、ぶっきらぼうな口調で吐き捨てて来た。
「心配しなくても、監禁などせんわ」
「……………」
昨日の今日でよく言う、と謡は心中で鳴沢を罵った。
昨日、神楽の弟である敦樹を隔離し、散々なぶった人間の言う台詞ではないと思う。
(敦樹君は、どうしているだろうか……)
謡の思考が、神楽の弟に向かう。大きな目をした、色の白い子だった。敦樹が兄の神楽をとても慕っていることも、神楽が弟の敦樹をとても慈しんでいることもよく分かった。
(神楽さんにも、敦樹君にもたくさん迷惑を掛けてしまった…)
自分の“弱さ”が周囲の人たちに多大なる迷惑を掛けてしまっていることが、とても辛かった。
(愁君、匂ちゃん……)
近所に住むあの子たちのことも、そうだ。二人とも、こんな弱虫で頼りにならない自分を、本当の兄のように慕ってくれている。なのに、謡は何もしてあげられていない。慕われることなんて、何一つしていないのに。
(?)
不意に、指先に何かの感触がして、謡はよるべない思考の海から抜け出さざるを得なくなった。
「っ!」
「私のような人間の横で、物思いに沈んでいて良いのかな?」
鳴沢が謡の手を握り、親指の腹を使って手の甲を撫でていたのだ。その撫で方に邪なまのを感じて、謡は鳴沢の手を払った。
「触らないで下さい!」
触られていた手を背面に隠しながら怒鳴れば、鳴沢は愉快そうに喉を鳴らした。
「“触らないで下さい!”か。初な女子学生のようなことを言う」
「っ」
「謡は男にしては滑らかな肌をしているな」
鳴沢の目線が、謡の胸元に合わされる。嫌らしい目付きに、謡は背中をぞくりと粟立たせた。やはりこいつの誘いになど乗らなければ良かった、と思っても後の祭りでしかない。
「その服の下も、きっと滑らかで綺麗なのだろうな」
謡は今までにないくらいの憤りを浮かべた瞳で鳴沢を睨んだが、その瞳ですら彼にとっては興奮の材料でしかないようだった。
「良い瞳だ。……私を誘っているのかな?」
「な……にを、」
「……やはり敦樹といい謡といい、芝貫の男は同性を魅惑する傾向が強いようだ」
「え?」
「ますますお前が欲しくなった、」
「っ!」
市街を走る車の中で、いきなり鳴沢が謡に襲い掛かった。
半ば呆気に取られている謡にのし掛かるような形になり、謡の胸元に手を掛ける。
「な、やめっ、」
「良いな、そそられる」
「ふ、ふざけないで下さいっ!」
「そんな口を聞いて良いのか?今のお前をどうこうするのも、私の思い通りになるということ、分からないか?」
「………ッ!」
なんて卑怯なんだ、と謡は唇を噛む。そんな姿が、更に鳴沢の嗜虐心を刺激することにも気付かずに。
「話があるんでしょう。放して下さい」
声が震えてしまわないように、出来るだけ声を抑えて謡は言葉を紡ぐ。
「ふむ」
「……早く、放して下さい」
鳴沢が白けたように、鼻を鳴らした。
「今のお前の目は、気に入らんな。春樹とそっくりだ」
「!」
不意に父の名前が出て来て、謡は喉を詰まらせる。父親にそっくり――言い様のない、複雑な感情がわき上がって来る。
「興醒めだな、」
まあ良い、とため息を吐いて、鳴沢は謡から手を放した。
シートに背中を着け、囁くような声音で言う。
「・・・春樹の秘密を、知りたくはないか?」