見送りと別れ、そして
適切なタイトルが浮かびません…。
そしてお久しぶりです。
お読み頂ければ幸いです。
「それじゃあ、母のこと、よろしくお願いします」
「はい。この度は、本当に申し訳ありませんでした」
母を迎えにやって来た職員二人は、謡に何度も必死に頭を下げていた。
「もう、良いですから。でも、二度とこういったことがないよう、よろしくお願いします」
「は、はい!」
謡は職員から目を逸らし、車に乗り込んでいる母親を見つめた。
「……母さん」
反応はないと分かっていながら、謡は母を呼んだ。
「………」
母親は、車内に興味を引かれているのか、あちこちに視線をさ迷わせている――謡の声が届いているふうでは、なかった。
「(母さん、どうか元気で)お願いします」
今の母親の状態が“元気”と言えるのかは分からないけれど、そう願わないではいられなかった。
「それでは」
職員の一人は後部座席の母の横に座り、もう一人は運転席へ。
エンジンが、静かに音を立てる。
「父には、僕からも連絡はしておきますが、」
「はい。こちらからも、お詫びのご挨拶はさせていただきます」
「お願いします」
後部座席の職員が深々とお辞儀をして、車のドアを閉めた。
「母さん、さよなら」
もう二度と会えないような気がして、気付けばそう呟いていた。弱気になっている、のだろう。
「謡さん……」
心配そうに自分を見つめる少女に気付くことすら出来ないくらい、母親の乗った車をじっと見つめる。
車が、静かに警察署の駐車場を出ていく。
「………っ、」
車を見つめることだけですら辛くて、謡は唇を噛んで、俯く。コンクリートに染み込んでいく、透明な液体には気付かないフリをする。
そのとき、
『謡』
「……っ!?」
母の、“声”がした気がした。しかし、母の乗った車はすでに視野には入らず、空耳なのだとすぐに分かった。
(空耳、だ……)
「謡さん、大丈夫ですか?」
「ん?…うん、大丈夫だよ」
「……謡さん、」
「ありがとうね。一緒に見送ってくれて」
「いえ、これくらい何でもありませんから」
「うん、でも……ありがとう」
「謡さん、そんなうるうるした瞳で見られたら襲ってしまいますよ?」
湿っぽい空気をどうにかしたくて、思わずふざけたことを口走ってしまった。慌てて口を塞ぐが、後の祭り。
(どっ、どうしようっ。完璧、嫌われた!あたしの馬鹿馬鹿馬鹿!)
謡の反応が不安で、晴美は今すぐにこの場所から逃げ出したくなって来た。
「あ、ご、ごめんなさい!変なこと言いましたっ」
とにかく、早い内に謝ってしまえ!と半ばやけくそになりながら、晴美は頭を下げた。気まず過ぎて恥ずかし過ぎて、晴美は謡の顔を見ることが出来ない。
「…っくりした、」
「っ?」
「脇坂さんもそういう冗談、言うんだね」
怒っていたり、呆れたりしている声音ではなかった。晴美は、恐る恐る顔を上げる。苦笑する謡の端整な顔がそこにはあった。
(まるっきり冗談、というわけではないのだけど、)
「え、えへへ」
とりあえず、笑っておこう。
「さ…て、母さんも無事に送ったし…。そろそろ、帰らなきゃ」
「……あ、」
そっか、謡さんも帰らないといけないんだ……。
そんな当たり前のことが、晴美にとってはかなりショックだった。
「脇坂さん?」
「あ、あの…」
「?」
泣きすぎて赤くなってしまった瞳が、自分をじっと見つめている――ドキドキする。
「脇坂さん、どうしたの?」
「ま、また会ってもらえますかっ!?」
そんなつもりはなかったのに、どんでもなく甲高い声になってしまった。
署の入り口にいる警官の、何事だ、という鋭い視線が晴美に突き刺さる。
「脇坂さん、」
「い、いつでも構いません。謡さんの都合の良い時に、短時間で、少しお喋りするだけで構いません、だから、だから…」
「良いよ」
「!」
あっさり了承され、晴美は思わず舌を噛みそうになった。
「いつにしようか?僕、あまり自由な時間がないけど…本当にそれで良いの?」
気遣わしそうにひそめられた眼差しが、晴美に罪悪感を抱かせる。
(無理を、我が儘を言っているのは私の方なのに……)
「う、謡さんに会えるなら、構いません!チラッとでも、全然っ!」
「な、なら良いんだけど……」
晴美のあまりの懸命さが可笑しかったのか、謡が笑顔になる。
「なら、時間が出来たらまた連絡するから。脇坂さんも、遠慮せずに連絡してもらって構わないから」
「!は、はいっ。ありがとうございますっ」
晴美も嬉しくなって、にっこりと笑顔になる。
そのとき、
「!ちょっとごめんね」
ズボンのポケットに入れていた携帯電話が着信を告げたようで、晴美に断りを入れて謡が携帯電話を取り出す。
(……非通知?誰だろう、)
嫌な予感を感じながらも、謡は通話ボタンを押した。
「…もしもし、」
『芝貫謡か?』
「………あなたは?」
誰何の問いを投げながらも、謡の中の“何か”が、警鐘を鳴らす。
早く切れ、何も応えるな。そうしないと…。
『呑気なことを言う』
「っ、」
『つい昨日密度の濃い時間を過ごしたばかりではないか』
「!」
耳と言わず、脳や心の奥の奥にまでじわりと浸透する、粘着質な男の声……。
「あな、たは…」
『やっと分かったか、芝貫謡』
「どうして、この番号を……」
頭にこびりついて離れない、無機質な鉄の砲口。
父の、冷徹な所作。
『個人の電話を調べるくらい、たわいもないに決まっているだろう。謡』
「あ、あなたに名前で呼ばれる筋合いなんてありません!」
動揺のままに大きな声を出してしまい、謡はハッと晴美を見た。
「………」
晴美が心配そうに謡を見詰めている。謡も動揺して、思わず彼女から顔を背けてしまう。
「僕に…何の用ですか。大体あなたは昨日っ……」
『今日は、お前に大事な話があるのだよ。謡』
「そんなの…!」
『別に危害を加えようと思ってはいないよ。そんなに心配なら、会う場所はお前に任せてやる。人間が多いところを選んで構わんよ』
昨日のことなどなかったかのように話す相手――鳴沢宗吾に不快感しか湧かない。今すぐにでもこの電話を切ってしまいたい。なのに、次に鳴沢が何を言うのかが気になってしまう。
「そんな、勝手なことばかり……、」
『楡乃木涼子』
「………っ!?」
なぜこの男が涼子の名前を知っているんだ。
『何故私がこの名前を知っているか、不思議だろう?』
「………っ、」
『何のことはない、お前の身近にいる人間のことを軽く調べただけに過ぎない』
言うことを聞かなければ、お前の周囲の人間を傷付ける――鳴沢は遠回しにそう言っているのだろう。謡は、きつく唇を噛む。
『そんなに時間は取らせんよ。どうだ?』
断れないのを分かっていながら、いけしゃあしゃあと鳴沢が言う。卑しい顔でほくそ笑んでいるに違いない。
「……分かり、ました」
鳴沢が喉の奥で笑う。
『場所はどうする。お前に決めさせてやる』
自分のよく知る場所を指定しようとして、謡は口を噤んだ。
これ以上、電話の向こうの男に、自分の知る場所を汚されたくないと、土足で踏み込まれたくないと思ったから。
「結構です。あなたが決めて下さい」
鳴沢が哂う。
『勇敢なことを言う。なら、昨日の場所でも構わんということか?』
「!」
『私は全く構わないが・・・まあ、昨日の今日だ。あれに知られたら敵わんしな』
あれ、というのが自分の父親なのだろうと言うことは、謡にも分かった。
『さて…、どこにするかな』
「……どこだって構いませんから、時間は短くして下さい」
『横にいる女性とデートでもするのかね』
「っ!?」
横にいる女性、というのは、
「……謡さん?」
晴美のことか?
「!」
強い視線を感じて、謡は勢い良く後ろを振り返った。体中から、冷たい汗が吹き出す。
「…鳴沢、」
視線の先、ハイヤーの後部座席の窓を下げて作り物じみた笑顔で手を振る男がいた。
「謡さん、あの人…」
鳴沢は、時の人だ。
テレビの露出は多いから、晴美もすぐに彼が誰なのかが分かったようだ。
「脇坂さん、今日は本当にありがとう…必ずまた、連絡するから」
(謡さん、顔が真っ青だ…。それに、首相と謡さんが知り合いだなんて……)
「それじゃあ、行くね」
晴美は思わず謡の腕を掴んでいた。
謡に何か不吉なことが起きる気がして。
もう二度と、会えない気がして。
「脇坂さん、」
「謡さん、あの…、」
どうやって引き留めようかと必死に考える晴美を他所に、ハイヤーが軽くクラクションを鳴らして来た。
「ごめんね」
今にも泣き出しそうな笑顔をしながら、謡がそっと晴美の手を退けた。
「謡さんっ」
「またね」
謡が、ゆっくりとした足取りでハイヤーへ向かって歩いて行く。
晴美は、ただその背中をじっと見守ることしか出来なかった。
「可愛いお嬢さんではないか」
謡を出迎えた鳴沢宗吾は開口一番にそう言った。
「あなたには、関係ありません」
謡は体を固くして、つっけんどんに応えた。
違いない、と鳴沢が笑った。ハイヤーが、静かに発車した。
ご閲覧、ありがとうございます。