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信じること~謡と晴美~

……何を言ってあげたら良いのだろう。

頼りなく俯き、カタカタと体を震わせる一つ年上の人を見守りながら、晴美は悔しい気持ちになっていた。

(私には、この人を元気付ける言葉なんか持っていないんだ……)

それでも、何か声を掛けなければという思いが込み上げて仕方ない。テレビを通して対面した時のように、家族のことを、誇らしげに話して欲しい――だから、

「そ、そんなことありません!!」

大声を出して謡の肩を掴んだ。元気を出して欲しい。その一心で。

「………」

顔を上げた謡が、目を丸くして晴美を見ている。涙のたまった瞳が痛々しくて、晴美はとにかく自分の思いを口に出すことにした。

「あ、あたしは馬鹿だし阿呆だし、難しいことはさっぱり分かりませんけど、謡さんは謡さんです!」

何を言ってるんだ、馬鹿、と心の中で自分を罵る。

「脇坂さん……」

「謡さんのことも、ご家族のことも、あたしは何一つ知らないし、分からないし、」

「………」

何かを振り切るように、晴美は一度グッと瞳を閉じて、すぐに見開く。

「でも、大丈夫です!きっと、謡さんの願いは叶います!お母さんに届きますから!」

謡の両手を取り、

「だから、だからそんな悲しそうな顔をして、諦めないで下さい!一人で、苦しまないで下さい!・・あたしには何も出来ないけど、謡さんのことなんて何も知らないけど、でも・・!謡さんには、笑顔で居て欲しいと思うから・・・」

一気に言葉を放っていく。

「・・・あ、ごめんなさい!!」

謡の両手を取ったのは無意識だったらしく、語りつくした晴美は慌てて謡の手を放した。

「・・・脇坂さん、どうして」

「え?」

「どうして、初めて会った僕なんかに、そんなに良くしてくれるの?」

「謡さん・・・」

「僕に優しくしてくれても、僕には何も返せないよ・・・?何のお礼も出来ない。なのに、どうして」

晴美は、無性に悲しくなって来た。

どうしてそんなことを言うのか、という点ではなく、謡にそう言わせている彼のバックグラウンドに対して悲しくなる。僅かながらも、義憤も感じる。

「そんなんじゃありません!」

「え?」

「あたしは、謡さんに何か恩返しがして欲しいから、こんなこと言ってる訳じゃありません!あたしは、あたしは、謡さんに元気になって欲しいだけで、・・・笑って欲しいだけで、」

謡が、晴美の顔を見てハッと息を呑む。

「脇坂さん、」

「謡さん、よく言われませんか?・・・自虐的過ぎるって」

「・・・・・」

「・・・お茶、呑んでくださいね」

「あ、」

晴美は泣きそうになるのをどうにか堪えて、仮眠室を飛び出す。

(僕は、・・・・最低だ)

晴美に貰ったお茶のペットボトルを握り締めながら、謡は俯く。心底、自分を嫌いになりそうだった。






「くそっ・・・!」

警察署を飛び出し、誓は道端であるにも関わらず刺々しく毒づいていた。通りがかりの子供づれの主婦が子供を急かしてそそくさと立ち去る。

(・・・・・俺は、)

制御できない感情に焦る。

母のことを忘れて女のことを話す兄を見ていると、感情のセーブが効かなかった。

(だからって、あんな・・・)

あんなことをするつもりはなかった。

実兄の上に馬乗りするなんて、一切考えられないことのはずなのに・・・ただ、とにかく腹立たしかったのだ。女に現を抜かし、鼻の下を伸ばしていた姿を思い出すだけで、とにかく苛々するのだ。

(兄貴をぶち壊してしまいたい・・・・・そんな欲求があったかと訊かれたら、否定は出来ねえな・・)

そうだ、もともと自分にはその気があったではないか。実の兄に対する、歪んだ感情。

ほの暗いそれが、どんなに異常なのかも知っていたはずだ。

(・・・当分、兄貴の顔は見ない方がいいか、)

少し落ち着いて来た誓は、頭を巡らせて母と兄にいる警察署を見上げた。

―――息子のことを覚えていない母親と、弟の歪んだ性癖を掻き立てる兄。

「・・・・夏」

「はい」

今の今まで一切なかった青年の気配が、誓のすぐそこに音もなく出現する。本当に幽霊みたいなやつだ、と誓は苦笑する。

「母さんと兄貴を頼む。俺は神楽に連絡を入れておくから」

「・・・・楓様はどうされるのですか?」

気配を直前まで一切感じさせない青年――――成宮夏が、少し心配そうな口調で誓に問い掛ける。

「今の俺は、今の母さんや兄貴の近くに居られる自信がない」

きっと傷つけるだけ、という言葉は呑み込んでおく。だが聡い夏ならば言わずとも悟るだろうと思う。夏は整った眉を微かに歪める。

「誓様、」

「良いから。頼んだからな」

「………分かりました」

それで良い、と応え、誓は夏に背を向ける。

「ちゃんと夜にはお戻り下さいね?」

確りと聞こえたであろう夏の声を、誓は聞こえないフリをして誤魔化した。





(……あぁ、自己嫌悪だ。お母さんのことで落ち込んでる謡さんに何てことを……)

仮眠室を飛び出した晴美は、先程ペットボトルのお茶を買ったばかりの自動販売機のスペースに戻っていた。世にも情けない表情で、自販機にしなだれ掛かっている。

(私なんて、謡さんのこと何にも知らないのにあんな偉そうなことを言って……あぁっ、穴があったら入りたいっ)

「あぁ〜、私のバカバカバカッ。空気読めよ〜!」

「あ、あの……」

「謡さん、最低なこと言ってごめんなさい〜っ」

「あ、謝るのは僕の方だよっ」

「っ!?」

近くで謡の声がして、晴美はぎょっと目を剥きながら振り返った。

「う、うううう謡さんっ!?」

謡が、晴美の過剰な反応に驚いて微妙に身を引いているが、それでも晴美から目は逸らさない。

「脇坂さん、ごめんね」

「……えっ?」

「あと、ありがとう」

いまだに潤んでいる瞳で、謡はほんわかと微笑む。

「それに、お茶もご馳走様」

「………」

まだ反応を返せないでいる晴美の横にある自販機に小銭を投入し、

「脇坂さんは、ジュースは飲む?」

「え、あ、はい。大好きですけど……」

「そっか」

ジュースのボタンを押した。

「はい。お茶のお礼だよ」

「あ、ありがとうございます」

差し出された流れで、晴美は反射的に受け取る。ひんやりとして、心地良い。

「……脇坂さんは、何だか眩しく見える」

ぽつりと、謡がそんなことを言う。

「?」

「僕にないものを持ってるから、羨ましいよ」

気弱に微笑まれる。

「謡さん……」

「脇坂さんは、ご両親とは…うまくやれてるのかな」

「……時々、父が過干渉な時がありますけど……普通に仲良しだと思います」

「そう。…とても素敵なことだね」

「……………」

これは、踏み込んで訊くのを許してくれていると考えて良いのだろうか。

だが謡の瞳はそっと伏せられ、長い睫毛が小さく震えているように見えて、晴美は唇を噛んだ。目に見えぬバリアを感じてしまう。

「謡さん……」

「ごめんね。初対面の君に、変な話ばかりして……困るよね…」

晴美は必死に首を左右に振る。その仕草に、謡が顔を上げて彼女に微笑む。

「……母さんを施設に戻さないと」

「どうするんですか?」

「施設の人に連絡すれば、向こうが来てくれるから」

ズボンから携帯電話を取り出して、施設の番号を呼び出す。

(謡さんの携帯電話、ストラップ無いんだ……)

そんなことを考えていると、謡の電話はいつの間にか終わっていた。

「すぐに人を送るって」

「そうですか。良かった……」

晴美がホッとして笑うと、

「脇坂さん、連絡先教えてくれる?」

「えっ?」

まさか連絡先を訊かれるなんて思わず、晴美は我知らずドキリとしてしまった。

「え、えっと」

「母さんのことが落ち着いたら、改めてお礼を言わせて欲しいから。・・・母のことでも、僕のことでも大変な迷惑を掛けてしまったから」

「・・・・・・」

晴美にとっては、別に迷惑でも何でもなかったのだが、謡と接点を持てるのなら良いかとポジティブに考えることにする。

「携帯の番号で良いですか?」

「うん」

「赤外線で良いですよね」

その方が楽だから、晴美はそう言ったのだが、謡の不思議そうな顔を見て思わず首を傾げる。

「謡さん?」

「・・・・赤外線がどうかしたの?」

「え?」

「え、えっと・・・今、携帯電話と赤外線て何の関係もないよね・・・?」

・・・・どうやら本気の疑問らしかった。

謡は携帯電話の赤外線送受信の機能を知らないのだ。

「えっと、それはですね・・・」

晴美は、自分の携帯の液晶画面を謡に見せながら赤外線送受信の説明をしてやる。

「へえ、凄いね・・・」

本当に心の底から感心しているのが分かる。

晴美は思わず頬が緩むのを感じた――――――幼子が大発見をしたかのように感心している姿が可愛くて。

「これだったら、データの交換も早いんです。やってみましょうか」

「うん」

そうして二人は自分たちの番号を交換し合った。

「・・・何だか、久しぶりだな」

気の抜けたような声で、謡がそんなことを言う。

「?」

「こうやって、歳の近い人と番号の交換をすること。・・・・僕、あまり人付き合いが得意じゃないから」

「・・・・・」

寂しそうな横顔に、晴美は息を呑んだ。

今にも、横に居るこの人が消えてしまいそうな感覚に、思わず謡の腕を取っていた。

「あたしで良ければ、いつでも連絡下さい!授業中とかは無理だけど、そのほかなら何を差し置いても応えますから!」

謡は驚いた顔で晴美を見つめていたけれど、不意に顔を綻ばせて・・・笑った。

それは今にも掻き消えてしまいそうに儚いものではなく、正しく花も綻ぶような笑みだった。

(・・・・謡さん、綺麗だ・・・、)

男性相手に綺麗というのもどうかと思いつつ、晴美はそう感じた。

「ありがとう、脇坂さん」

「い、いえ」

何だか晴美の方が気恥ずかしくなってしまって、焦りつつ謡の腕から手を放した。

「・・・警察の人に、施設の人が来るのを伝えないとね。・・・母さんのところに戻るよ」

「あ、あたしも一緒に行きます」

うん、と頷き、謡が先行する。

「・・・・・・謡さん」

「え?」

「・・・いつか、きっとお母さんも謡さんたちのこと、思い出してくれます。謡さんが信じてあげなきゃ、駄目ですよ」

「―――――そうだね・・。僕が母さんを信じていなきゃ、駄目だよね」

「はい!」

あたしも一緒に信じますから、という言葉は心の中だけで呟く晴美だった。








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