表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/63

初対面

(……本当に会えるんだ、芝貫謡に……)

小学生の頃にテレビで見て、会いたいと思った。大きくなるに連れて忘れていったけれど。

「しかし、あの芝貫の社長の奥さんとこんな間近で会うなんてな」

生活安全課の職員が茶を啜りながらそう仲間に漏らすのを、晴美は何処か遠くに感じている。

早く芝貫謡に会いたい。それだけだから。

「あの、私たちはやっぱり……」

晴美の横で居心地悪そうに俯いていた彼女の姉が、不意に口を開く。しかし全てを言う前に、茶を啜っているのとは違う職員が彼女の言葉を防いで来た。

「まあまあ、もう少しお待ち下さい。彼女のご家族が発見者の方にどうしても御礼を言いたいとのことなので」

「でも、当然のことをしたまでで……」

それでも渋る彼女に、職員が晴美には聞こえないくらいの潜めた声で続けた。

「…日本を牛耳っている“芝貫”に恩を売っておくのも悪くはないでしょう?後々、必ず役に立つ時が来ますから」

「…………」

「お。どうやらおいでになったようですよ?」

面談室の外が騒がしくなって来た。晴美が弾かれたようにドアを振り返る。

その瞬間、

「母さん!」

興奮の為か、頬を紅潮させた少年が母を呼びながらドアを開けた。

「芝貫、謡……」

晴美が憧れの人物に初めて対面した瞬間だった。





「母さん!母さん!!僕だよ、謡だよ。あなたの息子の謡だよっ!」

必死にそう大声を上げても、母親ー楓には何の反応も見られない。ただ光のない瞳を虚空に泳がせているだけ。

「お願いだよ、母さん。昔みたいに、僕の名前を呼んでよ……“謡”って、優しく呼んでよ……」

おずおずと握った手は、ひんやりと冷たい。

その冷たさに、泣きそうになる。

「お母さん、お母さん・・・・・」

もう、無理なのだろうか。

自分の声は、ずっと母には届かないのだろうか。

昔のように、自分を呼ぶ優しい声を聞くことは叶わぬ夢なのだろうか。そう考えると、胸が張り裂けそうになる。

「………」

「母さんっ」

謡がもう一度母に呼び掛けた時、

「兄貴、もう止めろ」

弟・誓の冷たい声がして、びくりと肩を震わせた。

「よそさまの目の前だ。芝貫の……親父の威厳に関わる」

「誓、」

戸口に立ったままだった誓が、ようやく室内に足を進める。自我のない母、情けなく膝を着く兄、興味津々に事態を見詰める警察の人間と、二人の一般人。よく似た顔立ちの二人のその女性が、きっと母親のことを警察に通報したのだろう。姉妹らしかった。

「あなたたちが、母を?」

「あ、はい…」

髪の長い色白の女性が頷く。対して妹らしきほうの、短髪で程よく焼けた肌を持つ少女ーー外見からして高校生くらいかーーは、じぃっと食い入るように謡を見詰めている。謡に興味があるのか。あるとしたら、どういう意味で?

誓が彼女を見ていると、その視線に気付いたようで、ふいっと謡から目を逸らした。

「母がご迷惑をお掛けしました。お礼はそれ相応のものをご用意させてもらいます」

普段のヘラヘラした態度とはがらりと変わって毅然とした態度の弟を、兄が呆然の体で見詰めている。

「い、いえ、お礼なんてとんでもないです」

姉が胸の前で、必死に両手を振る。だが妹のほうは誓の言葉には全く興味がないらしく、また謡を見ている。まさかとは思うが、謡の知り合いか?

「そうはいきません。芝貫グループの社長・芝貫春樹の妻を保護して下さった方に、礼もなしなんて論外ですから」

「ろ、論外なんて言われても困ります……」

「あ、あの、芝貫様、」

ずっと黙っていた警察所員の一人がおずおずと話に割り込んで来た。

誓が目線で続きを促せば、やたらへこへこし、奥まった小さな目を頻りに瞬かせながら言った。

「わ、私どももこちらの方の電話を受けて、現場に駆け付けまして…」

「だから?」

誓の声には一切の温度がなく、ふたまわり近くは離れていそうな職員ですら息を呑むくらいだった。

「で、ですから、その……」

「お前らにする礼などない」

まさしく一刀両断だった。職員は、で、ですよね…とだけ呟いて大人しく引き下がった。

「邪魔が入りましたが、お話の続きをしましょう。…お名前と住所を教えていただけますか?後程、父と相談し、相応のお礼をお持ちします」

「あ、あの…ですから、」

女性がまたも断りの言葉を述べかけた時だった。女性の妹が、予期せぬ言葉を言い放ったのだ。

「私、ずっとあなたに会いたかったの……!」

誰もが目を見開き、妹を見た。妹は頬をピンク色に染め、穴が空きそうな勢いで謡を見詰め続けている。






「は、晴ちゃん?!あなた何を言い出すの?」

反応が一番早かったのは、彼女の姉だった。

しかし妹は彼女を無視し、

「昔、テレビに映っているあなたを見たことがあるの」

椅子から立ち上がり、謡の横に立つ。謡は母の手を握ったまま、ぽかんと少女を見上げている。

「その時、あなたがとても誇らしそうにお父さんのことを話す姿を見て、すごく会いたいと思った」

「晴ちゃんっ」

姉が咎めるように名前を呼ぶが、晴美の口は止まらない。

「無邪気な笑顔が可愛くて、心に残ってるの。一度で良いから会ってみたいって思ってた」

晴美は何度も何度も“会ってみたい”と連呼した。

謡はどう反応して良いか分からず、口は閉じたものの戸惑った表情は相変わらず変化がない。

それでもどうにか言葉を紡ごうと、口をもごもごさせていたが、

「っ!?」

いきなり耳を押さえると、膝を着いたままで体をくの字に折り曲げて倒れ込んでしまう。

「うっ、…痛っ……、」

「兄貴!?」

謡の側にしゃがみ込みながら、どいつもこいつも一体何なんだと誓は段々と苛々して来た。

「兄貴、どうした。大丈夫かっ!」

顔面蒼白で、苦しそうに唸る。

「あ、たま………痛いっ……、」

消え入りそうな声で言い、あとは呻くばかりだ。

「おい、職員!」

ネームプレートを確認するのも億劫で、誓は先程口を挟んで来た職員に鋭い視線を投げた。

「は、はいっ!」

「仮眠室か何か、寝られるところがあるだろ!そこを貸せ!」

「わっ、分かりました!!」

職員は粟を食ったように大急ぎで飛び出して行った。部屋を確保する為だろう。

「兄貴、しっかりしろ!」

誓の呼びかけにも、謡は痛みに呻くばかりで応えられない。

「え、えっと、あの・・・・・」

姉妹は一体何事かとおろおろしてばかりで、兄弟の母親に至っては身じろぎ一つせず虚空を見つめているだけだ。ただ、謡が握っていた手だけは、本人の意思を無視するかのようにぴくぴくと動いている。だがそれに気づくものはその場にはいなかった。

「部屋の準備が整いました!こちらへどうぞ!」

先ほどの職員が戻り、誓にそう声を掛ける。

「兄貴、動かすよ」

「ち・・・かい、ごめ・・・・・ん、」

「何を今更・・・」

誓のそっけない返しに、謡は薄っすらと微笑んで意識を手放した。






体が弱いのだろうか、と晴美は弟に背負われて部屋を後にする謡の姿を姉とともに見送っていた。それとも、母親のせい・・・?

晴美は芝貫兄弟の母親を、横目でちらりと覗き見た。

綺麗な人、という印象は変わらないが、あの謡を苦しめていると思うと、胸が苦しくなる。この人のせいで、あの人はあんなに苦しんでいるんだと部外者の筈なのに思ってしまう。

「ねえ晴ちゃん」

「お姉ちゃん・・・・」

「この隙にもう行かない?お礼とか芝貫とか・・・あまり係わり合いになりたくないのよ」

姉は声を潜めて、前かがみになりながらそんなことを言って来た。

「でも、」

「行きましょう」

姉は一刻も早く立ち去りたいらしいが、晴美はそうはいかなかった。謡のことが心配だし、彼の母親のことも気になる。

「・・・私は残る」

「!何言ってるの?さっきだっていきなり謡さんにずっと会いたかったとか言い出すし、何かあの子に思い入れでもあるの?」

「お姉ちゃんには分かんないよ」

「晴ちゃん・・・?」

めったにない妹の真剣な顔に、姉は二の句が継げなくなる。一体何が彼女をこんなに意固地にしているのだろう。

「嫌なら、お姉ちゃんは先に帰って良いよ。私なら電車でも帰れるから」

「・・・・・・」

「私は、もっと謡さんと話してみたいの」

妹の横顔に、強い決意が宿っているのを姉は見て取った。

「・・・・・・分かったわ、私も付き合う」

「良いの?」

「良いわよ。あなたがどうしてそんなにも謡さんに興味を持つのか、私も興味が湧いて来たから」

姉はそういって、にっこりと微笑んだ。

「ありがとう。お姉ちゃん」








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ