母親のこと2
今回は短いです…。
母さんは何処が好きだったろうか。自転車をあてもなく走らせながら、謡は必死に頭を回転させていた。
ドラマなどのフィクションに触れすぎなのかも知れないが、人は記憶を喪失しても無意識に以前好きだったり、思い出のある場所へ足を運ぶこともあるようだから。
(母さん、無事で居て)
胸に迫る不吉な想像を振り払い、謡は母親のことに頭を巡らせる。
大事な人が傷付くのは、もう嫌だ。
(母さん・・・・・!)
今にも萎えてしまいそうな足を必死に動かし、謡は自転車を漕ぎ続けた。
彼女はただ歩いていた。
何処へ向かっているのか、何処から来たのか、全く分からぬまま。
そしてそれ以前に、自分の名前すら分からなかった。
いや、更にそれ以前に、自分が本当に生きているのかすら、分からない。
それでも歩き続けているのは、“とても大切”なものに会うためなのだ。
その“大切”なものがなんなのか、彼女本人にも分かっていない。
ただ、呼ばれているとは感じる。
誰かが、私を呼んでいる。
その想いで、彼女は歩き続けている。何処とも知れぬ道を。
「誓様」
「夏」
朝っぱらから学校内で話し掛けて来ることは珍しい存在に、誓は何事だと眉を寄せる。
成宮夏は、無感情に誓に告げる。
「楓様が姿を消されました」
「………」
級友たちがバスケットボールを体育館のフロアに叩く無機的な音の中、誓の思考が一瞬止まる。だがすぐにいつものにへら、とした弛緩の顔付きになり、
「嘘でしょ?」
と笑う。しかし夏がすぐに首を左右に振ったため、本当なのだと思わざるを得ない。
「え……だって、あんな何も分からない状態で何が出来るっていうのさ?それって自発的なものなの?」
次第に不安定になる、誓の口調に夏が微かに目を細める。誓が、乱れている。母親を案じ、不安定になっている。
夏は小さく頷く。
「今、職員の方が総出で探しています」
「……俺も行く、」
「誓様?」
誓は体調不良と称して体育を見学中で、今は夏に気付いて密かに舞台袖に場所を移していた。
「あんななまくらどもに、母さんを任せられない」
誓の目に力強い光が宿り、その光が夏の瞳を射抜く。
「協力しろ」
「しかし、授業は……」
「必要ないよ。あんな生半可な幼稚ぃモンは」
誓はそう笑って、ズボンのポケットを何やらごそごそと探り出す。よれよれになって出てきたのは、教師に提出する早退許可願いの用紙だった。
「お前は先に裏門に行ってろ。俺もすぐ行くから」
もう退きそうにないことを悟り、夏は了承して移動を開始する。
「母さんは、必ず俺が見つける」
自分に言い聞かすような口調で呟き、誓は許可願いの記入に取り掛かった。
幼い頃、誓とともに手を引かれて遊びに行った公園。行く度にお菓子が欲しいと言ってごねる誓を宥めた、近所のスーパー。二人きりで調べ物をした、図書館。
「…いるわけない、か」
母があの状態で図書館に行くわけなどない。
…他に何処をあたれば良い?母さんの好きだった場所は、何処だ?…考え詰め、しかし何も浮かばない自分に愕然とする。自分は、母のことを何も分かっていなかったのだという失望を感じた。
「僕は……」
母だけでない。父が何を考えているのかも分からない。誓が何を考えているかも分からない。
家族のことが、全く分からない。
「っ、駄目だ…自滅してる場合じゃないよ……」
今は、とにかく動いて母を探すことが大事だから。それに、母が実際に好きだった場所に行くかどうかは分からない。行くものだと考えたのは、自分。
「動かなきゃ、母さんは見つからない…」
勝手に挫けている場合ではないのだ。動かなければ、いけないのだ。
「母さんは、絶対に僕が見付ける……!」
二人の兄弟は、それぞれ走り回る。自分たちの母親を迎えに行くために。彼女の無事を祈りながら。