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それぞれの絆~幼馴染みと兄弟~

病院を出て、無我夢中で自宅へバイクを飛ばした。

一刻も病院から離れたかった。

勿論渉のことは心配だし、そばにいて支えになるのなら、そうしてやりたいとも思う。

だが、

(・・・・・・俺に、そんな資格はない)

哀しみと怒りと不安がぐちゃぐちゃとない交ぜになった気持ちながら、どうにか家に帰り着く。

帰宅の挨拶もせず、荒々しい足取りで洗面所へ向かう。

鏡に向かえば、一番憎むべき男が鏡の中の自分を射殺さんばかりに睨みつけていた。

この男が、渉を何度も泣かせ、苦しませ、悲しませた。

それなのに、渉が死に瀕し、記憶を喪うと、渉のことが心配で仕方が無い。

自己中心的、傲慢。どうしようもない。

(渉、ごめんな)

女々しいと笑われるだろうか。

いや、渉になら笑われても良いか。

そう思うと、穏やかな気持ちになる。そう・・・自分を傷付けることに、恐怖心を抱かないくらいには。

藪内は、右手で拳を作り、勢い良く憎い男を映し出す鏡に向かってそれを振り上げた。

ガッシャァァァァンッ!と激しい音を上げて、鏡が割れた。こんなにも呆気ないものなのかと、一瞬気が抜ける。だが、次の瞬間、突き抜けるような激痛が右拳に走った。吐き気すらした。

硝子の破片があちこちに散らばり、細かい破片が飛んで頬にまで傷を作った。そこから血が垂れるが、そんなことは些細なことでしかなかった。

「奏!?なにやってるの!」

母親が蒼白な顔で洗面所に飛び込んで来た。これから出掛けるのか、唇が口紅をつけたてのように真っ赤だ。

「あんたには関係ない」

藪内のハッキリとした拒絶に、母親は一瞬怯んだものの、ぽたぽたと血を足らす息子の手に気付き、

「ちゃんと消毒しないと、化膿するわよ、」

手を取ろうとするが、藪内はそれを払い除けた。

「俺に触るな!」

「か、奏」

「……俺のことなんかどうでも良い癖に、心配するフリなんかするなよ!!」

「フリだなんて……」

動揺する母親の体を、洗面所から押し出す。

「奏っ」

「早く仕事に行けよ。俺なんかよりそっちの方が大事なんだろ!!」

「か、奏…何かあったの?今日のあなた、何か…、」

「うるさい、黙れ!!」

…完全に八つ当たりだと分かっている。分かっていても、止まらない。

「俺に構うな、いつもみたいに放っておけば良いだろっ!!」

「………」

藪内の迫力に怯み、母親は彼の前から逃げ出した。

(渉が感じた痛みは、こんなもんじゃないんだ……)

その大部分の原因は、自分だ。だから、憎い。

自分自身が。

「くそっ!!」

滴る赤い液体にすら苛立つ。全てに、苛立つ。

(っ、)

ズキズキと傷口が激しく痛む。だがその痛みだけでは満足出来ず、足元に散らばった硝子の破片を思い切り握り込む。ぶつっ、と肉が切れるような音がして新たな痛みが生まれたけれど、それすらも苦痛にはならない。

「とんだマゾだな、俺は………」

掠れた声で自嘲的に呟き、藪内は渉の無事を祈るようにギュッと目を閉じた。

今日は長い夜になりそうだ、と何処か他人事に感じながら。






……眠れない、と渉は心の中で呟く。

体は悲鳴を上げているし、心も疲れているのは分かる。なのに、眠れない。

何故なら、

(あの人は、どうしてあんなに悲しそうな顔をしてたんだろう……)

昔話と称して話された話を、渉は全く覚えてはいなかった。だけど、あの人の今にも泣き出しそうな顔を見ていると、自分まで泣きたい気持ちになったのも事実。

(藪内、さん)

また明日も会いに来てくれるだろうか、と考える。

来てくれたら嬉しいと思っている自分を意外にも感じる。

(藪内さん……)

何だろう、彼のことを考えると安心する。

全く眠くなかったのに、うつらうつらして来る。

(……あぁ、ようやく、眠れそう、)

明日になったら彼との関係を思い出せていたらいいなぁと思いながら、渉は長かった一日を終えようとしていた。





ようやく我が家が視野に入り、神楽は詰めていた息を吐き出した。

助手席を見れば、敦樹は穏やかな寝息を立てて眠りに就いていた。

起こしてやろうとして、春樹の言葉が浮んだため、口を閉じてしまう。

(敦樹を芝貫で引き取られるなんて・・・・、)

正直なところ、嫌だった。敦樹には静かに、穏やかな生活を送って欲しいのだ。芝貫に入れば、そしてあの謡の“保険”とされれば、周囲が黙っては居ないだろう。

謡のように、心を擦り減らすような暮らしを送っては欲しくない。

(・・・春樹様には、明日お断りしよう。いくら春樹様の考えでも、是も出来ないこともある・・・)

誠心誠意、心を込めて話せば、きっと春樹も分かってくれる筈だ。

「敦樹、そろそろ起きて。・・・もう家に着くから」

「ん・・・あい、」

“はい”が寝ぼけて“あい”になっている。長い袖から覗く小さな手の甲で目元を擦る仕草も、幼い。

「兄さん、何笑ってるの?」

神楽が微笑んでいることに気付いたのか、敦樹が少し不機嫌そうに見上げて来る。

「・・・・笑ってないよ」

「本当?」

「本当本当」

神楽が何度も頷き、ようやく敦樹は納得してくれたようだ。

「お母さん、心配してる・・・よね」

「・・・春樹様のことだから、きっと巧い説明をしてくれてると思うよ」

その手の根回しは怠らない人だと、よく知っている。今回もそうだと信じたい。

「あの、兄さん……」

敦樹が、何か決意したようにハッキリとした口調で神楽を呼んだ。

「どうしたの?」

「うち…ここにいて、良いんだよね?」

「!」

兄が息を呑んだことに気付いたのか否か、敦樹は滔々と続ける。

「うちは、兄さんの弟で、お父さんとお母さんの子供で、居て良いんだよね?」

「あ、当たり前でしょう?急に何を、」

「……………」

「敦樹、」

神楽は一端車を路肩に停めシートベルトを外すと、体ごと敦樹に向き直り、不安そうに前を向いている敦樹の頭を優しく撫でた。

「…敦樹、君は僕たちの大事な家族だ。喩え血が繋がってなくても、そんなことは関係ない。家族だから」

「兄さん、」

「だから、そんなに不安そうな顔をしないで。敦樹はずっとうちにいて良い…いや、居て欲しい」

神楽の言葉に、敦樹は涙腺が(ゆる)むのを感じた。

「………」

「敦樹を守るためなら、僕は何だってするよ」

「本当?本当に、うちを守ってくれる?本当に…うちは兄さんたちの家族で良いの?」

「当たり前だよ。ほら、泣きそうな顔しないの。母さんが心配してしまうよ」

敦樹は再び目を擦り、

「それは嫌だ」

と笑う。

「うん、良い笑顔だ」

そうだ。敦樹は誰にも渡せない、大事な家族なのだ。たとえ、敬愛し自分の恩人である春樹であっても、渡せない。敦樹が彼のもとへ行きたいと願うのならば、彼の意思を尊重するけれど。彼が此処に居たいと願うのならば、誰が何と言おうと、誰が何をしようとも……敦樹は守ってみせる。敦樹の笑顔が、失われないように。

「今日は疲れたね…もう少しだから、頑張って」

“疲れた”という単語だけで済ますことなど出来ない一日だったことは明らかなのに、敦樹は素直に首を縦に振った。

神楽は敦樹の頭にポンポンと柔らかく触れて、車をスタートさせた。

(兄さん、ありがとう……血が繋がってないうちを守ろうとしてくれて、ありがとう……)

敦樹が心の底から神楽に感謝していることを、気付かぬまま。

敦樹が、近いうちに訪れるであろう“別れ”の予感を感じ取っていることを、知らぬまま。






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