表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/63

「……………」

春樹にも誓にも見送られることなく芝貫家を辞した神楽と敦樹。

実家に帰宅する車内では、助手席に座った敦樹が小さな寝息を立てて眠っていた。

(……敦樹、)

赤信号にひっかかって停車している最中に、敦樹を見る。自室で眠っているであろう、謡の顔が自然に重なって、神楽は居たたまれなくなって敦樹から視線を外す。

誓に言われた言葉が気になって仕方ない。誓は何かを知っている。そう悟った。

(だが、あの様子では正直に話してくれそうにはないな……)

「兄さん……」

どうしても芝貫のことに向きそうな意識を、敦樹の自分を呼ぶ呟きが引き留める。

「敦樹、ごめんね……」

敦樹を、芝貫を取り巻く禍根に巻き込みたくなかったのに。敦樹の笑顔は、守り抜きたいと思っていたのに。怖がらせ、泣かせ、苦しい思いをさせた。全く守れなかった。

(兄貴失格なんだろうな…)

自虐的な笑みを浮かべる。また赤信号にひっかかる。

(僕は、誰も守れないんだ……)

そんな思いが、神楽の頭をぐるぐると巡っていた。






「誓、待ちなさい」

神楽兄弟を見送った後、自室に戻ろうとした誓を春樹が呼び止めた。

「親父、何?」

「…お前、何処まで知っている」

「………急にどうしたの?普段俺に興味なんてないくせに」

それは揶揄でもなんでもなく、事実として誓の中に居座っていた。自分の存在が、兄である謡のそれの足元にも及ばないことなど、幼い頃から知っていた。だから今はそれが普通になってしまい、なんとも思わない。思えない。

「………妙なことは考えるなよ」

誓の反問は無視して、春樹はそう言う。

「“妙なこと”?それは兄貴に関すること?」

「……………」

春樹は何かを推し量るように誓をじっと見つめていたが、またも誓の問いを黙殺してリビングに戻って行った。

(親父、何か感づいてる、か)

話は終わったと見なし、誓は階段を上る。二階に着くと、自分の部屋に入る前に謡の部屋のドアをノックした。

「兄貴?」

呼び掛けはしたが、兄からの返事はない。眠り込んでいるのだろう。誓は静かにドアを開けると、電気の点いてない部屋に体を滑り込ませた。穏やかな寝息が、耳に届く。そっとベッドに近づくと、謡は壁を背にして眠っていた。泣いたのか、枕元に触れると微かにひやりとした。

「兄貴、」

不意に思う。

昔はただ純粋に兄を慕っていたのに、いつからだろう…兄が悲しんだり辛い気持ちになることが普通になり、それを望むようにすらなったのは。

「切っ掛けなんか、なかったのかもね……」

殆んど口の中だけで呟く。兄を起こさないよう、そっと。

「良い夢、見なよ」

兄にとっての良い夢とはどんなものかと考えながら、誓は静かに部屋を後にした。






…あぁ、これは夢だ。

誓がまだ小さいから。

『お兄ちゃん、誓ね、お兄ちゃんのこと大好きだよ!』

『僕も誓のこと、大好きだよ』

『本当?嬉しいな〜』

無邪気な笑顔に、心が暖まる。繋いだ手の温もりは今でも忘れていない。

『兄貴』

誓が謡のことをいつから“兄貴”と呼ぶようになったのかは明確には覚えていない。

これといった契機はなかったように思うけれど、何か寂しい気持ちになったことだけは覚えてる。そんなのは自分だけだろうか。

『謡も誓も、お母さんとお父さんの大事な子どもよ』

不意に、中学の制服を着た誓の横に母さんが姿を見せた。忌々しいあの事故の時の格好で。

優しい笑顔に、胸が締め付けられる。

『謡、愛してるわ』

母さんはそう言うのに、その姿はどんどん透けて行く。まるで、霊体が天に召されるかのように。

母さん、待って!!

どうにかして母さんを止めようとするのに、母さんは笑顔を浮かべたままで透けて行く。

制止の声が、全く出ない。声を無くしてしまったのかと愕然とする。

『誓と、あの人と、仲良くね』

それは、まるで別れの言葉。

『謡、』

その先の言葉が聞きたくなくて、手で耳を塞ごうとする。

でも、手だけでなく体自体が動かない。

『お母さんは、もうあなたに会えないけれど』

嫌だ、止めて・・・!

『・・・ずっと、あなたを見守っているわ』

その姿は、完全に透けて見えなくなった。それにつられるように、誓の姿も透けて行く。

『兄貴』

誓が何か言いたそうに口を開くけれど、その先は言葉にはならず・・・・誓の姿も完全に、消えた。

まるで人など最初からいなかったかのように、真っ白な空間が目の前に広がるばかり。

母さん、誓?

ようやく出るようになった声で二人を呼んでも、返答どころか物音一つしない。

虚しさに体から力が抜け、へなへなとその場に座り込む。

母さん、誓・・・待って、僕を置いて行かないで・・・

『謡』

自分しかいないと思っていた空間に、誰かの声が響いた。

母さんでも誓でも、父さんでもない。

『何座り込んでるんだ。弱虫だな』

呆れたような、それでいて心配そうな女性の声。

『立ちなさい。しっかりしなさい。男でしょう』

耳元に、風を感じた。誰かの息遣いを、感じた。

『謡』

目に入る、真っ白な眼帯と、大きなリボン。

楡乃木さん。

相変わらず無表情で、何を考えているのか分からない。

『何泣いてるの。ほら、泣くのは止めなさい』

楡乃木さんは、いなくならない?

『何を言ってるの。誰も謡の前から居なくなってなんかいないよ』

だって、今さっきだって母さんと誓が消えた!透けてしまった!

『消えてない。謡に、見えていないだけ』

分からない!楡乃木さんが何を言ってるのか、何を考えているのか分からないよ!

『そんなことはないだろう。本当は、分かってる』

分からない、分からない、分からない!

そうやって煙に巻いて、楡乃木さんも消えるんだ。僕を置いて、消えるんだ!

母さんと同じで、優しい笑顔を浮かべて僕を置いて行くんだ。

父さんも、母さんも、誓も・・・・本当は思ってる。

僕なんて、“芝貫謡”という存在なんてあってはいけないと。あるのが可笑しいと。

楡乃木さんだってそう思ってるんでしょう!僕なんて、必要ないって思ってるんでしょう!

楡乃木さんの表情は変わらない。

その輪郭も徐々に不透明になる。

ーーー消えてしまう。

この人も、消えてしまう。

それが分かると、胸が抉り取られるような痛みに襲われる。

母さんや誓が消えたときの痛みより、深い気がする。

まるで、母さんや誓よりも長く同じ時を過ごして来たかのような。

楡乃木さん!

不安な気持ちを悟ったのか、楡乃木さんがその顔に微かに笑みを浮かべた。

『・・・・大丈夫。私は、あなたのそばに』

え?

『ずっと、あなた様のそばに・・・・・』

“あなた様”。

楡乃木さんが、僕のことをそう呼んだ。

『遥か昔から、私はあなた様のことを見守っています』

その言葉が終わると同時、楡乃木さんの姿も完全に消えてしまった。

その瞬間、脳裡がざわついた。

誰かが、僕を呼ぶ声がした。それと同時、頭を殴られたような激しい衝撃を感じて・・・



謡は真っ白な世界で、意識を失った。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ