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眠りの中へ

敦樹を部屋に残し、誓は父と神楽のいるリビングへ向かった。

一応閉まっているドアをノックするが、返事が返る前には既にその体をリビングへ滑り込ませている。

「どうした、誓」

二人の話し合いはうまくいっていないのか、彼らの間に漂う空気は重たかった。

「神楽さん、敦樹君がお家に帰りたいそうですよ?大好きなお兄さんと一緒に」

誓の言葉に、神楽が体を強張らせるのが分かった。

「親父、もうそろそろ良いんじゃないの?神楽さんも疲れてるだろうしさ」

「誓様、私は」

恐らく大丈夫だと言おうとしたのだろうが、その彼の言葉を、春樹が遮った。

「・・・・そうだな」

「え、」

「今日はいろいろあってお前も疲れているだろう・・・・また明日、仕事の席で会おう」

神楽の反応を見ることもなく、春樹は椅子から立ち上がると茶を入れたコップを手にしたままリビングを去って行った。

春樹の反応が意外だったのか、神楽が彼の去った方を見ながらポカンとしている。

「神楽さん、敦樹君が俺の部屋で待ってるからさ」

「え・・・あ、は、はい」

ようやっと立ち上がった神楽に、誓が更に声を掛ける。

「そうそう。良かったら兄貴にも声を掛けてってあげてよ」

君の弟が嫉妬するだろうけど・・・という言葉を心の中で呟きながら。

「ですが、謡様はお休みになられてるのでは・・・・・」

「でも兄貴のこと心配って顔に書いてあるし」

誓が少し悪戯心を発揮して神楽を揺らがせる。途端に神楽の顔に動揺が走った。

「ほら、会える時に会っておいた方が良いんじゃないのかなって思ってね」

そう言って、誓はさっさと一人で二階へ向かう。

「誓様!ちょっと待って下さい」

階段の一段目に足をかけた格好で呼ばれ、誓はその体勢のままで追って来た神楽を振り返った。いつもの、にへら、とした締まりの無い笑顔を浮かべて。

「何?神楽さん」

「誓様、あなたは何を知っていて、何をご存知ないのですか・・・・?」

それはずっとずっと神楽が誓に訊きたいと思っていたことだった。今を逃せば訊く機会は二度とない。

神楽は何故かそう感じて、思わず問うていた。

「俺が?」

「・・・・私には、あなたがわからないとずっと感じていました」

「へえ?初耳」

誓は心底楽しそうで。

「誓様が何を見て、何を考え、何を感じているのか。謡様や春樹様のことをご家族としてどう想っているのか。ずっとずっと訊いてみたいと思っていました。そしてどれくらい“裏”のことをご存知なのかを、訊いてみたいと」

神楽の端正な顔には、春樹と対峙するときとは別種の緊張が走っていた。

そう、“得体の知れないもの”と対峙するときの緊張が。

「洞察力の固まりみたいな神楽さんでも、読みきれないものってあるんだ?それが俺だなんて、光栄だね」

「お言葉ですが、茶化さないでいただけませんか?私はあなたの本心をお訊きしたいのです」

「本心・・・・・ね」

足がだるくなってきたのか、誓は階段に掛けていた足を廊下に着地させ、少しだけ神楽のほうへ歩み寄った。

「『深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗いている』」

「え?」

「・・・・・フリードリヒ・ニーチェの言葉だよ。神楽さんだって知ってるでしょ?」

「は、はあ」

「俺が言いたいのはね・・・・無闇矢鱈(むやみやたら)に他人の“中”を覗くなってことだよ」

「!?」

思わず身を引く神楽を嘲笑うように、誓が微笑んだ。その笑みは、いつもの締まりの無いものとは違い空々しく方向の定まらないものだった。

「俺の“本心”を知ったところで、神楽さんはどうするの?」

「・・・・・それは、」

「何?俺が“裏”社会に通じてるって言えば、神楽さんは満足な訳?兄貴や親父のことをどんな風に想ってれば、あなたは満足するの?」

「誓様、私は」

「俺の“本心”は俺だけのものだよ、神楽さん?誰にも晒すつもりは、ない」

はっきりと言い切り、誓は唇の端をきゅうっと吊りあげた。

「・・・それに、俺の“本心”を知る前に、別の人の“本心”を知ってあげた方がいいんじゃないの?」

「え?」

「他人より家族のこと、心配したら?」

誓が誰のことを言っているのか、神楽はすぐに理解する。

「・・・敦樹のこと、でしょうか?」

さあ、と誓は悪戯めいた笑みを投げ、トントンと階段を上り始める。神楽も慌てて彼の後に続いた。







神楽を引率する形で先に二階に到着した誓は、自室のドアではなく兄である謡の部屋のドアを開けた。

「兄貴のこと、気になるんでしょう?」

神楽は真正面から誓の顔を見ることが出来ず、目を逸らしたまま会釈し謡の部屋に入る。

「・・・・・うぅ、」

だがベッドで眠る謡が、苦しげに魘されているのを目にした瞬間、全てのことが頭から吹き飛んだ。

「謡様!?」

ドアの方へ顔を向けた横向きで、服の胸元をギュッと握り締めて魘されている。紅潮した顔に、汗が光っていた。

「謡様、大丈夫ですか?謡様っ!」

耳に口を近づけて必死に呼ぶが、謡は目を覚まさない。

ただ荒い呼吸を繰り返し、喘ぐだけだ。

「う・・・・・っ、うう」

「謡様、しっかりしてください!謡様!謡様っ」

それでも何度か呼び、肩を揺すっているうちに、

「か・・・・、ぐらさ・・・ん?」

謡が薄目を開け、神楽の名前を呼んだ。

「謡様!!」

普段は白い頬は赤く、涙の滲んだ瞳は虚ろ。

「大丈夫ですか?酷く魘されていましたよ・・・?」

はあはあ、と息の荒い謡は、不意に頭に走った痛みに顔を顰めた。

「痛っ・・・・!」

「謡様?」

「頭・・・・・痛いです、気分も・・・悪い、」

もうどうしようもなく敦樹と謡の姿が重なってしまい、神楽は思わず小刻みに震える謡の体を抱き締めた。

意外なことに、謡が目を見開く。

「神楽・・・・さん?」

「・・・・・・」

「か、神楽さん、苦しいです・・・・」

かなりの力を込めていたらしい。謡が苦しさを訴え、神楽は慌てて彼を解放した。

(・・・・僕は一体何をやっているんだ、)

顔から火が出そうなほど、恥ずかしい。神楽が何も言えず黙していると、不意に謡がクスリと笑みを漏らした。

「謡様?」

「心配、してくれてるんですよね。神楽さんは」

「謡様・・・・」

「それとも、敦樹君と僕を重ねてるのかな」

「!!」

何気なく発されたような言葉に、神楽は強い力で心臓を掴まれたような心持ちになった。

「・・・・なんて意地悪を言って・・・ごめんなさい。神楽さんは、僕なんかを心配してくれる唯一の、人なのに、」

自虐的な言葉、自虐的な笑み。

謡には似つかわしくないそれを、今の謡は刻んでいる。

「謡様、今は何も考えずに、お休みになって下さい」

今の謡に必要なのは、休息でしかない。体も心も、酷い悲鳴を上げているから。

「はい・・・神楽さんも、気をつけて帰ってくださいね?」

こんなときでも、他人を気遣う。

「私は平気ですから」

「・・・・はい」

神楽は、恐る恐るながらも、謡の額を撫でた。自分でも可笑しい位に、その手が震えた。

謡はその手の震えに気付いているのかいないのか、気持ち良さそうに瞳を細める。

「おやすみなさい、謡様」

謡は小さく頷いて、そっと瞳を閉じた。

・・・暫く額を撫でていると、謡から穏やかな寝息が聞こえて来た。ようやく眠りに落ちれたようだ。

「・・・・・・」

神楽は軽く息を吐き、そっと立ち上がる。謡を起こさないように、音を立てないようにドアまで移動し、謡に向けて深々と礼をする。

「ゆっくり、お休み下さい」

殆ど口の中だけで呟き、神楽は謡の部屋を後にした。








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