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刺激される嗜虐心と、過去

後半で、謡の一人称語りが入ります。

「好きな所に座って」

敦樹を自室に連れて行き、誓は彼にそう言った。

だが敦樹は困り顔でドア口に立ち尽くしたままだ。

「敦樹君?」

まさか俺が怖いのだろうかと誓は思ったが……、

「あ、あの…うち、うち……早く帰りたいんです、兄さんと、早く……」

「神楽さん、まだうちの親父と話があるみたいだったけど…。俺から言ってあげようか?」

「え?」

誓の言葉が意外だったのか、敦樹が虚を突かれたような顔をする。

「何、変な顔して」

「あっ、す…すみません……」

「……別に謝らなくて良いけど……」

謝られても困ってしまう。それに別に誓は善意でそんなことを言った訳ではないのだから。

「それにしても体に合わない服を着てるんだね?そのパーカー、君のなの?」

「!」

「?」

固まった敦樹に手を伸ばせば、怯えたように身を引かれた。……その様が兄のものにかぶり、誓の中の残虐な部分が刺激される。

「…君、少しだけ兄貴に似てるよ」

「え……?」

「ここだけの話さぁ、俺、兄貴のこと嫌いなんだよね」

「!?」

びっくりして目を見開く少年の姿が可笑しくて仕方ない。一歩近づくと、それに比例して敦樹が下がる。何かを隠すようにパーカーの前のジッパーをギュッと握り締めながら。

「う、うちに何を言いたいんですか……?」

「いや、世界には苛めがいのある人間がいるってことだよ」

「っ?」

早くも敦樹の小さな顔に誓に従った後悔が浮かぶ。

「兄貴もそうだし、君もそうだ。勝手に災厄を連れて来る」

「あ、あなたは」

何かを言いかけた敦樹は、恐怖のためか先を続けられずに口ごもる。

「『本当に謡さんの弟なんですか』……でしょ?」

「!」

「図星、だね」

へへへ、と力の抜けた笑みを見せる誓を、敦樹は正視出来ない。

「……確かに俺と兄貴は性格が一切違う。でも確かに兄弟だよ。信じられないかな?」

「そ、そんな……こと、」

「君はもう少し自分を強く見せる努力をした方が良いよ。……じゃないと俺みたいな奴につけ込まれるよ?」

「う、うちだって自分が弱虫なことくらい分かってます…っ。でも、」

「……簡単に自分を変えるなんて無理だもんねぇ」

「………っ」

「あぁ、ごめんごめん。泣かせたい訳じゃないから、そんなに悲しそうな顔しないで?」

誓は敦樹から離れると、ベッドに足を組んで腰掛けた。

「ほら、座ってよ。取って食ったりしないからさ」

「……はい」

ドアの前に、居心地悪そうに正座する。

目は決して誓を見ない。

「兄貴には懐いてるのに、俺は嫌だって訳?」

皮肉を込めて、訊いてみる。敦樹からの返答はない。

「まぁ確かに兄貴は人畜無害そうに見えるからね。君が安心出来るのも当然の理かも知れない」

「……別に、謡さんに懐いたつもりは、ありません」

「あ、喋った」

「ちゃ、茶化さないでくださいっ」

「茶化したつもりはないけど……。それにしても、兄貴に懐いてないっていうのは本当?」

「だ、だって…そんなに長い時間一緒にいたわけじゃないし、……うちは、別に、」

「馴れ合う気はないって?」

からかうような誓の口調に、カッと敦樹の白い頬が紅潮する。

「そ、そんなことは」

「嘘。差し詰め神楽さんが兄貴に盗られそうで嫌だってとこかな」

「っ!!」

「兄貴が大事なお兄さんを君から奪うと思ってるんだ?」

「ちっ、違いますっ!」

「そんな真っ赤な顔で否定されても……ね」

「そ、そんなこと思ってませんっ」

「分かった。分かったからそんなに泣きそうな顔しないでよ。悪者になった気分になる」

誓はクスクスと肩を揺らして笑う。その仕草も、謡とは似ても似つかない。

「うん……じゃあちょっと下に行ってくるよ。親父に早目に切り上げてもらえないか、訊いてくる。……俺が戻るまで、この部屋から出るんじゃねぇぞ」

最後だけ凄味を利かせた口調と目付きで吐き捨てると、誓は揚々と部屋を出て行った。

「………ふぅ、」

ドアが完全に閉じられた瞬間に、敦樹は深いため息を吐いて体から力を抜いた。いつの間にかかいていた背中の汗のせいか、体がぞくぞくと寒気に震えた。怖かった、のだろうか。

(あの人が、本当に謡さんの弟?)

姿形が似ていない、というのもあるが、もっと……本質的なものがまるで違うように感じられたのだ。

(でも、それだけで本当の兄弟じゃないって疑うのも……どうかな…)

敦樹は壁に凭れ、疲れきったようにその瞳を閉じた。





……大抵の人は、僕の父さんに対して称賛の眼差しを送る。僕も、父さんに憧れていた。

子供の目から見ても、テレビに出演して雄弁を語る父親を観るのは誇らしいものがあった。友達にも、何度だって今テレビに映ったのは自分の父親なんだと自慢みたいなこともした。

それくらい、父さんは僕の自慢であり、憧れの人でもあった。

………だけど、母さんがあんな目に遭ってから父さんは変わってしまった。確かに社長という立場もあって、冷徹になることだってあったし部下の失敗には厳しく酷い時には手を出すこともあったけれど、子供である僕や誓には優しくて子煩悩な人だと言えなくもなかった。

でも、母さんが駅のホームから転落するという事故に遭い僕たちのことが分からなくなってしまってから父さんの僕たちを見る目は、とても冷たくなった。今でも、忘れられない。母さんの事故の報を受け、神楽さんと一緒に母さんの病室を訪れたときに父さんに手を払われたことを。

まるで親の仇だとでも言うように、僕の顔を睨み付けたことを。

僕は父さんが全く知らない人に見えて、竦み上がった。父さんはその日、何も喋らないで仕事に行かずずっと母さんに付き添っていた。僕は神楽さんに連れられ、誓と家に帰った。その日は寝る時にも父さんの冷たい目が脳裏を支配して、怖くてなかなか眠れなかった。神楽さんに何度大丈夫ですから、と背中を擦られたか分からない。神楽さんの手の温もりを感じながら、僕は泣いた。どうしてか無性に悲しくて、でも神楽さんの温もりを嬉しく思いながら。

……その翌日から前日までの父さんを家の中で見ることはなくなった。笑顔はなくなって、会話も日常的なものは殆んどなくなった。朝起きても母さんの姿はなく、既にぴっしりとしたスーツ姿の父さんの、話しかけられることを拒む背中だけがあった。

何度かは「行ってらっしゃい」と声を掛けたけれど、反応は返って来なかった。無言で玄関に行き、靴を履き、無言で出て行く。僕や誓には一切見向きもしてくれなかった。それでも僕は、父さんに声を掛けることを止めなかった。……止めたら、もう二度と母さんが元気だった時のようには戻れない気がしたから。

そんな毎日がしばらく続いた後、父さんと関わるときがやって来た。

確か誓が風邪を引いてしまい、38℃近い熱を出した時だった。誓の部屋で看病していると、ノックなしに父さんが入って来た。出社前だから、相変わらずスーツだったけれど、誓のことが心配で様子を見に来てくれたのかと思って僕は嬉しくなり「父さん」と呼び掛けようとした。

………でもその前に、頭に激しい痛みを感じて僕は呻いた。

『いた、痛いよっ……!』

痛みの原因は、父さんに髪を掴まれ、引っ張られたからだった。父さんは無表情ながらも、冷徹な瞳で僕を見ていた。

『父さん、止めてっ』

自分の一体何がいけなかったのか。一体何が父さんの逆鱗に触れてしまったのか、僕には全く分からなかった。だけど、父さんが激怒しているのは痛いほどに伝わって来た。

『謡、支度もせずに何をしている』

『っ!』

抑揚が全くない声音に怯え、僕はびくりと体を震わせる。

『今日は平日だろう。さっさと着替えろ』

『で、でも誓が、熱っ……あるから、』

『そんなもの、誓の自業自得だ』

『そんな……っ!』

『………それにしばらくすれば珠子さんが来るだろう。彼女に任せれば良い』

『だけどっ、珠子さんが来るまで一人になっちゃうよ……っ!?』

言い切った瞬間、頬を鋭い痛みが走り僕は体を硬直させた。掴まれていた髪を離された直後に頬を張られたのだと、気付くまでに時間が掛かった。

『お前……お前が私に指図出来ると思っているのか?意見して良いと思っているのか!?』

怒鳴り声とともに父さんの手が伸びて来て、腰を抜かした僕の胸ぐらを掴み自分に引き寄せた。

『と……さんっ、』

『早く支度をしなさい、そして学校に行きなさい、次期社長のお前が時間を無駄にすることは私が許さない』

手に更に力がこもり、僕は荒い息の下で必死に頷いていた。

父さんが恐かった。僕を息子・・・それ以前に人間とすら思っていないのではないかと、不安で仕方なかった。

僕が頷くと、父さんは僕を解放して部屋を出て行こうとする。誓の様子を見てくれもしない。大丈夫か?の一言もない。自分の息子が風邪を引いて、熱に苦しんでいるのに。でも……、

『けほっ……』

僕には父さんを諌めることなんか出来なかった。父さんに口答えすることなんて出来なかった。

『誓、ごめんね……すぐに珠子さん、来てくれるからね』

せめてタオルを氷水で濡らし直したいと、誓の額にのせたタオルを取ろうとしたけど、

『謡!早くしろっ!!』

部屋の外から響いて来た父さんの怒声に、それすらしてやれなかった。僕は力なく、はい、と応えて誓の部屋を逃げるようにして出た。でも父さんは既に玄関で靴を履き、僕を待ってくれさえしていない。

僕は泣き出しそうになりながらも、慌てて自室で着替えた。

……父さんは僕や誓を嫌いになったわけじゃない。そう思いたかった。きっと母さんがあんなことになって、神経的に参っているのだと思い込もうとした。

……そうとでも思い込まなければ、自分という“存在”が瓦解してしまいそうだったから。

いつかは昔のように優しく穏やかな人に戻ってくれると希望を抱いていた。願っていた。

でも、それも…もう、お仕舞い………。








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